孤独な運命論者・二
臨淄の市場は、夕方だというのに人で溢れていた。
荷車が何台も連なって道を行き交い、その脇を商人や職人、子供たちが縫うように歩いている。
「魚はいらんかね! 今朝、海から届いたばかりだよ!」
「こちらの布は南方から入った品だ! 見ていってくれ!」
「酒が入ったぞ! 今日は安くしておく!」
あちらから商人の呼び声が聞こえれば、こちらからは鍛冶屋の槌を打つ音が響く。店先には魚、肉、野菜、穀物が並び、その隣では酒を売る店が客を呼び込んでいる。
少し先には色鮮やかな布を並べた店があり、その向かいでは青銅器や陶器が売られていた。
道端では子供が銭を握りしめ、どの菓子を買うか真剣な顔で悩んでいる。その横を、酒を飲みながら談笑する男たちがたむろしていた。
仕事の途中なのか、それとも終わったのか。少なくとも、秦との戦争が迫っているとは思えないほど、街には活気があった。
さらに歩けば、聞き慣れない言葉が耳に入る。
「……趙人ですかね?」
振り返ると、ボロボロの鎧をまとった趙人が、馬商人と値段の交渉をしていた。馬商人の方は恐らく楚人だ。
「商人殿。後生である。どうかもう少し安く売ってはくれぬか?」
「旦那様。そうは言われても、馬の商取引に関しては法によって厳しく定められているのです。こればかりはどうしようもありません」
「……むぅ。まことにその通りなのだが。しかし、私は代へ向かわねばならぬのだ」
――この人、趙の士卒なのか。
趙の残党が代という地に集まって秦に抵抗している。だから、この人も趙人として代に向かいたいということなのだろう。
かっこいいとは思うけれども、歴史を知る僕からすれば無駄な抵抗としか思えない。
感銘を受けた馬商人がパンと手を叩く。
「なんという御仁でしょうか! わかりました。馬は値下げできませんが、穀物や馬具はタダで差し上げましょう!」
「……おお!」
あの趙人も含め、野次馬たちが感嘆の声を上げる。野次馬の中で唯一声を上げなかった僕は、斉人として失格なのだろう。
居心地が悪くなり、そそくさとその場から離れる。背後からはおどろおどろしい叫び声が聞こえてきた。
「暴秦に天誅を!」
「秦の首狩り族どもの首を斬り落とせ!」
「みな、感謝する! 秦の蛮族どもを百人討つことを誓おう!」
趙人の高らかな宣言。
「真三國無双か何かですか。時代が数百年前ですよ」
小さく呟くと、僕は安平君の館へと足を進めた。
――――…
貴族街に入ると、道を行き交う者たちの身なりが明らかに変わった。道幅は広く、路面もよく整えられている。
道の端を歩く僕の隣を、二頭立ての馬車が轟々と通り過ぎていった。車体には漆が塗られ、金具には惜しげもなく金が使われている。
馬車には丸々と肥えた男が乗っていて、首がどこにあるのか分からないほどだ。右手には果実を、左手には美女を抱き、高らかに笑っている。
「……呑気なものですね」
小さく吐く。
館へ向かう道中、この三日間で集めた安平君の情報を頭の中で整理した。
安平君田仲。
田単将軍の息子だが、軍事の経験はない。
齢六十一。斉最大の封君で、三万戸の領地を持つ。
領民からの評判は良い。五年から十年に一度、民たちの債権を焼くという好感度稼ぎのイベントを行っているからだ。
過去に宰相を務めたことがあるが、その際にこれといった実績を挙げているわけではない。
倹約に努め、穏やかな性格で器は大きいが、さほど頭は回らないようで、債権焼きのイベントも、優秀な食客からの進言によるものらしい。
「……性格の良い貴族、というところでしょうか?」
そんなことを考えているうちに、安平君の館の前に到着した。門の前には二人の門番と、召使い風の男が一人立っている。
「招賢令に応募されしお方でしょうか?」
召使風の男が恭しく尋ねてきた。
「はい。田寧子安と申します。私は若輩の身ゆえ有力者との伝手がなく、是非とも安平君とお近づきになりたく参りました」
「……なるほど。どうぞ中へ」
召使風の男は、一瞬だけ軽蔑の表情を浮かべた。
まぁ、そうだよな。
求められているのは賢者であって、欲望丸出しの若造ではない。
第一印象を悪くしておけば、きっと僕が採用されることもなくなる。安平君との会話でも、欲望剥き出しの小人を演じるつもりだ。
斉が七年後に滅びることを、僕は知っている。だから、出世するつもりなど端からないのだ。
――後世、僕が無礼な態度をとったのは安平君を試すためだったと歴史書に記されることなど、知る由もなかった。




