滑稽な軍議・二
「私は法家ではありません」
僕は間髪を入れずに否定した。広間に漂う冷ややかな視線――特に儒家たちの「出たな法家め」と言わんばかりの蔑視を払いのけるように、大きく首を振る。
「では何だというのだ! 軍功爵などという、功績を首の数で測る非道な制度を勧めておいて、法家でないとシラを切る気か!」
老儒者が青筋を立てて詰め寄ってくる。
「私は斉を思って、戦時の制度として軍功爵を言及したまでです。……そもそも、貴方方が尊ぶ荀子でさえ、その著書で斉の兵制を嘆いておられたのをご存知ないのですか?」
老儒者の眉がぴくりと動く。
「荀子は『斉の士は敵の首級一つを得れば贖罪の金よりわずかな褒賞を得るのみで、明らかな軍功の制度がない。これでは兵が命を懸けるはずがない』と厳しく指摘されている。荀子は儒家ではありませんか? 兵の賞罰を論じることが即ち法家だというなら、荀子も法家だとおっしゃるおつもりですか」
反論の言葉を失い、ぐぬぬと口を噤む老儒者。僕は内心でほっと息をついた。よし、とりあえず法家認定のレッテル張りは回避できた。
「子安先生……!」
安平君がまるで救世主を見るような目で僕の手を握りしめてきた。
「やはり貴方はただ者ではない! どうかこの鎮西城を、そして斉を救う具体的な策をお授けください!」
嫌だ。絶対に嫌だ。僕は歴史を変えたくない。
「安平君、私は小役人に過ぎません。実際の指揮など――」
「先生。私は、この戦で退くつもりはありません」
安平君が僕の手を握る力が増した。その目は笑っていない。
「秦軍は此度の戦の目標を『田仲の首』と定めていると、我が食客からの報せにあった。つまり、私の側にずっといる先生も、秦軍の刃から逃れることはできないのですよ」
……脅しかよ!
道連れ確定の笑顔に、背筋を冷や汗が吹き出す。その固く握っている手を、どうか離してください!!
死にたくない。生き残るためには、頼りない斉兵一万で、秦の精鋭二万を追い払うか、最低でも後退させなければならない。
大丈夫。こんな小規模な戦争で大きく歴史が変わることはないはずだ。
僕は諦めて腹を括り、広間の中央へと歩み出た。
「……わかりました」
僕は机の上の地図を指さした。
「戦争とは、国家において最も非生産的な行為です。孫子によれば、十万の軍を動かすには一日に千金の費用がかかるとされます」
日本円にすれば一日約六十億円の出費だ。
「つまり、李信が率いる二万の軍勢であっても、秦は一日あたり二百金の莫大な戦費を支払っている計算になります。秦は趙との数年に及ぶ激戦を制したばかり。さらに南には楚という大国を残している。相当国家に負担をかけているはずです」
儒者や道者たちが息をのむのが分かった。
「秦王政が、若く勇猛な李信を将に選んだ理由もそこにあるのでしょう。彼らが求めているのは短期決戦です。少なくとも、楚という難敵を残している今二万の兵をダラダラと遊ばせている余裕はありません」
「おお……! では先生、李信を誘い出して罠に嵌め、一気に叩くのですな!?」
安平君が目を輝かせる。だが、僕は容赦なく首を振った。
「無理です。秦の諜報網は極めて優秀です。生半可な罠など見破られるのが落ち。第一、あちらは百戦錬磨の強兵二万、こちらは訓練も行き届いていない弱兵一万。仮に罠に嵌めたところで、正面から力づくで食い破られるのが目に見えています。今の斉軍に、複雑な高等戦術など不可能です」
「な、ならばどうすれば……!」
絶望的な顔をする安平君。
僕は周囲を見渡し、あえて広間全体に聞こえるような声で言った。
「具体的な戦略については、安平君と二人きりでお話しいたします」
「なにごとだ!」「我らを信用できぬというのか!」と食客たちが騒ぎ出す。僕は彼らを冷ややかな目で見据えた。
「秦の諜報能力を甘く見ないことです。この中に、秦の間者が一人も紛れ込んでいないと、誰が断言できますか?」
広間が、凍りついたように静まり返った。互いを疑う視線が交錯し、食客たちは誰もそれ以上口を開くことができなくなった。
「行きましょう、安平君」
僕は食客たちに申し訳なさそうにペコリと頭を下げる安平君を促し、重い沈黙に包まれた広間を後にした。




