戦後の凪・四
ここは安平君の封地である安平。
鎮西城から帰還して二日、戦後処理はまだ済んでおらず莫大な量の竹簡が机に積まれていた。
既に十一月に入り、季節は冬へと移っている。袖の長い厚手の衣を纏うも、露出した指先だけは冷えてしまう。
時折筆を置いては、隣の暖で手を温めた。
「黒岩村は終わったので次は祁山村。達は首級はないが斉兵六人の命を救った。銭六百。……豹は七人討ち取った? リアルバーサーカーですね」
エアコンのない紀元前。暖を取るにも換気は十分に行う必要がある。喋るたびに口から白い息が漏れた。
兵士たちへの恩賞は合わせて銭百万を優に超え、小市民である僕にはちょっと理解できない金額になっていた。
それに加え、手足を失った兵士や戦死者の遺族への手当、戦争そのものの費用。これらを合わせるともう訳が分からない。
戦争が非生産的な行為であることを痛感する。
「他領から流入した民への処遇も急ぐ必要があるし……」
僕のせいで導入された軍功制度の結果、安平では領主様のために戦争に行けば租税と労役が免除されることが知れ渡った。
戦争で功を挙げれば手厚い恩賞が、仮に死んでも遺族に手厚い保障がある。この噂が広がり、貧民を中心に他領から人が流入しているのだ。
パキッと、薪が割れる甲高い音が響く。
「なにをしているんでしょうね、僕は」
ポロっと漏らしてしまった軍功制度の話が、間違いなく歴史を変えてしまっている。
――安平君と、これ以上関わるべきではない。
次に安平君が大きな決断を迫られた際、彼は必ず僕に意見を求めるだろう。その時、僕は何もしないという選択ができるだろうか?
例え歴史が変わり、そのせいで多くの人が死ぬと分かっていても、目の前で悩む人を見捨てることができるだろうか?
急に寒気を覚え、火に薪をくべる。煙の匂いが鼻を突いた。
「戦後処理が終わったら……暇を乞おう」
それで、どこか田舎で暮らそう。
安平君から賜った恩賞があれば、十年は質素な生活を送ることができる。そして、十年後には斉は滅びている。
――斉が滅びる過程で、安平君が秦と戦ったら?
安平君は死ぬだろう。それに、あの一万の兵士も。
「本っ当に。なにをしているんでしょうね、僕は」
秦に買収されている宰相の后勝様が、安平君の動きを制すことを祈るしかない。
「子安先生、大変ですぞ!」
閉じた扉の向こうから、安平君のくぐもった声が聞こえてくる。ドタドタと鳴る足音が大きくなり、扉が勢いよく開いた。
「どうかしましたか? 安平君」
安平君の額には冬だというのに汗が滲んでいる。
「宰相の后勝めが私が謀反を企んでいると大王に讒訴し、参内して申し開きをするよう命令が下ったのです!」
「……なるほど」
「確かに私は大王のことを快く思っておりませんが、簒奪など考えたこともありません! 田単の息子である私が、どうして反乱など企てましょうか!?」
安平君はどうしてこうなったのかが分からないといった様子だ。髭を忙しなく撫でるうちに、何本かが顎から抜けゆらゆらと床に落ちた。
「安平君は秦軍を退け、それにより斉中の人から賞賛されています。また、安平でも善政を敷いて領民からの支持も厚いです」
「それの何が問題なのです?」
「秦を退ける私兵を持ち、人気も絶大。英雄田単の息子として斉最大の封地を持ち、主戦派たちを従えている。もしもあなたが斉の王でしたら、この人物をどう思いますか?」
「そ、それは……恐ろしいですな」
安平君が目を見開き、納得がいったようにしみじみと呟いた。
「子安先生、どうすればいいでしょうか?」
この事態を作ってしまったのは、僕だ。手に汗が滲む。后勝様が安平君の身動きを封じてくれるのはありがたいが、安平君の身に危害が及ぶのは違う。
深く息を吸うと、冷たい空気で肺が満たされた。
「恐らく誅殺されることはありません。安平君を殺害すれば主戦派の人々が黙っていないので」
「本当ですか?」
緊張が解けたのか、安平君の強張っていた肩が緩む。
「はい。平身低頭で謝罪し、改めて忠誠を誓う姿勢を見せれば問題ないと思います。それでも許されそうにない場合は、引退や封地の一部の返還を願い出ればよいでしょう」
「わかりました。では、先生も付いてきてくれますかな?」
「えっ?」
正直、僕が同行する必要はないと思うのだが。
「それが、大王様が是非此度の戦を勝利に導いた知恵者と会いたいと仰っているのです」




