3.古代の都・由伊津
由伊津というこの都は、この世界で初めての海辺の国だ。
正確に言えばユーリオットさんの育ったカラブフィサも海に接していたはずだけど、私の行動範囲の外だったから海は見ていない。
月花と出会ったカムグエンは熱帯雨林の湖上の集落で、海とはまた違うものだし、あとは水は貴重品な土地ばかりだ。
私は日本ではいちおう海のある土地に生まれたけど、とくに海に近かったというわけではないのでそれほど馴染みはない。
でもこうして磯の香りが鼻に届けば、とたんに見慣れた海を思い出すことができる。においと記憶ってすごく近いところにある。
(主さま、あまりよそ見をすると、はぐれてしまいやす)
(そうだね、ていうか拓斗が飛ばずに私に乗ってればいいじゃない)
(よろしいので?)
(別にいいよ、軽いし)
このあたり、拓斗はたまと違って律儀だ。拓斗なら無言で乗ってふんぞり返っているに違いない。
ぱたぱたと頭上を飛んでいた拓斗はゆるりと下降して、私の背中あたりに着地した。そのあたりの温度が熱くなる。生き物の熱だ。
拓斗ははぐれる、と言ったけどまさしくそう。
この海辺の国は、想像よりもずっと活気に溢れていた。
※
由伊津というその都は山のふもと、なだらかな海辺に挟まれるようにして、正方形の形に切り開かれている。
東西南北に整備された通りは碁盤の目のよう。
都の端のほうは民家が少なく林に圧迫されているように見えるけど、時間をかけて木を切り倒し、集落の面積を増やしつつある途上みたい。
ビエチアマンやカラブフィサを思い出す。規模としては同じくらいかもしれない。ただこちらは平坦な土地で、かつ通りがわかりやすく整えられているせいもあってか、由伊津のほうが大きく感じる気もする。
大きな違いは自然への接し方に思えた。あちらは人の住むところと外とを遮断していた。自然を飼い慣らすという明確な目的のもとに造り上げた都市だった。通りに大きな樹がそびえたっていようものなら、効率のため容赦なく切り倒して整備する。
由伊津は違う。場所によっては民家のすぐ裏手に鬱蒼とした森が控えている。海ぎわ独特の、植物がぽつぽつ生える地帯から草原、藪、林、そして森というあるがままの自然に抱かれるように、ちょっと同居させてもらってますよというふうである。大通りの中ほどにだって、いくつか大きな樹が残されている。
そんなふうに山と海に埋もれながらも丁寧に整えられた都には、自然への尊重と畏怖が垣間見える。
遠目から見るぶんには、ちょっとした奈良時代の集落みたいに見えたし、まあまあ人が住んでいそうに見えたけど、大間違い。
山を下って都に近づくにつれ、数え切れないくらいたくさんの煙が上がっているのだ。モノクロの視界、獣の目を凝らして見れば、その煙ひとつ一つが家々の煙突から出ているものだと気づく。
ちなみに煙突とは言っても、家の中には直結していない。家の横、トンネルのように煙が横に通る道があって、その先から煙が出ている。現代のように真上に煙を排出させないのは、冬に暖房としての機能を持たせるためかも、と拓斗が背中でさえずる。くちばし撫でたい。
砂浜には漁業のための小舟が数十隻と、上げられた海草が並べて干されていた。並べられた漁業船は整列した隊列のようで、圧巻の眺めだ。それを横目に原っぱから町に足を踏み入れると、固く踏みしめられた地面が足裏を押し返してくる。たくさんの人が行き交ってきた地面だ。
中央に向かっていけば、すぐに人々の喧騒が耳に届いてくる。そのまましばらく小路を進む。するとある場所からぱあっと視界が明るくなる。大きな通りに出たのだ。
目の前の通りにはものと人がごったがえしているので私は気後れした。いったん足を止めて、長屋の影に隠れるようにしながら様子を伺ってしてみる。
道路の車線でいうと6車線ぶんくらいある幅の道を、たくさんの人々が行き交っている。よく平らにならされた道の端の方では、例によって市場のような賑わいがあった。ちょうどお昼ご飯の物々交換に来ているのか、女性たちが大きな藤のざるのようなものをお互いの品々を片手に忙しなく物色している。
服装はやっぱり奈良、平安あたりの庶民が着るようなデザインだ。もしかしてここは日本なんじゃないかと思うくらい。
でも市場の魚や果物はやっぱりぜんぜん見たことのない品種のものばかりだから、やっぱり日本ではないのだろう。
並べられている商品はといえば、新鮮な魚、木の実、果物がほとんどだ。あとはけっこう立派な野菜たち。
中でも豆類の種類の豊富さはすさまじかった。小豆から始まり黒豆、うずら豆、花白豆、青大豆……くわしくないけどいろとりどり、店先で堂々と輝きを放っている。
その一方で肉類は見当たらなかった。畜産の概念はないのかもしれない。
まあ、魚がこれだけ捕れていて豆も作っているなら、わざわざ家畜を育てようなんて考えないか。手間でしかない。
商品の売買は錫のような色のお金が使われているようだった。貨幣を発行して、一般人が現実的に使えるできるほどに力のある都ということだ。
その大通りを対称軸にするようにして、東西にはまた大小さまざまの建物が肩を寄せ合うように建っている。だいたいは阿止里さんの牢屋のように合掌造りの家だけど、小路や裏手に入れば長屋がほとんどのようだった。
牛が引く車もあった。俵のような荷物が乗せられていて(中身は何だろう?)、車輪が通りやすいように土の上には砂が撒かれている。ぬかるみ対策だ。
鶏のような動物が気の向くままぶらぶらと横切ったりしている。市場では鶏肉は売られていなかったはずだから、玉子を食べるために飼っているのかも。
裏通りはどうなっているのかなと入ってみる。商い用の家ではなく民家や長屋がぎゅうぎゅうにひしめいていて、それぞれの家の前の狭い道では人々が、こちらもおのおのの作業に勤しんでいる。
男性は大ぶりの木の幹に斧を振り下ろして薪をつくっていたり、弓矢の弓をつくっていたり、あるいは家の修繕作業なのか、合掌造りのその屋根に登っていたり。
整えられた用水路のそばでは、女性陣がものすごい勢いでおしゃべりをしながら洗濯ものを踏んでいた。手際よく次から次へとたらいに衣類を入れ、隣のたらいに投げ込んでいく。すすぎ待ちのたらいだ。わきには灰色の粉も見つけた。カムグエンでも似たものを見た。植物を燃やした灰で、洗剤として使っているのだろう。
見えないけど奥にも広場があるようで、にぎやかな子どもたちの声が響いている。
女性と子どもが元気な土地なら、由伊津はいい国なのだろう。
畑というものは見当たらないけど、ずらりと並んだ豆から想像するに、離れたどこかで栽培しているに違いない。明らかに枝豆という見た目の豆もあったなあ。
ずんだ餅、食べたい。
※
そんなふうに、想像以上の熱気と規模に、物かげから覗いていた私は圧倒されていた。拓斗に促されて、おそるおそる集落の隅を登って、広場の中を歩き出してみる。
そこではぐれるはぐれないの話になって、いまこうして背中に拓斗を乗せて市場をのぞいているわけなのだが。
(拓斗、まずいよこれ。ただの地獄だ)
(主さま、完全に同意いたしやす。あの熟れた山桃にいますぐ飛び込みたいと、この身体を操るのに一苦労でさ)
そうなのだ。市場にもぐりこんで、練り歩くのはいいものの、私たちにはお金もなければ、人でもない。
おいしそうなご馳走を前に垂涎しているだけである。なんの罰ですかこれは!
並べられているのはそういう山の果実、木苺だったり小さくて黒い葡萄だったりだ。あとは山菜もある。天狗のうちわみたいな葉っぱや香辛料のようなものもある。
もちろん一番多いのは魚だ。小さい青魚と海藻がたくさん。あとは得体の知れないキノコだ。不思議なことに燻されているのか香りが強くて(日持ちさせるためかな)、獣の鼻にはきつすぎる。
行き交う人たちの足元を縫うようにしてゆっくりと進む。四つん這いになって人間を見上げているようなものだから、すごく怖い。人間って大きいわ。拓斗もこんな気持ちで私のことを見上げてたのかな。
(でもさ、よそ者……よその獣? がこんなに堂々と歩いていても、誰も気にしてないね)
(これほど自然に近い暮らしでは、物珍しくもないのでしょうなあ。でもまあ、おいはともかく主さまは立派な毛皮をお持ちでらっしゃる。気は抜けないと思いやすがねえ)
(立派なの? さっきはこ汚くて臭いって言われたんだけど)
(捕らえて、洗って、肥えさせて。それから剥ぐという手もあるというものでさ)
まさかそんな、と思っていると、ちょうど市場のある軒先に私と同じような柄の毛皮が並べられていた。灰色っぽい胴体に白黒のしましま尻尾。狸の毛皮だ。
私は立ち止まって、ちょっと後ろを振り返って自分の尻尾を見てみた。コピーしたみたいにまったく同じ模様だ。
あれ、つまりこれって、私はたぬき確定?
足先の模様も比べてみようと毛皮に近づく。そのとき、それを並べている店主と目が合った。瞬間、親父の目が確かに光った。
脱兎のごとく逃げました。
※
(まじっ……、まじで怖かった!! 狩人だよ、本物の狩人だったよ)
再び林に戻ってきた私は、ほとんど半泣きで木によじ登った。無意識の行動だったけど、どうやらこの獣……たぬきは木登りが上手みたい。日本のたぬきって木登りするっけ? この世界のたぬきが変わってるだけかな。どっちでもいいけど、すごく落ち着く……。
(危ないところでしたな、主さま。ちなみにその獣の肉体に入ったまま、肉体が命を落とした場合、主さまの魂もまた出ることは叶わないので、ご注意を)
なんだって。
(ちょ、どういうこと?)
おそるおそる私が聞けば、拓斗はしれっと同じことを繰り返した。なんてことだ!
(じゃあ何、この、空腹で油断したらすぐに暴走するたぬきが死んだら、無条件で私もアウトってこと?)
(そうなりやす)
そうなりやす、じゃないよこの!
(たっ、拓斗も?! あんたは違うんでしょ、ずるい!)
(そう言われましても。主さまは依魂の術など知らぬでしょう)
(やっぱ拓斗は大丈夫なんだ! 教えてよその術、私はぜったい日本に帰るの!)
というか今はまず、私の肉体があるスヌキシュに帰れるかどうかが問題ではあるけど。
(教えるもなにも……しいて言うなら靴を脱ぎ捨てる感覚でさ)
(なによそれ。ぜんぜん役にたたないアドバイス)
(では主さまは、相手の知らぬ味を説明できやすか? あるいは知らぬ匂いを?)
その切り返しに、私はちょっと口ごもる。いぶりがっこを食べたことない人にあの味は説明できない。
(それと同じこと。まあいよいよとなったら強く念じるのがよろしいですよ。術とはすなわち、正しい道筋と感情の制御とも言えますからねえ)
私はなにか言いたかったけど、結局なにも言えなかった。質問というのはある程度理解しなければできないのだ。不完全な不満のようなものはあるけど、しょうがないから飲み込んでおく。
かわりにため息をついた。すぴすぴという間抜けな音。ため息くらいふつうにつきたい。
(……そもそも、ここで何をどうすべきなのかもわからないままなのに)
私はさすがに途方にくれて、木の枝にだらんとぶら下がる。お腹だけで体重を支えている感じだ。
拓斗はそんな私を尻目に、となりの木に飛び移って虫を食べている。さすがに私は毛虫さんを食べたいとは思わない……今のところ。
(それはまあ、おいも同じでさ。気長に探って行きやしょうよ)
そう言いながら、今度は木の空洞にくちばしを入れて、虫をぱくついているようだった。おいしそうに天を仰いでのどを上下させる拓斗。私の空腹は限界に近い。
(ねえ、その虫おいしいの?)
(なかなかに美味)
(そう……)
ぜったいに食べたくないという感情と、選り好みしてる場合ではないという差し迫った感覚が脳天を刺激する。これ以上なにも食べなければ、狸の本能に抗いきれず制御できなくなりそうだ。
いや、でもあんな足がたくさん生えた虫は食べたくない……!
ぜったいのど越し悪いよ、と私が悶絶していると、急にぞわりと吐き気のする不快感が背筋を走った。子犬が雑巾絞りされたときのような悲鳴が私の口から漏れて――慌てて下を見下ろすと、そこには興味しんしんという目で私を見上げる少年がいた。
きらめく無垢な一重。見覚えのあるおかっぱ頭。その手には私のふさふさ尻尾が、がっちりと握られている。
「話す獣とは、この上なく興味深い。兄上の話はまことであったのだな」
電気のひもをひっぱるように尻尾を引っ張られて、私の爪が虚しく空を切って、ぐるりと回転して、もふんと少年の腕に落下した。
興奮さめやらぬ瞳にまぬけなたぬきが移りこんでいる。
とにかく尻尾を離せってば!




