4.あったらいいなそんな土地
「それでおまえはいったい何なのだ? 神なるものの気配などまるでしない、ただの薄汚れたたぬきではないか」
それにくさい、と鼻をつまむ少年は、阿止里さんを兄と呼んだ。弟がいたのか。
それにしても少年の服装は集落の裏通りで遊ぶ子どもたちとはまったく違っていて、そっちこそ何なのよと気になってしまう。
だって裏路地ではゴミ袋に穴あけて頭と手足出しました! みたいな雑な服だったのに、彼はきちんと上下の分かれた衣服だ。袖口には飾り紐まで通してある。やっぱり平安時代の水干みたいで、首元の襟にはぜいたくに刺繍だ。
刺繍ですよみなさん!
ナラ・ガルさんと刺繍をやって(やらされて)わかったことだが、刺繍って本っ当に大変よ。
だってそもそもなくてもいい。ただの模様、飾り、おしゃれ。なくても困らないものに手間をかける、とんでもない贅沢なのだと、今の私には痛いほどわかる。じっさい指先痛かった。
つまりこの少年は身分が高い。そして兄と呼ばれた阿止里さん。でも彼は牢屋にいた。
繋がらないぞ、いったいぜんたいどういう状況だ。
「おいたぬき、きいているのか。この志比がたずねているのだぞ。こたえろ」
(うるさいなあもう! 私だって一生懸命考えてるんだから邪魔しないで。どうして誰も彼もそんなに偉そうなのよ。俺様なの? みんなして俺様なの?)
私の逆切れに少年は目をぱちくりとさせた。幼いながらも切れ長の一重は確かにすこし阿止里さんに似ているかもしれない。ただその挙動からにじみ出る不遜さは別だ。どちらかというと幼少期のユーリオットさんのように、使用人に命令し慣れているかんじ。
「……わたしに対し、そのようにものを言う。なるほど人間の理からは外れるのだな」
(とことんまで偉そうでいっそ感動ですよ。きっとずいぶんお偉い身分なんでしょうね)
そりゃあそうだ、と少年は頷く。
「この由伊津を統べる皇、その十一番目の子、志比。よくよく覚えておけ」
ああそうですか。おうさま関係の話には絡みたくなかったけど、どうにもそうはいかないみたいだ。
※
異世界に来てしまったその後の王道は、やっぱり王国だの宮廷だのの華やかなイメージ。
私は幸いそういうきらきらしいところから遠くの、地味で堅実な日々を遅らせてもらっていたけどね。やっぱり逃げられないキーワードってこと?
ああいやだと、私はめそめそしたくなる。王の話あるところに権力の話あり。権力あるところに争いあり。
巻き込まれたくない!
(主さま。不本意ではあるでしょうが、ここはこの童から話を聞くのがよいと思いますぜ。民草から話を聞くのはいつでもできるとして、治める側からの話を聞けるのは希少やも)
拓斗のアドバイスを聞いて、それもそうかと私は鼻を鳴らした。視界のひげもふるりと揺れる。情報は多角的であればあるほどいい。
いっちょ下手に出て情報収集してみるか。
(……ええと、私はとある神さまの眷属です。その神さまが、さいきんこの由伊津が荒れていると気にかけて、私に見てくるよう遣わしたわけです。というわけで由伊津のこと教えて)
阿止里さんの話から都合いいところだけつなげたら雑なうえに棒読みの口上になったけど、意外にも志比は改まったように表情を引き締めた。
「……やはり、そうなのだな。皇がもうずっとお弱りになっている。代替わりの兆しでか、実りも悪く鶏も子を産まない。神に祝ぎを請わなくては」
(皇?)
「たぬき。志比に答えられることならなんでも答えよう。おまえの主である神にあまさず奏上し、この由伊津に加護をもたらせ」
たぬきって呼ばれるのは心がいちいち削られるので、いったんきちんと名乗っておくことにする。
(たぬきではなく、縁子です。ではまずその由伊津について教えてください)
そんなところからか、と志比は眉をひそめたけど、知ったこっちゃないんですわ。たぬきの脳みそぱんぱんなの、シンプルに説明願いますよ。
志比は私をまじまじと見た。海岸に流れ着いた異国の空き缶のラベルを読み取るように。
それか大きくため息をついて、あたりを見回して手ごろな切り株に腰を下ろしてから口を開いた。長い話になるらしい。
「この由伊津とは――」
※
志比の話をまとめるとこうだ。
神気の濃い加護のもとにある土地、由伊津。
そもそも神気ってなんだ、となるけどこれは言葉では説明できない。ナラ・ガルさんのところにいたときもそうだったけど、肌にはりつく空気が違うかんじ。
例えるなら、家の中でも浴室っていつもなんとなく篭って湿ってて、窓ぎわは空気がよく通ってからりとしてる。どっちも同じ家の中ではあるのにね。そしてきっとどこの家でもそういうものなんだと思う。
神気もそれと同じで、流れやすさというか、篭って停滞しやすい場所があるのかも。
濃かったり薄かったり、山や盆地の地形によって風の吹き溜まりができたり霧が生まれるように、神気が流れ込みやすい場所もある。それが由伊津。
食べ物はよく実り滋養もある。海の恵みは一年を通し絶えることはなく、またそれらは堆肥ともなりさらに畑を肥やす。人も同様によく生まれ育つらしい。いいことずくしだ。
そこまで話を聞いて、私は神気というのを感知できないだけで、現代日本でも存在するのかも、なんて思ったりした。
生活するための川や平野がある場所に昔から人は住み村となった。住みやすい集いやすい場所が町になった。
感知できないだけで、そんなふうに自然の加護というか生きていける力のある土地を、人間はちゃんと選んでいるのかな。
そしてそういう「いい場所」は古今東西、奪い合いになる。
「由伊津では代々、皇が政をする。まつりごととはものごとを決めること。皇に求められるのは誰もが満足に生活できるように決め事を作り治めることだ。今の皇はとてもよくそれをした」
(志比のお父さんってことね)
私が口を挟めば、志比は硬い表情で瞬いた。肯定したんだと思う。
「対外的にはこの豊かな地を守るために、近隣の那に子を嫁がせながら均衡を保った。内部固めには官吏を効率よく働かせる省ごとの区切りをつくり、効率よい手法を考えた官吏への報奨も整備した。民に対しては飢えぬよう農耕の枠組みを示した。とくに雨季に起こる山崩れを防ぐ堰堤をいくつも整備したことはみんなを驚かせた。とにかく今世の皇としての功績はそれこそ枚挙に暇がない」
志比の口調は淡々としていながらも誇らしさがにじみ出ていた。ファザコンか。
しかし一世代でいろいろやったんだなあ。急に改革すると反動も大きそうだけど、そのへんもうまくまとめているということなのかしら。
堰堤? と首を傾げたら、拓斗が「ダムのことでさ」と教えてくれた。なるほど、砂防ダム的なものかな。
「だが皇とはいえ人の子。いずれ死ぬ。その前に皇は次の皇を見出さなければならない」
(血筋から選ぶの?)
質問の意味が理解できない、というような間があってから、当たり前だろうと首を傾げられた。
「そうでなければどう選ぶというのだ」
なるほど、政治のはじまりは血縁からの王政だ。夜は暗い、ということと同じようにそれ以外は理解の外なのだろう。
私はほこりをかぶった脳みその片隅を掘り起こして、世界史の授業を思い出す。王政というものが崩れたのは17世紀だったっけ? 古代ギリシャやローマでは共和制だった気がするけど、それにしたって王が国を治めるという歴史は長くてびっくりする。
まあ、たしかに縁者から王を選ぶということはメリットも多いのかも。物心ついたときから政治というものを見知っているなら、教育は最低限でいい。
もちろんデメリットは数え切れないほどあるだろうけど、いち市民としては日々の暮らし向きで精一杯な毎日のはず。不満を言う暇なんてないだろうしなあ。忙しさとは切れない麻酔のようなものなのかもしれない。
何にしても、いったん確固たる枠組み(もしくはシステム)を作り上げた側の支配者って勝ち組だなあ。
(志比は十番目の子どもなんだっけ。皇に選ばれるかもしれないってこと?)
十一番目だ、と訂正してから志比は首を横に振った。
「半分以上の子は育たず死んだ。成長した何人かは近隣に嫁いでいる。そして次の皇になりそうだったのは、二番目の子である多々弥手兄上だ」
なりそうだった? という私の疑問を汲んで志比はゆっくりうなずいた。
「皇に生き写しの阿止里という人が現れるまでは」
そうかそうかと私は空を仰ぐ。モノクロの空。灰色で鬱屈して見える大空。せめて爽やかな空色を拝みたかった。やっぱり今回も厄介な場面に放り込まれているらしい。
ちなみにどちらの神の眷属なのか? と聞かれる。
たんぱく質、と投げやりに答えれば、それはどの土地の名か、訪れてみたい、と目を輝かせている。
深々とうなずく。私も訪れてみたい。




