跳躍
「それではユーク様、目的地の第7支部はこの恒星系にはございませんので、位相折り畳み跳躍を実行します。ユーク様の主観に置かれましては、初めての経験であると推察いたしますが、ご説明は必要ですか?」
「え? 何? 折り畳み?」
と、ユークが問うたそばから、ユーリーの知識がやってくる。
超光速移動とは、船体そのものを加速させる技術ではない。
なぜなら、この宇宙では「光より速く動けるものはない」という絶対のルールが敷かれているからだ。故に、負のエネルギー密度を持つ『エキゾチック物質』によって時空場を歪曲させ、船体の前方の時空を急速に『収縮』させ、後方の時空を『拡張』させる。
つまり、空間をゆがませ折りたたんで、近道を作るってことだな。
しかも、めっちゃ早口なやつが。
船は加速していない。
平坦な局所慣性系の中に佇んでいるだけだ。
移動しているのは船ではなく、『空間そのもの』。
ワープバブルが時空の波に乗って実質的な超光速で滑走するため、船内の俺たちには相対論的な時間遅延も、致命的な加速度Gも作用しない。
「――なるほど、ユーリー様の知識でご理解されているご様子ですね。では、このままジャンプを開始してよろしいでしょうか?」
「は、はい、よろしいです」
と、僕はこめかみのあたりをもみながら答える。
ご理解したことは、乗組員の安全は担保されているということくらいだが、まぁ、それで十分だろう。
「では、フォールド・ドライブ起動します」
機関部拡張コンテナから、三つ子リアクターが、通常とは違う、不協和音のユニゾンを奏で始める。
その不協和音の音域が、徐々に整っていき、ひとつの美しい和音に達したその時。
「――臨界突破。時空曲率、予定値に達します」
「おおっ!」
リリーの声に応えるように、前方の空間がぐにゃりと波打つ。
重力レンズ効果——艦の周囲に発生した時空歪曲バブルが、全方位からの光を狂わせる。
本来なら横や後ろにあるはずの星々までがぐにゃりと湾曲し、フロントモニターの中央へと強引に引き寄せられていく。
まるで、透明なレンズの底を覗き込んでいるようで、若干気持ち悪いと思っていたら、
「相対論的ドップラーシフト確認。青方偏移、始まります」
リリーのその一声で、視界が一変した。
モニター中央に集まった星々の色が、赤い橙色から黄色へ、そして冴え渡るようなエレクトリック・ブルーへと塗り替えられていく。
波長が圧縮され、光の周波数が跳ね上がっているのだ。「今なら背景放射すら視認できる」と、ユーリーの知識が囁く。
「時空膜、完全穿孔。フォールド空間へ進入!」
次の瞬間、視界の縁を、圧倒的な『漆黒』が塗り潰した。
光すら屈折して届かなくなる絶対的な事象の地平線。
その黒い壁に取り囲まれた中央で、全宇宙の光を凝縮したようなまばゆいリングが、青と紫の光彩を放ちながら渦を巻いている。
「ああ、なんか、ワープって感じになったね」
「ユーク様の主観では、そうなのですね?」
「うん、疾走感はないけど、なんというか、こんな感じ」
ヴェルテブラは、青と紫の光彩を放ちながら渦巻く空間に突入した。
ここをずぎゅーんと疾走すれば、僕のイメージ通りのワープだが、空間はぐるぐる渦巻くも、ヴェルテブラは、ユーリーの知識通り、この空間に佇んで、少しも進んでいないようにも思える。
「この船のフォールド・ドライブでは1光年進むのに1分強かかります。治安維持機構第7支部はここから3つ先の恒星系となりますので、到着予定はおよそ20分後です」
お飲み物か、軽食でもお持ちしましょうか?
と、リリーは柔らかく微笑んだ。
***
ステーション『アルカディア』の治安維持機構——いわゆる「ギルド」の査定カウンター前は、昼時独特の熱気と重苦しい匂いに満ちていた。
安価な合成燃料の焦げた匂いと、男たちの汗、そしてモニターに表示される渋い報酬額に対する舌打ち。
「……はあ。またこの価格か」
数歩離れた掲示板の前で、低く掠れた声が漏れた。
パイロットスーツの上に、使い古したフライトジャケットを羽織った女性。ナインベルだ。
かつてこの周辺宙域でその名を知らぬ者はいないと言われたトップエース。だが今の彼女は、指先で握りしめた合成タンパク質ブロック——ユーリーが愛した「ディストピア飯」のパサついた塊をかみ砕きながら、眉間に深いシワを刻んでいる。
「燃料代と弾薬費を引いたら、手元に残るのは数万ガルド……。これじゃ整備パーツどころか、来週のドッキング料すら怪しいな」
彼女の視線の先にある愛機は、己が手塩にかけてカスタムを施した『レッドハスラー』ではない。駆け出しの傭兵が最初に宛てがわれるような、最低ランクの汎用艇、それも補修跡の目立つ型落ち中古品だ。
周囲の若手傭兵たちが、ニヤニヤとあからさまな陰口を叩く。
「おい見ろよ、元エース様だぜ」
「噂じゃヘマこいて所属企業に切られたって話だが……あのボロ船で再起しようってのか? 無駄な悪あがきだっての」
ナインベルは視線すら向けない。ただ黙って、合成タンパク質を飲み下した。
その背中には、泥をすするような過酷な日々の中で培われた、鋭く冷たい孤高の殺気が漂っている。
借金を返済する。そして、私を裏切った傭兵斡旋会社VMCに正面切って報復を行う。
その、己が折れないための目標の一つは、綺麗さっぱり解決してしまった。
たった一度のミッションで、借金がゼロになってしまったのだ。
そして、目標は、別の疑問にそっくりすり替わってしまったのだ。
ほんの気の迷いだったとしても、あの男が命を賭してまで私を救おうとしたのは何故か。ユーリーという男と私の接点は、何なのか。それを解き明かさねばならない。
恩返し、ではないだろう。
どちらかといえば「馬鹿野郎っ!」と罵声を浴びせたい気持ちの方が大きい。
しかし。
「リリー」
味もそっけもない、合成たんぱくをチューブから吸いだしながら、ナインベルは亡くした親友に思いをはせる。
あの男は、最後にその名を告げた。
ならば、そこにこそ、あの男につながる何かがあるのだろう。
「はぁぁ!? フリゲート艦、丸ごとだと……っ、しかもほぼ無傷で2隻!?」
——そんなナインベルの懊悩のような思考を、ギルドの査定窓口からあがった驚愕の声が突き破ったのだった。




