般若
ホログラムであるはずのサクラに右手を取られ、そして、輸送艦接続用コンテナの中に存在する里山異空間を案内されるファンタジー。
電子妖精の掌の感触と、その温かさ。
そして、足元の土の感触や、草木の香りに僕が圧倒されていると、突然、空いていた方の左手も、しっとりとあたたかなものに包まれた。
「リリー?」
僕が振り返ると、リリーが僕の手をにぎにぎしている。
若干、対抗心があるのだろうか。両手でやさしくにぎにぎしながら、ホログラムが触感を持つメカニズムを推測してくれる。
「サクラの触感は、局所的な空気圧操作であると推測されます。ご存じですか、ご主人様。時速60kmの風圧は、おっぱいの感触に近いのだそうですよ?」
……が、後段の知識というか例示はいったい何なのだろう?
「まずは、ウチの領域の真骨頂をご覧に入れますえ!」
緋色の袴の裾が、湿った黒土の上でリズミカルに跳ねる。その背中からは、先ほどまでの恐怖が嘘のように消え失せ、彼女を構成する色とりどりの粒子に、底知れぬ尊敬と興奮のオーラが漂っている。
「こちらが自慢の畑どす! 時空間操作の位相加速を組み込んでおりますので、大根、白菜、山葵……どんな気難しいお野菜でも、主神様のご希望あらば一瞬で最高の状態に実らせてみせます!」
サクラは空中にスッと片手をかざし、光のホログラムの栽培リストをユークの目の前に展開する。青く発光する微粒子が瞬時に集まって文字を成す様は、もはや科学なのか魔法なのか区別のつけようがない。
「お次は――あちらの黄金色に輝く一帯どす!」
ぴょんと小気味良く跳ねながら、サクラはさらに奥の区画へと案内する。
そこには、遮るもののない宇宙空間にいることを完全に忘れさせるような、豊かな実りをつける稲穂の群れが広がっていた。
「言わずと知れた田んぼどすえ! 時空間操作の絶妙なフィードバックにより、いつでも宇宙一のベストコンディションを維持した新米が、無限に収穫可能となっております!」
サクラは恍惚とした表情で自分の頬を両手で包み、うっとりと身悶えた。
炊き立ての白飯がもたらす至福の未来を想像しているのか、彼女の口元には隠しきれない笑みが浮かんでいる。
「あれ…、さっきまで青々としてなかった?」
「はい。私の映像ログでも、この空間に入った当初は、稲穂は実っておりませんでした」
「何でもあり、ってことなのかな」
「彼女はこの空間の支配者です。おそらくは…」
僕とリリーは、若干狐につままれたような顔をしながらぼそぼそと意見を交わしあう。
「さらにですね、地下水脈のミネラルバランスを完璧に調整して仕込んだ純米酒が常時飲み放題の『酒蔵』に、極上の淡水魚が泳ぐ『小川』、朝採れのホカホカ卵が手に入る『鳥小屋』まで完備してあります!」
早口でまくし立てたサクラは、ふぅ、と息を整えると、再び潤んだ瞳を真っ直ぐにユークへと向けた。
「これらはすべて、偉大なる主神様への賜物どす……! この完璧なエコシステムを、どうぞご自由にお使いくたさいまし!」
「あ、ああ……ありがとう。すごいな、でも、コストはどのように賄っているんだ?」
「コスト?」
こてりん、と、可愛くサクラが首をかしげる。
「演算力なら、巫女神様から過剰なくらいに頂いておりますぇ」
「え…? それだけでいいの? 電力は?」
と僕は尋ねるも、サクラはフルフルと首を振る。
「他はすべてが自然の営み。――草木は種から芽吹き、命は親から子へと受け継がれます。それらの循環のすべてを演算しつくし、虚空間に半永久的に再現し続けるのが、ウチらの技術の真骨頂でございます」
そういってほほ笑むサクラは、先ほどまでのコミカルな様子が嘘のように、ふっと纏う空気を変えた。
「これでご案内は終わりでございます。主神様、早速何かお持ちになりますか? 長期停止状態から復帰したばかりでございますけど、巫女神様からいただいた神気のおかげで、どの作物も、ええ感じに実っておりますぇ」
粒子が一瞬で文字をなし、農作物や魚、獣の目録が僕の周囲に展開する。
時刻としてはお昼時のはずだ。
朝食は、メンタルを全力で殺しに来る、ケミカル栄養ペーストだったので、昼食こそは、心温まる材料をチョイスしたいところである。外せないのは主食のコメ。次いで、商業メガコロニー『グランド・バザール』ではお目にかかることのなかった魚だろうか? 日本酒も魅力的だが、真っ昼間から酔っぱらうわけにはいかない。
「あの、……ご主人様、楽しく葛藤中のところ、大変申し訳ないのですが」
リリーがおずおずと声をかけてくる。
うん、分かってる。僕の電子戦インプラントにも届いているけど、あえて無視してたんだ。だから――
「許すまじ!!」
「まぁ」「ひぃぃ」
局地重力震を感知。
ヴェルテブラ周囲を取り囲むように、所属不明船が数分後にワープアウト予定とのことだ。
十中八九、宇宙海賊だろう。
ウケモチドメイン開封のため、コロニーから離れた宙域にいることと、リリーの本気モードで、大電力・大熱量を発生させたことによって、良からぬやつらのスキャンに引っ掛かってしまったものと思われる。
心豊かな昼食を思い、とろけ切っていた僕の顔が、ユーリーの知識の発露と、この幸せを邪魔されたことによる僕自身の怒りによって、一瞬般若の形相になり、
「凛々しいご主人様も素敵です」
「あらにゃ~っ! おおお、お怒りをお鎮め下され主神様~!!」
2人の女性にまったく別の感情を抱かせながら、僕はリリーを連れて、足早にブリッジへと戻るのだった。




