5.たんぱく質は正義
つまり阿止里さんという人は、皇の落とし胤だったのだ。
由伊津においては、何番目の子どもかということは重要ではないらしい。じっさい、一番目に生まれた子は男の子だったにもかかわらず隣国へ婿入りさせられたという。
すべてを決めているのは皇。志比の話だと、トランプのカードを配るようにうまく自分の子を使い、近くにある那とのバランスを保っているみたい。
志比の口調からは皇への尊敬と畏怖を感じられた。けれど父としての家族としてのつながりについては顔を曇らせていた。どんな人なのだろう、一度お目にかかってみたい気もするけど。
(ふうん、まつりごとの手腕がある男がお好みか、主さま)
(そういう意味じゃないってば。いわゆる王さまって会ったことないからどんな雰囲気なのか遠巻きに見てみたい……パンダ的な)
ぱんだ、と記憶をめぐらせる拓斗の尾を見ながら(拓斗は現世でニュースとかでパンダを見たことあったかな?)、しかしまあ王さまねえと首をまわす。狸とはいえ首はこるようだ。こきりこきりと小気味いい音。
そうそう、おうさま。
いよいよ現実味がない。
現代では王さまが政治をする、なんていうのは時代錯誤だ。映画と漫画と教科書の世界だ。象徴としての王さまが、実質的に世の中を動かすってどういう感じだろう?
生徒会長みたいなものかな。それとも校長先生的な? いやワンマン社長っていうのが一番身近か。なんにしろ権力に対する精神的なエネルギーが必要に違いない。
そういうパワーゲームに注力できる人たちは理解ができない。まあ、そういう人たちが世の中を回してくれてる部分もあるだろうから、つまりは適材適所なのだろうけど。
(ちなみに、多々弥手って人はどういう感じの人なの?)
何の気なしに聞いてみる。志比はそっと表情を引き締めた。
「……おまえは神の遣いなのだろう。そういう相手に、志比の口から伝えたくはない」
(なんで)
「志比の主観がどうしても入ってしまう。おかしな先入観を持たせてしまったら、その責を負えぬ」
私は感心した。小さいのによく教育されているというか、もとから人の機微に敏感なほうだったのか。なんとも真面目な兄思いの子ではないか。
(じゃあ、さっき皇のやったことを事実として話してくれたじゃん。あんなふうに教えてよ)
志比はちょっと唇を舐めて、間をとった。努めて個人的な感情を排除しようとするような間だった。じっと見ている私が返答を諦めていないことを確認して、それからしぶしぶというように口を開いた。
「多々弥手兄上は、皇と違って血を好まぬ。兄上の興味の向く先は、豆の掛け合わせだ」
(まめ?)
思わず素っ頓狂な声が出た。豆っていったいどういうことだ。
「瑕疵のなく栄養価の高い、かつ早く収穫できる豆を目指している。ものごころついたころから掛け合わせに精を出し、日照りに強い種などを作り出した。そのほかでは官僚どうしの権力闘争や賄賂などの濁ったところをよしとせず、清廉潔白であろうとするたちでいらっしゃる」
学者肌なのね。市場で輝いていた多種多様の豆を思い出す。
けっこうなことではないか。国民のために自ら作物の改良に取り組むなんて。
ただ一国の跡取りが清廉潔白ではちょっと不安だ。清濁併せ持つとはよく言うものである。
(皇と多々弥手は、仲がいい?)
かさぶたのところを棒でつつかれたような顔をされた。
「皇は、女々しいと遠ざけている」
なるほどね。志比の表情はすっかり曇ってしまって、さっきまできらきらした瞳で私を見上げていたのに、なんだか申し訳なくなって質問を切り上げることにした。
こんな年端も行かない少年に対する話題にするべきではなかったのだ。
短い会話からも、志比は皇のことも多々弥手のことも尊敬し、愛情を持っているようだった。そして彼らから同じものは返ってきていないことも。
私は少し反省して、ここまで、という意志を込めて明るい声を出した。
(それで、志比はどうしてわざわざこんなところまで? 王子さまなんでしょ。おうちでお勉強してなくていいの)
志比は話題が変わったことにほっとしたように表情をゆるめた。それからふん、とわざとらしく鼻を鳴らした。
「けものに勉学を促されるほど落ちぶれてはおらぬ」
それもそうか。
(それにしたって、付き人も連れず林を歩き回るのはどうかと思うけど)
そう突っ込めば、とたんに志比は後ろめたそうになる。
「……兄上と話すのが楽しいのだ」
ブラコンだ。とつぜん兄弟が増えて戸惑いながらも阿止里さんにめろめろらしいのが見て取れた。
兄や父に対する気持ちを、なんそ気兼ねもなく話せる相手が目の前にいるのがうれしいのか、志比は最初はおそるおそる、しだいに熱を帯びながら、皇や多々弥手や阿止里さんの素敵なところを話し出した。
ファザコンでありブラコンである。
私が完全なるあいずちマシーンになっていると、遠くのほうから志比を呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら付き人が探しているらしい。弱りきった声がなんとも同情を誘う。
嬉々として話していた志比は水を差されたことにふてくされながらも(こんなに屈託もなく兄弟と父親ラブな話をできる相手なんていないに違いない)、しぶしぶ腰を上げた。こちらを何度も振り返りながら、帰っていった。
後ろ髪引かれすぎてぜんぶ抜けるぞ。
※
(どうやらあまりまわりの人間に省みられてはおらぬようでしたな。愛情に飢えている)
拓斗が淡々と評する。確かにおはようのハグを毎朝しているようには見えない。
(それより阿止里さんだよ。めっちゃ荒んでたけど、同一人物だよね? 今まで会った誰より別人なんですが)
そうなのだ。志比にいろいろ話を聞けて、由伊津の現状はなんとなくわかったけど、何よりもまず阿止里さんの荒れっぷりがひどすぎる。
(その男、たしか牢に入っていやしたな。咎人というには堂々としておりやしたが)
そうなのよ。というかむしろ自分から牢に入っているふうでもあった。あんな寄木のような牢屋、彼がその気になればいくらでも抜け出せる。
でも望んで牢に留まる理由なんてわかるはずもない。
(……考えるの面倒になってきたわ。聞きに行こ)
よっこいせと腰を上げると、拓斗はすべるように飛んできて私の頭にちょこんと収まった。
(主さまの腰の軽さは尊敬するところでありやすよ)
ほんとにね。と私は力なくうなずく。
誰のせいだと?
※
そんなに広くないとはいえ、由伊津の都から阿止里さんの牢屋まで、日本でいう隣町くらいの距離はある。私は阿止里さんの牢屋に行くまですっかり迷ってしまって、ようやく見覚えのある道を見つけたときには日は暮れかけていた。
この世界に共通することとして、夜の闇の深さがある。現代の日本と違って人間は自然を飼いならしていない。日が暮れたら打つ手なしだ、ふくろうさん以外は。
道が見えるうちに急げ急げと急ぎ足で向かっていると、なにやら話し声が聞こえてきた。
いや、話し声というには不穏な声のトーン。親密とは言い難い硬さの声。私は牢の前に出ず、熊笹の藪に身を潜めてなりゆきを伺ってみることにした。
「……もう一度言う。去れ。それがもっとも波風が立たない」
「何度もご苦労なことだが、聞き入れることはできない」
「いったい居座る目的は何だ。私にできることなら叶えてやる、正直に申せ」
若い男性だ。ここでの阿止里さんよりは年上に見える。二十代後半の青年といったところか。
たいまつの持ち手を地面に突き刺すようにして明かりとしている。彼は牢のなか胡坐をかく阿止里さんの前に立ち、杖のように立てた長剣の柄を両手で握っている。
中肉中背、暗闇かつこの狸の目ではよく見えないが、衣服は志比のように滑らかな細かい糸で織り上げられているよう。反射する光沢のきめが違うのだ。
そして何より特徴的なのはその髪型だ。みずらのような独特の編み上げかたをしている。細かい編みこみには磨かれた石が通されている。志比も編み上げてはいたが、あんなに手間をかけられた結い方ではなかったはずだ。
それにしてもその口調。豆腐くらいなら切れる声音だ。
「質問なら俺をここへ案内してきたやつにしろ。別の場所に捕らえているんだろうに」
阿止里さんを由伊津へ連れてきた人? 阿止里さんはここにずっといたわけではないということか。望んで来たわけではない?
「きっかけはそうだったかもしれない。だが今、おまえはおまえの意志でこの牢に留まっているだろう」
青年の問いに、阿止里さんはゆったりと笑う。彼は苛立ったように踵を鳴らした。
「俺の用は、あんたに対してのものではない」
「身体に聞いてもいいのだぞ」
低く唸るような声。私に対する言葉ではないのに、みぞおちの辺りがきゅっとした。
「次代の皇にしてはあまり利口ではないやり口だな」
阿止里さんの声はけして皮肉めいてはいなくて、思ったままを言っているようだった。青年は気色ばんだ。
「……後悔するぞ」
どうかな、と首をかしげる阿止里さんを射殺すように睨み付けてから、青年はたいまつを拾い上げて踵を返した。
急にこちらを向いて歩いてきたので、私はあわてて首を藪にひっこめる。幸い彼は気づかなかったようで、そのまま集落のほうへと足早に去っていった。
一瞬しか顔は見えなかったけど、繊細そうな眉根をぎゅっと寄せていた。やや厚い唇は志比に似ていたかもしれない。
それにしても阿止里さんは彼を次代の皇と言った。ということは志比のお兄さんの多々弥手という人?
二番目の子どもだったか。メンデルさんの印象が強すぎて他の情報が薄い。その彼は、阿止里さんが牢に残る理由を聞きたがっている。
短いやりとりで感じたのは、阿止里さんを追い払いたいけどできないという雰囲気だ。間違った荷物を受け取ってしまった人のような。
どうやら阿止里さんを牢に入れたのは、多々弥手で間違いないらしい。
でも今は追い払いたい。
居座る阿止里さんを持て余している。
ものごとのつながりがさっぱりわからない。私は首を傾げすぎて筋が痛くなってきた。
「隠れてないで出てきたらどうだ。そこにいるんだろう」
多々弥手に対する温度と同じ声で話しかけられて私はどきりとした。阿止里さんってほんと、声のトーンから心情が汲み取れない。
(たっ、拓斗、どうしよう)
(どうしようと言われやしても。主さまは阿止里どのと話をしにきたんでしょうに)
そうなんだけど、結果として盗み聞きしてたみたいで何となく出て行きづらい。
「おや、今日の夕餉は豪勢だな。猪の肉だ」
頭の中に赤い肉汁したたる肉の切り身を想像したとたん、後ろ足はびょーんと地面を蹴っていた。
気づいたときには牢屋の隙間に鼻を突っ込んで、阿止里さんがつまんでいる干し肉を見上げていた。
ぽたり、という音はよだれの落ちた音。楽しげに細まる彼の瞳。モノクロの視界できらりきらきら輝く肉。エフェクトかかってる。
主さま、と呆れる声が後ろから聞こえる。
ほら、たんぱく質の神だからさ……。




