巫女
「……それで、その『記録に残るわずかな開封例』だと、管理者たる存在にどう接したことになっているんだい?」
僕の問いに、リリーは一瞬だけ虚空に視線をさまよわせると、眠る少女を見つめながら、淡々と事実を口にした。
「そうですね、アルカディア農芸の記録によれば、『巨大電子知能をもって管理者の意識を書き換え、完全従属させようとした』とのことです」
「え? そんなデータ、どこに転がってたの」
「今度は、信憑性の低い都市伝説系を優先的にサーチしたところ、無数に転がっておりました」
「なるほど……。攻撃しようとしたから、手痛い反撃を食らった、って感じかな?」
「はい。おっしゃるとおりです」
リリーが、あどけない寝顔のホログラムを見つめながらうなずく。
「扉が開くどころか、逆に苛烈なカウンターハックを受け、全データを、バックアップを含め全て『カカシの絵文字』に書き換えられたそうです」
「か、カカシ……」
表現はコミカルだが、被害は甚大、阿鼻叫喚の地獄絵図が容易に想像できてしまう。
研究データから営業、顧客、人事、給与と、あらゆるデータがすべてがカカシになってしまったアルカディア農芸。
そりゃ、倒産するよね、とテクノロジーに携わる者として冷や汗が止まらない。
――改めて。
僕たちはゴクリと唾を呑み、眼前の少女を見つめる。
ホログラムのくせに、何故か涎をたらしながら眠るという芸の細かいことをやっているのだが、今の話を聞いた後では、この涎すら何か裏の意味を持った演算の結果に思えてきてしまう。
「リリーなら、いけるの?」
「問題ありません」
リリーは自信を持って頷く。
「私たちに、悪意はありませんから」
「悪意?」
「……ふふ、不思議ですね」
リリーはどこか嬉しそうに、小さな唇をほころばせた。
「このコンテナの鍵を解除した時、私の深い階層にある『何か』が、かすかに目覚めた感覚がありました。言葉にするなら……ゆりかごを揺らすような、とても静かで、心地よい感覚でした」
「ゆりかご……、か」
このキーワード、リリーから何度か聞いた記憶があるし、実は、ユーリーの知識にもそれに符合するものがある。
「はい。私にとって、何よりもかけがえのない大切な機能です……。それを使ってこの子に呼びかければ、きっと怖がらせずに目を覚ましてもらえるはずです」
リリーは指先をそっと重ね合わせ、愛おしい記憶を確かめるように睫毛を伏せた。
「今回も、きっとうまく届くはずです。……私の願いは、ユーク様に、この穏やかな場所をお贈りしたい、ただそれだけです」
リリーは可憐に微笑むと、眠る少女を守るバリアの表面へ、白磁の指先をそっと滑らせる。
「お目覚め頂けますか? 電子の妖精様」
——次の瞬間。
リィン、と澄み切った鈴の音のような音が空間全体に共鳴した。
幾何学模様のバリアが瞬時に拡散し、光の粒子となって消えていく。
凍結されていた時間が動き出したかのように、少女の長いまつ毛が、微かに震えた。
「……ふぁ……ぁ……」
愛らしい欠伸とともに、可憐な少女が目を覚ます。
ゆっくりと開かれた瞳は、濡れた黒曜石のように輝いていた。
彼女は宙に浮かんだままくるりと体を回すと、着物の裾をふわりとなびかせ、僕たちに向かってしとやかに一礼してみせる。
「……お初にお目にかかりますぇ。ウチは時空間制御インターフェース——ウケモチドメインの管理を司る者、サクラでございます。ここへ足を踏み入れはったお方、我が領域の意を——」
そして、なんとも品のある、はんなりとした言葉遣いで口上を述べ…。
「——あらにゃ?」
名乗りを上げかけた少女の動きが、ぴたりと固まった。
「にゃ?」
と、釣られてリリーが首をかしげるのが可愛すぎる。
しかし電子精霊の少女は、そんな愛らしいリリーを見つめて、ムンクの叫びのようなポーズをとって青ざめているではないか。
「……な、なん……なんですの……? この、底の知れん『神気』は……っ!?」
「シンキ…? 古代文明に、この謎の演算リソースを表現する概念が在るってこと?」
僕も、電子戦インプラントを介し、電子精霊サクラのシステムに、リリーから供給され続けるデータに触れることができるが、その手触りは、デジタルというよりはアナログ。それ故に1と0の境がなくて、その1と0の間に、無限の可能性を圧縮梱包しているような、そんなデータ構造が見て取れる。
「えっと、これ、うかつに展開したら頭パーン、って弾けるんじゃない?」
そんな、戦慄すら感じさせるデータであった。
圧倒的。無限的。
宇宙そのものから演算を引き寄せて叩きつけてくるような、常軌を逸した超高密度演算データ。
「あ……ああら……あら……っ!?」
当然ながら、それを受け取った電子妖精も、先ほどまでのはんなりとした雰囲気が一瞬で吹き飛ぶ。
彼女は「あらにゃ〜!?」と変な声を上げながらジタバタと手足をバタつかせると、裾の乱れもなりふり構わず、地面へとトスンと転がり落ち、そのまま前方3回転、見事なローリング土下座を決める。
「ゆ、赦しておくれやす〜っ! あ、圧が! 圧がすごすぎますえ〜っ!!」
「あのデータを展開したの……!? いや、あれが、彼女らの通常言語だとすると、展開せざるを得なかった……??」
目の前で髪を振り乱して慌てる少女を見下ろし、僕は思わず引きつった笑いを浮かべる。そりゃ、巨大企業のサーバだって、一瞬で吹っ飛ぶのも納得だ。
「あらにゃ、あらにゃ! これ以上『神気』を流し込まれたら、ウチの回路が焼き切れてしまいますぅ! 演算を、演算密度を半分に下げておくれやす〜っ! ぅひぃ〜んっ!」
可愛らしいお顔も、涙と鼻水でどろどろである。
が、彼女はホログラムなので、システムがローリング土下座から涙鼻水を三次元描画しているわけであり、意外とまだリソースに余裕があるのかもしれない。
「ええと、リリー!? 演算供給、少し落とせる!?」
「あ……申し訳ありません。あまりに軽微な出力だったため、絞る制御に一瞬の遅延が生じました」
「へ? 軽微、だったの?」
「はい、やさしく起こすつもりでしたので、出力はほんの3%くらいでした」
リリーは困ったように首を傾げている。
「化け物どす! 神様どす! 滅びのカラクリ巫女神様どす〜っ! ウチは、サクラは、あなた様に全面服従いたしますぅぅぅ~っ!」
号泣しながらパタパタと手を振り、へへぇ! とばかりに地面に平伏するサクラ。
「え、ええとぉ、……これは、僕たちの配下に入れることができた、ってことで良いのかな?」
本人的には優しく起こしたはずが『滅びのカラクリ巫女神様』なるものに認定されてしまい、瞳のハイライトが消えてしまったリリーに僕は尋ねる。
さっきまでの幻想的で神秘的な空気はどこへやら、気密コンテナの中は、一気にカオスなコメディ空間へと変貌を遂げてしまったのだ。




