第6話 その3
「誰か……誰かぁ!」
黒い煙が天井を隠す。
炎の赤と、鼻の裏側を炙られたのかと思うほどの焦げ臭さ。
突如の揺れと、それによるエレベーターの緊急停止。
打ち付けた頭から血が流れる中、明子は口をハンカチで抑えながらも必死に叫ぶ。
……しかし、誰の返事もない。
「誰か、誰かいませんかッ!」
崩れ落ちてきた天井で出来た瓦礫の山を踏み越えながら、彼女は助けを求める人を探し続ける。
どう考えたって、そんなことをせずに、さっさと避難するか、進を呼ぶかしなければならないはずなのに。
そんなことを、思いつきもしないかのように。
「誰も……いないの?」
しかし、成果はない。
平日の、まだ夕方というには早い時間。
確かに客は少なかったとはいえ、このズラッと並ぶテナントには1人や2人、店員だっていたはずなのに。
「――きゃッ!?」
また、ビルが揺れる。
断続的に、何度も、何度も。
最初の爆発から現在まで、音だけが聞こえる小さい爆発から、立っていられないほどの揺れを引き起こす大きい爆発まで、
以前のガス事故の教訓か、
建物はそれでも多少の崩落で済んでいる。
しかし、火事は広がるばかり。
(あれはマネキン、あれはマネキン、あれはマネキン……!)
赤い炎に包まれた黒く炭化した腕。
瓦礫の隙間から流れ出す液体。
それらから目を逸らし、
しかし、ようやく彼女の頭に避難という選択肢が浮かび上がったときだった。
『……む?』
天井に届くかと思えるほど、高く燃え上がった炎の中に影が現れた。
『そこに誰かいるのか』
それは気味が悪いほど低く、それでいてどことなく心地よさがあった……が、
「ッ!」
彼女の鼓動はむしろ早くなる。
忘れていたものを思い出そうとするように、脳が脈を打つように痛む。
『そう怯えるな、我とてここで人の命が奪われるなど望むところではない』
『大人しくしていれば……』
炎の壁を平然と通り抜ける。
それは獣の足、
猿の手、
硬質化した……猿翁の面。
「あっ……あぁ…!?」
脳が脈を打つたびに、忘れかけた記憶が蘇る。
まるで首を掴まれているかのように、息が苦しくなる。
「あ、あんた……!」
『……む?』
『貴様は……ふはは、不用心だな』
聖人のような衣を纏う猿人。
彼女のトラウマであり、進の宿敵。
史廻天生祭祈
『我に殺されに来たか?』
「ッ……」
ただでさえ煙が濃い中、息がつまり、声が出ない。
『……安心したまえ、殺すつもりはない』
そんな彼女を見て、怪物は肩をすくめた。
『今、黄金の願望器はあの騎士になった……たしか本郷進だったかが持っているからな』
『怒り狂っている彼に使われてはかなわん』
めんどくさそうに鼻でため息をつく怪物、
その人間臭い動作ですら、彼がすれば世界を滅ぼす魔王の動作。
恐ろしいことこの上なはず。
……だが、
彼にトラウマを抱えているはずの明子の反応は……違った。
「やっぱり……あの騎士は進なのね!」
さっきまでの声色とはまるで違う、嬉しそうな声色だった。
『……彼に明かされていなかったか』
『それはちとすまないことをしたか……まぁ、我の知ったところではないな』
『貴様の名前が、緑川明子で相違ないのなら、彼もまた本郷進で相違ないだろう』
怪物はそう言いながら、一歩踏み出す。
『さて……話は終わりだ』
『我も今、忙しい身でね……殺しはしないが…ね?』
能面の、一切変容しない瞳が彼女を見つめる。
彼が一歩踏み出すと燃え広がっていた炎が道を開ける。
気がつけば姿勢を低くしなければ、何も見えず、息もできないほどだった黒煙が晴れている。
「……貴方が、この爆発の犯人なの?」
『爆発の原因……その1人とだけ言っておこう』
彼……祭祈は歩みを止める。
炎に照らされてできた明子の影を踏む、
昨日と同じ距離。
「そう……最低ね」
それだけ距離を詰められてなお、
彼女は毅然と立って、目線を逸らさず睨む。
『……はは、大したタマだよ君は』
そんな彼女に表情の変わらない能面で笑う。
そして……
『おかげで少し話し込み過ぎた』
彼が突如、右に避けた。
次の瞬間、彼女の頭上を謎の光が通り過ぎ、
避けられたその光撃はやがて案内板にヒビのない滑らかな穴を開けた。
『このあいだの光か、物騒なことをする』
『少しズレていたらレディの脳天が塩と化していたぞ?』
「わたしの光は、神が作ったものには効かないので」
「人間の体には害はありません」
明子の背後からゆうゆうと歩いてくる花笑、
彼女の美しい髪は炎に焼かれず、
ただその赤を反射する。
そして広げた白い翼から無数の細い細い光を放ち、祭祈を襲う。
彼はそれを容易く回避する……が、明子から距離を取らざるを得なくなる。
「え、どういう状きょ、うぁ!?」
その隙に、明子の腹にはヘビのように蠢くツタが巻き付き、
彼女は後方に引っ張られ、
「ば、化け物!?」
怪人の姿となった輝照によって受け止められる。
「ちょっ…くっ、は、放して…!」
「……先輩、すいません!」
いきなり現れた見知らぬ怪物に抱えられ、抵抗する明子に爪を突き刺し、
そこから毒を流し込んで無理やり眠らせる。
『ずいぶん手荒だな、レディの扱いを心得るべきなのではないか?』
「手荒……無粋な男に言われたくはないですね」
「人が隠している正体を、本人不在の場で、しかも想い人に明かすとは」
祭祈の飄々とした口調に輝照は嫌味を返す。
『我は知っての通り話したがりでな』
『代価があれば、自身の計画すらペラペラ話してしまう軽い口だ』
『君に、そしてあの占い師にもそうだったように』
そう言いながら彼は自身の面の口元をつつく。
『さて……どうするかね、戦うか我と』
そして、そうおどけながらも彼は輝照を睨み
「……やめておきましょう」
輝照は一瞬明子を見た後、
彼に背を向け、花笑と共に立ち去る。
『そうか、我も忙しいからな……気が変わらぬ内に去るといい』
そして、祭祈もまた、同じく背を向けて炎の中へ消えいくのだった。




