2.たぬきのしっぽはもっふもふなのです
阿止里さんに対する印象を、私は改めているところだ。
この人は、極悪人である。
(離してくださいってば!)
「逃げないと誓う?」
(誓いません)
「なら離せないな」
(かわいらしいもふもふ尻尾がかわいそうでしょう!)
「こきたないべとべと尻尾の間違いだろう」
そう、阿止里さんときたら、焼き魚をエサに私(獣)をうまいこと引き寄せたあげく、尻尾を鷲づかみにしたのよ! 人生で初の体験だよ、なんとも言えないくすぐったさと嫌悪感とが背筋を通って頭の毛穴をぞわぞわさせる。
わき腹をつかまれるような、おしりまわりを押されているような。動物にとって尻尾掴まれるってすさまじく嫌なことなんだな。
最初はあった敬語もとっくにない。神さまですって言ったはいいものの、彼はちっとも信じてないみたい。
まあ、私が阿止里さんの立場でも、涎を垂らして魚の尻を追いかける生き物を神と信じるかどうかは微妙なところだ。
「なんにしても話すたぬきとは興味深い。異国の呪術の類か? おまえ、どこからここへ来た」
どこと言われても。
(遠くから)
「何のために」
私が聞きたい。
というか、一緒に来たはずの拓斗はどこだろう。見捨てられたとかだったらいよいよ泣くぞ。
(ええと! 実はわたしはお使いでして、ここらへんを見て来いって言われてですね、来たばっかりで! なんなら教えてくれませんか、このあたりのこと)
困ったときの質問返しだ。変な汗が出てる気がする。阿止里さんの視線はとてもまっすぐで強い。少しでもおかしなことを言ったら、尻尾を根元からちょん切られてしまいそうな恐怖がある。
阿止里さんは量るように瞬いて、それから尻尾を握る手に力を込めた。私がいよいよ硬直すれば、檻に顔を近づけて目を覗き込まれる。
「何を隠している? おまえの焦りようは不自然だ。かといって二心があるようにも見えない」
首筋のあたりの温度が急に下がった気がした。氷を押し当てられたみたいに。
阿止里さんの視線には、ものごとを暴く力があった。熟練の講師が、生徒の回答のわずかな齟齬も逃さないような目だ。いったいどうして年若い彼にこんな目ができるんだろう。
改めて阿止里さんの育った環境というものに興味を覚えつつ、私は何も答えられないでいる。
阿止里さんが目を眇めて尻尾を引っ張ろうとしたとき、耳元で風を切る羽音がした。
直後、阿止里さんが虚を突かれた気配がして、尻尾の嫌悪感が消えた。とっさに檻から尻尾を引き戻す。ついでに牢から走って距離をとる。
開放感に全身をぶるると振ると、ぱたぱたという音がした。頭を回せば、手ごろな木に黒っぽい色の(モノクロしか判別できないから、青かもしれないし茶色かもしれないが)地味な小鳥が枝に着地したところだった。
つぶらな黒の目、灰色のくちばし。文鳥のようなインコのような鳥だ。ちょっと首を傾けるところなんて、拓斗ほどとは言わないけどすごくかわいい。私が見とれていると、聞きなれた声が響く。
(主さま、こんなところで何をしておられる)
私はぱちぱちと瞬いて、それからぶわっと胸が熱くなった。ついでに全身の毛もぶわわっと逆立った。
(……たっ、拓斗ーーーーーー!!!!!)
(ずいぶん探しやしたよ。よりによってそのような珍妙な獣に宿っているとは、いやはや何とも主らしいというか)
珍妙なの? あとちょっとばかにしてる? 阿止里さんにはけむくじゃらでこきたないとか言われるし、全身を鏡で見たいわ。
「……話す鳥まで現れるとは。たぬきの従獣か? だとすると、本当に神なのか」
だがどう見てもたぬきだが、と信じたくなさそうな声に、牢の中の阿止里さんへ視線を戻す。拓斗の声は彼にも聞こえているようだ。
左手で右手を押さえているのは、鳥の拓斗が私の尻尾を掴んでいたのを攻撃したからだろう。
(拓斗、拓斗! 会いたかった!)
私は半泣きで拓斗の止まる木のふもとへ駆け寄り彼を見上げた。どんなメロドラマの主人公よりもこの再会に感動している自信がある!
三年以上ずっと一緒に過ごした拓斗がいると思うと、ほんと安心する!
拓斗が口を開こうとしたとき、合掌造りの牢の建物、その後方から新しい声が聞こえた。
「――兄上? そこに何かいるのですか」
ぱき、と小枝を踏む音とともに、小柄な少年が茂みから現れた。おかっぱ頭に一重の瞳、まとっているのは阿止里さんの服とはぜんぜん違う、貴族のような格好だ。
陰陽師、といえば誰もが一発でイメージするような束帯。靴は毛皮を縫ったサボっぽいブーツだ。
私と目が合うと、少年はかすかに目を見開いて硬直した。四者四様、動きが止まる。
沈黙を破ったのは拓斗だった。
(主さま、ひとまず走りなされ)
走る? 走るってどこへ。
(おいを追えばよろしい)
言うが早いか、ばさりと飛び立つ鳥。みるみる遠ざかる背中に、私は慌てて追いかけた。阿止里さんが何かつぶやいた気がしたが、わからない。
四足で全速力で走るって、すごい経験。
できれば今すぐやめたいけど。
※
しばらく走ったところで、拓斗はふいに飛ぶのをやめて小枝に止まった。
全身が熱い。毛皮の中で熱がこもって放熱されないからか、やけにのどが渇く。夏の犬みたいに、水をべしゃべしゃこぼしながら飲みたい気分だ。
(だいぶ登ってきましたな。このあたりなら落ち着いて話もできるというもの)
そう言ってきょろきょろして、今度はゆっくりと宙を飛ぶ。私はのろのろとそれに続く。
(まだ行くの? 休憩させてよ……)
私の弱音に拓斗はうんうんとうなずきながらも完全に無視して、鬱蒼とした茂みに入った。さらに登りが続いていてげんなりしたけど私は仕方なく続く。
(さて主さま。ごらんあれ)
拓斗がぱたぱたと光の中へ羽ばたく。私もそれに続いて少し進んだところで突然視界が開けた。同時に包まれる磯のにおい。目を灼く光。
明るさに慣れた視界に広がるのは、小山から見下ろした複雑な海岸線だ。山のふもとで海に挟まれるように陸地があって、遠くにいくにつれ陸が広まっている。
まるで修学旅行で見た、函館山からの景色みたい。
青々とした森が広がる中、いやでも目に付くのは山のふもと、正方形に開かれた集落だ。ここからだとマッチ箱のサイズに見えるけど、そこそこの人口はありそう。
遠めにも南北に走る大きな通りがわかる。教科書にある平城京や平安京みたい。そういえば平城京って人口どれくらいだったんだろう?
私の実家の町は数万人とかだったけど、それより多かったりするのかな。
集落のいたるところから細い煙が上がっている。どうやら昼時のようですな、という拓斗の声で、煮炊きの煙なのだとわかった。
(原始的なムラが発達した、クニのようでありますな。都というにはいくぶん小さいようですが。先ほどの男が言っていた、由伊津という都でしょうな)
ゆいづ、と私は繰り返す。ひどく日本的な響きがある。
(季節はと言えば、陽の高さからみると初夏のころでしょうかねえ。食べるものには事欠かない、いい季節でさ)
初夏といえばさくらんぼに桃、いちじくなんてのも旬だものね。たしかに食べ物には困らない……じゃなくて!
(拓斗、私はすごく説明がほしいの。なにがどうなって、私はこんな目にあってるわけ?)
なんだかもう怒ったり落ち込んだりしなくなってきた。転移慣れとでも言うべきか。最初のころは転移のたびに混乱してたけど、ここまでくるといっそ心境は落ち着いている。
そこへの感情の起伏が無駄だとわかっているからだ。諦観という言葉が頭をよぎるわほんと。
拓斗はふむと言うように首を傾けた。それからぱちぱちと瞬く。小鳥のつぶらな瞳って言葉では表せないくらいかわいいよね。
(おいはアレクシスの助言に従ったのみですので、はっきりとはわかりかねやすが。ここに行き着いたということは、ここで成さねばならぬことがあるのでしょうよ)
でたよ魔法使い特有のあいまいな感じ!
成さねばならないこと。私はため息をつく。ついたつもりなのだが、鼻からすぴすぴと、猫が昼寝してるときのような間の抜けた音がしただけだった。ため息も満足につけないのか。
(それって例えばどんなことよ)
私がうんざりしながら聞けば、想像通り拓斗はしきりに首をかしげた。
(さて、おいには見当もつきやせんで。何かを破壊するか、はたまた創り出すか。すべてを傍観するか、すべてに介入するか。なにをしようと主さま次第でさ)
私は慌てた。私しだい?
(そ、それはぶん投げすぎだよね。傍観するとか介入するとか言ってたけど、そもそも行動する基準がわからないし)
今までだってたいがいだったけど、少なくともたまのいう「天珠を得るため」の転移ではあった。ある意味では明確な目的だ。
だけど今、ここではそれすらないということだ。
いったいぜんたいどうしろと。
(まあ、そのうち思うところが出てくるものでしょうよ。とにかくおいは空腹でやす。ここいらを観察がてら腹ごしらえとまいりやしょう)
(思うところ……。先行き不安すぎる……というか、あんたもおなかすくのね)
もちろん、と拓斗はゆっくりとうなずいた。猫の拓斗のように。
(おいたちは魂だけで、この肉体を間借りさせてもらっているわけでさ。肉体の本能がとうぜん優先されやす。空腹はその最たるもの。いまとなっては主さまもよくおわかりになるのでは?)
そのとおりだ、と私もゆっくりうなずく。
今だって少しでも気をゆるめたらこの獣は、食べ損なったたんぱく質を求めて阿止里さんのところへ走り出すに違いない。




