開封
そして開封の儀、である。
ジャンク街で購入し、コロニーの物流ネットワークに乗って、そして宇宙港に配達されてきた無骨な金属コンテナが、無事、母艦『ヴェルテブラ』のトラスフレームへと滑らかに接近していく。
電磁誘導ガイドが励起し、宙に青白い微光のラインが描かれた。
「コンテナフレーム、アライメント合致。誘導電磁磁束、正常値です」
リリーの透き通る声がブリッジに響く。
可憐なメイド服の袖をすっと整え、指先をコンソールへ這わせる立ち姿は、隙のない凛々しさに満ちていた。
「電磁・油圧ダブルロック、励起。カプラーシークエンスを開始します」
——ガチャンッ!!
おんぼろ船の骨組み全体を、ズシリと重い金属衝撃が揺らした。
フレーム側とコンテナ側、双方の爪がガチリと噛み合い、物理固定が完了する。
『物理結合、完了。二重ハッチ間の空気抽出を開始します』
機械アナウンスとともに、接合部から「シューッ……」という高い減圧音が鳴り渡る。
間髪入れず、ライフラインのカプラーが重厚な金属音を立ててカチリと噛み合った。電力ライン、データバス、環境維持パイプが、一瞬で母艦と接続されていく。
「ユニバーサル・インターフェース認証、完了いたしました。本コンテナをユーク様の管轄区画として物理登録。……接続完了でございます、ユーク様」
接続シークエンス完了。
本来なら、ここでブリッジのモニターに「アクセス許可」の青いシグナルが点灯するはずだった。
しかし――リリーの可憐な指先が、空中操作用のホログラムパネルの上でピタリと止まった。
「……さすがに、このまま自動開封というわけにはいきませんね。ならば私がお相手いたしましょう、覚悟しなさいっ! 半世紀前の大企業を滅ぼした『古代遺産の呪い』!」
透明感のある美しい声音に、ほんのわずかなノイズ――高揚の波紋が混じる。
大真面目なリリーには申し訳ないが、メイド服のお尻のあたりに、ぶんぶん降られる尻尾を幻視し、僕は笑いをかみ殺す。
***
そして、30分ほどが経過。
「ふぬぬぬぬっ、このコンテナの制御プロトコル……既存の標準規格のどれとも合致いたしません! 旧メガコーポの暗号解読キーはもとより、軍用規格の階層構造とも根本から異なっています。……いえ、暗号という概念そのものが歪んでいます。まるで、空間の次元配置をあらかじめ誤認させているかのような、破綻した数式です」
リリーの、若干しりすぼみな報告。ぶんぶんと降られていた幻のしっぽは、今度は股の間に隠れてしまったかのようだ。
「……ふむ、僕がモスキートを飛ばして、直接ポートに物理侵入させてみようか?」
シオシオしてしまったリリーに、僕は努めて穏やかな声をかけ、ポケットからベースカートリッジを取り出す。これは文字通り、モスキートの基地であり、充電から簡易修理までを自動で行ってくれるデバイスなのだ。
「いえ、危険です」
だが、リリーは首を横に振った。
「ユーク様、まだ物理レイヤーすら定義されていません。……こうなったら別アプローチを試みます」
「え?……こうなったらって……?」
リリーの瞳の奥で、無数のデータ列が凄まじい速度で流れていく。
彼女はシートに腰かけ首の後ろからコネクタを露出させ、『ヴェルテブラ』に有線接続する。
「え? ま、まさかの本気モード!?」
僕のユーリーの知識が、この状態のリリーは『ヴェルテブラ』の三つ子リアクターから直接大電力を引き出せるようになることを教える。
「こーれーでーもーくーらーえーっ!!」
「ちょ、リリーさん!?」
直後、『ヴェルテブラ』のリアクターが協調動作のユニゾンを奏でる。トラス背面に展開された大型ラジエーターパネルが朱色に発光し、ブリッジの温度がぐっと上がる。
「おおおっ!?」
こんな時のために、と、船はすでに宇宙港を出港し、現在はなにもない宇宙空間に停泊中だ。
「――警告。メインプロセッサ占有率、五〇%を突破――」
「――ヴェルテブラ、排熱処理、追いつきません。冷却液気化の危険性――」
(えっ!? ヴェルテブラ全開でも、リリーさん的にはまだ半分なの!?)
コンソールに流れるアラートに、僕は戦慄する。
「くっ……! 私の演算資源の半分を投じても、第一層の『定義』すら見えません……! コンテナ一つに、恒星系規模データセンター並みの計算量が要求されている……!?」
リリーの額に、本来アンドロイドには存在しないはずの「汗」のような結露が浮かぶ。
「これは確実に当たりです、ユーク様! こんな代物が、ただのジャンクコンテナのわけがありません。宇宙の局所的な物理法則そのものをねじ伏せ、歪めたまま維持している『領域』そのものです!!」
解錠は不可能。撤退し、物理的な破断を――そう、リリーの安全回路が警告を弾き出した、その時だった。
――トクン。=====
最高品質の人工物で組み上げられた「私」の胸の奥で、存在しないはずの鼓動が小さく跳ねた。
「私」自身、何が起きたのか全く理解していなかった。
ただ、「これが本当に農業プラントなら、目の前の扉を開け、ユーク様に美味しいご飯を食べていただきたい」という切実な想いが胸を去来した瞬間――、電子頭脳の暗がりの、自分自身すらアクセスする術を忘れていた基盤の深部から、微小な熱が生まれたのだ。
演算を行ったのではない。
膨大な数式を解いたのでも、防壁を粉砕したのでもない。
ただ、宇宙という巨大な計算機構の隙間に指先を滑り込ませ、『最初から扉が開いていた現実』を、強引にこの手の中に手繰り寄せたかのような――理を無視した感覚だけが「私」のログに残った。
カチリ。
静寂のブリッジに、小さく清涼な電子音が響く。
あれほど高らかに歌い上げていた三つ子リアクターのユニゾンが、今は嘘のように静まり返っている。
そして、モニタに写されていた重厚な気密ハッチの爪が滑らかにスライドし、内部の空気が少しだけ周囲に混じる。
「……え?」
空調のモニタリング結果にアクセスすれば、それは宇宙船特有の無菌的なリサイクル空気ではない。
湿り気を帯びた土の匂い。青々とした葉が擦れ合う薫風。
まるで、どこか遠い豊かな星の「呼吸」そのものが、ぬるい風となって通路に漏れ出しているかのようだ。
「解錠……完了……? また、ゆりかご? いま、私は……何を……?」
自分の白く繊細な指先を見つめ、「私」はパチパチと素直な驚きに満ちた目を瞬かせた。
ログを見返しても、開錠の記録は一切残っていない。ただ「気がついたら開いていた」という、ハッカーとしてもアンドロイドとしても説明のつかない奇跡がそこに刻まれている。
「やったっ! 凄いじゃないかリリー? リリー?」
胸の奥底――人工の強化筋肉と臓器とが交差する中枢のさらに奥で、微かな熱が揺らめいている。
それは過負荷の余熱でも、エラーのアラートでもなかった。
まるで、冷たい金属の胸郭の中に、小さな生命の種子が芽吹いたかのような――どこまでも心地よく、穏やかなぬくもり。
(……私の中に、何か……)
言葉にならない問いが、思考回路を駆け巡る。
この胸の、あるいは電子頭脳の奥に眠るものは、何なのだろうか? 今、最も確からしく算出されるのは、冷酷な数式と計算の果てにある「予測」を超えて、まだ見ぬ未来を、大好きな主との時間を、どこまでも肯定し、引き寄せてくれる――
「温かな可能性…?」
理由も、仕組みもわからない。けれど、このぬくもりがある限り、自分はどんな困難からも主を護り抜くことができるのだと、「私」は電子頭脳ではなく「心」で直感していた。
「……リリー? 大丈夫かい? 急に静かになったけれど……」
背後から、主の、少し心配そうな、穏やかな低音が聞こえてくる。
その声を聞いた瞬間、溢れ出した未知の感傷とぬくもりが胸いっぱいに広がり、「私」の感情回路が処理速度を超えて飽和した。
「っ……ユーク様……!」
「うわっ……!? り、リリー……!?」
「私」は無意識に振り返るや否や、すがりつくようにユーク様の胸元へと飛び込んでいた。アンドロイド特有のしなやかで強固な腕が、ぎゅっとユーク様の腰を抱きしめる。布越しに伝わる主の体温と、トク、トクと刻まれる愛する者の心拍数。
それらが自分の中に芽生えた「未知の熱」と重なり合い、「私」の思考ユニットを甘い充足感で満たしていく。
驚きつつも、主は咎めることなく
「一体どうしたの?……何か、怖い夢でも見たような感覚だったのかい?」
と、優しく「私」の頭に手をポンと添えてくれた。
主の手のひらの暖かさに、ハッと「我」に返ったのはその直後だった。
(あ……っ!? わ、私は主に対して、なんという不調法を……!)
自身の感情ログに記録された「突発的抱擁アクション」を客観視した瞬間、「私」の人工皮膚の下で排熱回路が急速に活性化し、真っ白な頬がポッと朱に染まるのが分かる。
スッ……と、流れるような手際と速度でユークから身体を離すと、「私」は何事もなかったかのようにメイドドレスのスカートをそっと整えた。生まれる「名残惜しい」という概念を、そっとエラー領域に押し込む。
「……失礼いたしました、ユーク様。ハッキングの反動による、アクチュエータの可動域の一時的暴走でございます」
「我」ながらずいぶんと苦しい言い訳だな、と思う。
「暴走にしては、ずいぶんと優しくて、でも、情熱的な抱きつき方だったけれど……」
(――お願いします。そこは突っ込まないでくださいっ)
頬の熱が引かない。
「エラーでございます。すでに修正プログラムを適用いたしましたので、ご心配には及びません」
存在しないはずの鼓動のようなものは、高鳴るばかりだった。
=====――トクン。
(……何この可愛いメイドさん!?)
赤くなった耳の先端をそっと髪の毛で隠しながら、すっと表情を引き締めるリリーに続いて、僕は、そんな思いを抱きながら封印の解かれたコンテナへと赴く。
若干距離の縮まった、主従が向かうその先には、驚きの風景が待ち構えているのだった。




