料理
治安維持機構の査定カウンターを離れ、僕たちはギルドの喧騒を背に『ヴェルテブラ』が停泊するハンガーへと向かう。
その間、ナインベルは終始、無言だった。
使い古されたフライトジャケットの袖を握りしめ、数歩先を歩くリリーの背中を、まるで幻でも追うような眼差しで見つめている。
かつてのトップエースの面影はそこにはない。ただ、長年一人で泥をすすり、何かと戦い続けてきた者が漂わせる、痛々しいほどの脱力感だけが残っていた。
エアロックが収容音を立てて閉まり、ヴェルテブラの無機質な船内へと足を踏み入れる。
ナインベルがふと立ち止まり、視線を泳がせた。
「……あの、すまないが」
「ん? どうしたの」
ナインベルは唇をかみ締め、どこか躊躇うように言葉を濁してから、意を決したようにリリーを見た。
「……先に少しだけ、リリーと2人で話させてもらえないか。……すぐ済ませるから」
その濃いブラウンの瞳には、先ほどまでの斜に構えるような色は残っていない。
静かで、どこか切ない諦観と、確かな感謝の念が宿っていた。
「もちろん。僕は食堂にいるから、ゆっくり話すといいよ。――といってもこの船、前任のポリシーというか性格? のせいで、住環境が壊滅的なんだよね。適当な部屋は、ブリッジか、船長室くらいかな。どこでも好きに使っていいからね」
「うん? そうなのか?」
僕が頷くと、ナインベルは小さく首をかしげる。
「では、船長室に参りましょう。あそこなら、本日買ったばかりのベッドに2人で腰かけて、落ち着ていお話ができます」
リリーはそのように告げると、ナインベルを連れて居住区の奥へと消えて行った。
あえて追いかけはしない。
2人だけの時間に、僕が踏み込むべきじゃないことくらい分かっていた。
「……さて」
僕は一人、静まり返った食堂の厨房へ向かった。
リリーが気をまわしてくれたのか、空調が最適な温度になっている。
ここに入ると否応なしに思い出すのは、無造作に転がっていた銀色の栄養チューブだ。
昨日から今朝にかけて、食糧がこれしかなく、おかんモードになったリリーに無理やり食わされた、あの無機質なディストピアの味だ。若干、昼のおにぎりとだし巻き卵で中和されつつあるものの、あの『鮮烈な虚無感』は、なかなか忘れられるものではない。
莫大な借金を抱えていたナインベルは、あれを毎日食べていたのだろう。
……それじゃ、体も心も乾ききってしまうはずだ。
『サクラ。……疲れた体に染み渡るような、温かくて元気になるものを作りたいんだけど、そっちに良い食材はあるかな?』
前に、コンソールから呼び出し可能と聞いていたので、電子戦インプラントを経由して、ウケモチドメインコンテナの電子妖精との通信を試みる。
『はいな、ぴったりのがございますぇ。主神様がおられるのはお台所でおすな? そこへ直接お送りいたしますわ』
即座にリアクションが返ってきて、ノータイムで食堂の壁からにゴトンと配送ケースが押し出される。
位相折り畳み跳躍の待機時間中に、ウケモチドメインと、食堂区画との艦内輸送路を開通しておいたのだ。
『なるほど、ナイスチョイス!』
ケースを開けば、コメと鶏肉と卵、そして玉ねぎ。いろどりの三つ葉。
醤油や出汁、みりんはだし巻き卵の時のが残っているし、塩や砂糖は食堂の生成器から作り出すことが可能だ。
『いつもおおきに!』
ウケモチドメインが提供してくれるのは、シンプルだが極上の和風素材だ。
「つまり、これを作れってことだよね」
僕は簡易加熱調理ユニットの鍋っぽい部分に出汁を張り、醤油とみりん、わずかな砂糖を加えてスイッチを入れる。
ジワリと、甘みを含んだ香ばしい出汁の湯気が立ち上り、無機質な厨房の空気に柔らかく溶け込んでゆく。
次いで、一口大に切った鶏肉を投入し、薄切りの玉ねぎとともにコトコトと煮込む。
出汁の旨味を吸って肉が柔らかく躍るのを見計らい、溶き卵をふわりと回しかけた。
完全に火を通し切らず、余熱で半熟のトロリとした状態に仕上げる。
炊きたての白米を大盛りの丼――、はなかったので、金属のボウルっぽい食器に盛り、その上へ惜しみなく流し込む。
黄金色のたまごと出汁を纏った鶏肉が、湯気とともに眩しいほどのツヤを放っていた。
「よし、出来上がりだ。滅茶苦茶美味そう!」
皿とスプーンとを簡易テーブルに並べ終えた、まさにその時だった。
自動ドアが静かにスライドし、足音が近づいてくる。
現れたナインベルは、目を真っ赤に腫らしていた。
泣きはらした顔。けれど、その表情からは、彼女の背中にまとわりついていた「暗い影」と「過去への執着」が、嘘のように消え去っていた。
彼女の後ろに立つリリーは、いつも通りの冷静なアンドロイドの佇まいだ。
だが、その瞳の光彩には、心なしか柔らかな温度が宿っているように見える。
ふたりが何を話し、どんな納得に達したのかは想像するしかないが、ナインベルが「過去の幻影」ではなく、「目の前にいるリリー」を、そして「これからの時間」を受け入れたことだけは、その佇まいが雄弁に物語っていた。
「その、……ゆ……、ユーク」
ナインベルが僕の前に立ち、すっと背筋を伸ばした。
まっすぐな視線が、僕の目を射抜く。
「……私はナインベルだ。……見ての通り、愛機も金も失い、落ちぶれた傭兵だ。だが、操縦の腕だけは死んでいない。必ずお前――、いや、あなたの役に立つ。だから、……これから、よろしく頼む」
固い、あまりにも固い挨拶。
彼女の手が、緊張でかすかに震えている。
「うん。こちらこそよろしく、ナインベル。……でも、細かいことはあとだね」
僕は苦笑しながら、目の前の席を指さした。
美味いものを食えば、気持ちは和らぐ。それが僕の信条だ。もっとも、僕の場合は酒が飲めればもっと和らぐと信じていたりするので、個人的にはドメインの日本酒が気になってしょうがなかったりする。
ただ、アルコール分解能力は人それぞれなので、無理強いはしない。
――と、そんなことよりナインベルだ。
「さ、冷めないうちに、先にご飯を食べよう。約束だからね」
僕が、ボウルに入った親子丼を指し示すと、ナインベルは一瞬ぽかんと口を開け、それからゆっくりと視線をテーブルの上へ落とした。
そこにあるのは、立ち上る湯気と、出汁の甘く香ばしい匂い。
ツヤツヤと光る半熟のたまごと、ふっくらとした白米。
「……なんだ、これは。見たこともない料理だ……」
「『親子丼』っていうんだ。熱いから気を付けてね」
スプーンを渡すと、彼女はおずおずとそれを受け取った。
傭兵としての警戒心か、あるいは初めて見る料理に対する戸惑いか。彼女は一口分を慎重にすくい上げ、ゆっくりと口の中へ運んだ。
——静寂。
ナインベルの動きが、ピタリと止まった。
出汁の濃密な旨味と、たまごのマイルドな甘み。
柔らかく解ける鶏肉のジューシーな肉汁が、炊きたてのご飯と絡み合い、口内いっぱいに広がる。
人工的な合成味が一切存在しない、本物の「温かさ」と「滋味」。
「……っ、……ぁ」
彼女の口から、掠れた吐息が漏れた。
一口、咀嚼するごとに。
喉を温かい塊が通っていくごとに。
彼女の中でピンと張り詰めていた緊張の糸が、音を立てて解けていく。
「な、なんだ……これ……っ。温かくて……甘くて……っ」
スプーンを動かす手が、止まらなくなる。
二口目、三口目。
なりふり構わず、丼にかぶりつくようにして親子丼を口へかき込んでいく。
何年も、暗く冷たい宇宙で泥をすすってきた。
安価で味気のない合成タンパク質を喉に流し込み、明日生き残れるかも分からない過酷なミッションをこなし、借金の完済だけを追い続けてきた日々。
——誰かと一緒に、温かい飯を食べるのが。
どれほど久しぶりのことだったか。
「っ……ふぐっ、……ぁっ」
ナインベルの目から、大粒の涙がポロポロと溢れ落ちた。
ボロボロと零れ落ちる涙が、頬を伝ってボウルの中へ落ちていく。
彼女はくたびれたフライトジャケットの袖で強引に目を拭いながら、それでもスプーンを止めることはなかった。
「……うまい、……うまいよ、ユーク……っ! こんなの……ズルいだろう……っ!!」
そうだね、美味いご飯はズルいよね。
言いたいことは、なんとなくわかるよ。
僕はそのセリフを口にする代わりに、にっこりとほほ笑む。
子供のように声を上げて泣きながら、必死に温かいご飯を頬張り続ける薄幸の女性。
その姿を、僕とリリーは、ただ静かに見守っていた。




