孤独な運命論者・三
「先生、よくぞいらっしゃいました。ささ、どうぞお座りください」
長い白髭を蓄えた人物が、料理の並んだ机へと座るよう促してくる。この好々爺こそが安平君なのだろう。背が高く、右手に杖を持ち、少し腰が丸まっている。
「おお、これは美味そうだ」
僕は挨拶もせずに、ずかずかと席に着いて箸を手に取った。無礼にも程がある。即刻、首を刎ねられてもおかしくはない。
けれど、安平君の性格と、今この状況を考えれば、それはさすがにない……はずだ。招賢令に応募してきた人材を斬り捨てた、なんて噂が広まれば、次から誰も来なくなる。
内心、無礼な態度を取ってすみません、と平謝りだ。
「……先生は随分と腹を空かせているようだ。気に入ったものがあれば、追加で持ってこさせましょう」
安平君は目をパチパチさせながら、ゆっくりと言葉を絞り出す。動揺を必死に隠そうとしているのが丸わかりだった。
「一人前では足りません。二人前は欲しいですね。そもそも、このような粗末な食事を一人前と呼べましょうか」
「……お、おう。……これ! 先生をお待たせするでない!」
僕のとんでもなく失礼な態度に、安平君はますます戸惑いを深める。それでも怒る様子は一切見せず、追加の料理を運ばせた。
こうなったら、と僕はさらに失礼を重ねることにした。
「この邸宅には豪奢な車馬がいくつも並び、蓄えも十分にあるように見受けられます。それにもかかわらず、飢えた士を野放しにするとは何事でしょうか。故に士は離れ、大した人物が集まらないのです」
「むむ……なんとも難解な。先生、どうか先生の言葉の裏に隠された真意を、私が考える時間をいただきたい」
そう言うと安平君は長い髭を撫でながら、うんうんと唸り始めた。どうやら僕のこれまでの言動に、何かしら深遠な意図があると本気で考えているらしい。
――単純に、失礼な態度を取って不採用にされたいだけなんだけど。
出された料理に入った牛肉に舌鼓を打っていると、不意に安平君がパンッと手を叩いた。
「分かりもうしたぞ! 先生は斉の現状についてご指摘なされたのですね!」
「えっ? ……そうなんですか?」
僕の間の抜けた疑問の声は、興奮する安平君の耳には届いていないようだった。
「一人前では足りないとは、軍功を挙げた兵士への褒賞の少なさ。蓄えも十分にあるとは、斉の財力。つまり先生は、我が国にも秦のような軍功爵を導入せよ、と仰りたいのですな!」
「……まぁ、それは昔から思ってましたけど」
「よしっ!」
安平君は何度も何度もガッツポーズを決める。白髭豊かな好々爺が、興奮のあまり、年甲斐もなく拳を握りしめて震わせていた。
「しかし先生。私も昔、宰相を務めていた頃、斉に軍功爵を導入しようとして失敗してしまいました。どのようにすれば……」
しょぼんと眉を下げ、本気で思い悩む安平君。さっきまでのガッツポーズは何だったのだろう。感情の振れ幅が忙しい老人だ。
その姿を見て、僕はつい口を滑らせてしまった。
「秦の軍功爵制度を、そのまま模倣して導入しようとされましたか?」
「ええ、その通りです」
「それでは斉ではうまくいきません。秦の軍功爵とは、さっくりと言えば身分に関わらず戦場で首級を挙げた者に土地や爵位を与える制度です。農民だろうが何だろうが、出世の機会が与えられます」
だからこそ秦人は、首狩り族へと変貌してしまったわけだが。
「これは特権階級の人々を脅かすことになります。そのまま斉に導入すれば、斉の貴族たちからの猛反発は必至でしょう」
秦はもともと辺境の国で、特権階級の数自体が少なかった。対して斉は、要職をすべて田氏で固めた強固な血縁主義国家。実力主義とはまさに水と油の関係だ。
「では先生、どうすればよいのでしょう?」
安平君の真剣な眼差しが僕を貫く。
その視線に気圧される。
それから、田嘉さんやあの趙の士卒、馬商人たちの顔が頭に浮かんだ。
意図せず言葉が漏れてしまう。
「斉の強みは財力です。戦功に対して土地や爵位を与えるのではなく、金銭や免税を与えればよいのです」
「……なるほど。確かにそれならば貴族どもも反対せんでしょうし、今の斉兵のように戦場で強敵と遭遇した際、すぐに逃亡する者も減るでしょう」
安平君は深く納得したように、うんうんと何度も頷いた。
「さすがは先生でございます。この田仲、恐縮至極にございます。どうか、至らぬ私めに、さらなるご教示を賜れませんでしょうか」
安平君は両手を胸の前で組み、瞳をキラキラと輝かせながら僕を見上げてくる。まるで憧れの人を前にした少女のような、あの熱っぽい眼差しだ。
――あれ、おかしいな。
失礼な態度をとって、盛大に嫌われて、めでたく不採用になる。そのはずだった計画は、一体どこへ消えてしまったのだろう。




