7.腹を割って話そう② ~メインはダンダゴワのオムレツ~
「まさかたぬきに口説かれる日がくるとはな」
夕餉をきれいに平らげた阿止里さんは、膳ごと牢の入り口の下の隙間から外に押し出した。ちなみにメニューは穀物のおにぎりと菜っ葉の汁もの、根菜の漬物と猪肉だったようだ。
箸はなくて、アイスの棒みたいな木の切れ端をスプーン代わり。しかしめっちゃ栄養バランスいいな。この集落の人たちは長生きできるぞ。
「未来。そんな話題を持ち出してくるとはよほど位の高い神なのか、あるいは狂言かどちらかだな」
事実なのだが、そんなことを言われて信じる人のほうが少ないのはわかる。
ただ信じさせないことには話が進まない。
いったいどうしたらいいかと私がぐるぐる考えていると、そんな私を見ていた阿止里さんはゆっくりと片目を眇めた。その瞳には未来すらのぞけるような底知れなさがあった。
それから阿止里さんは片ひざを立てて座りなおす。ひざに腕を乗せて、さらにあごを乗せる。私をまっすぐ見据える。
その渇いた視線には覚えがある。阿止里さんはククルージャでもこういう瞳で私を見るときがあった。百葉箱の中の湿度計を見るような目だ。うわべの感情を取り除いて求める事実だけを引きずり抜こうとする目。そしてそれはいつでも私を居心地悪くさせる。
「それで、俺から何を聞きたいって?」
えっ、話をしてくれるの?
暇だしな、と呟きながらごろりと寝転がる。狭い牢のなか、長身を窮屈そうに曲げて足を組んだ。何にしても気が向いてくれたのはありがたい。
阿止里さんが会話に前向きな姿勢になってくれたのはよかったが、私は言葉に詰まる。何からどう切り出したものでしょ。
(……あえて牢に留まるのはなぜですか)
「そこはな、どんな罪を犯して牢にいるかと問うべきところだ」
(阿止里さんは罪を犯してここにいるわけではないでしょ)
「なぜそう思う」
(やるならばれないようにやる人だからです)
そう言えば阿止里さんはかすかに眉を寄せた。わずかではあったがそれは嫌悪だった。切れ長の涼やかな瞳は純粋な感情を乗せていて、初めての生き生きした表情に見えて、印象がぐっと幼くなった。
阿止里さんはすぐに表情を戻してしまったけど、やや不機嫌そうな雰囲気は隠しきれていない。
「知ったような口をきく。何を根拠にそんな物言いをする」
(未来の阿止里さんと暮らしてましたから、それくらいわかります)
そういえば他の人たちだったらどうかな、と私はふと考えた。冤罪で捕まったとしたら――。
ユーリオットさんはきっとゆったりと足を組んで腕組みをする。ちょっと顎を上げて、弁護士を呼べ、だろうなあ。黙秘権を行使して上等な弁護人を立てるに違いない。いいお家柄なのでね。
月花は――言っては悪いが、捕まるに値する悪人を犯人に仕立て上げるシナリオを作りあげそう。そもそも彼こそ捕まるようなへまはしなさそうだ。というか罪をなすりつけた報復がこわい。
ナラ・ガルさんはどうかな。やってもいない罪を十二分に反省して、勝手に正座してるんじゃないかな。牢から出ていいって言われてるのに自発的に居残ったり。針と糸くれって言われて迷惑そうな看守の顔が浮かぶ。
ギィだったら? ギィならすたこらさっさと脱獄してそう。なんといっても暗器使いだ。細身に見える身体には毒薬から毛抜きまでなんでも隠し持っているに違いない。たぶん朝の散歩と変わりない。
みんな今ごろ何してるんだろう。また会えるときってくるのかなあと思ったところで、阿止里さんは身体を動かした。横向きに頬杖をついてこちらを見る。
「俺の好物は」
(好きなものですか? たしかダンダゴワのオムレツです)
「なんだそれは」
(平たく言えばたまご焼きです)
ちょっと間があった。ダンダゴワはククルージャ周辺にしかいない養鶏だ。殻の色はべっこう飴のように照り輝いていて、黄身の濃厚さが格別な種類の玉子なのだ。この由伊津の市場にも玉子は売っていたけど、ふつうに白い殻のものだったな。
「では嫌いなことは」
(羽ペンの軸先の手入れ。墨でかたまったのをお湯で溶かしながら洗うのを面倒がっていました)
「ペン? 書き物をしていたのか、俺が?」
(ギルドへの請けた依頼の報告書は月末に必須でしたから)
ギルド、と口ずさむ彼は、まだそれがどういうものかもわからないのだろう。由伊津にはない概念、存在しない組織名だ。
提出物の締めが近くなると、部屋に篭って仕上げをしていた阿止里さん。リーダーである彼はほかの三人の書類の不備もチェックしていた。ナラ・ガルさんの字の解読と補足に苦労していたのを思い出す。そんな阿止里さんの部屋の掃除はものが少なくとても楽だった。ランプの油の減りと蝋燭の減りはいちばん早かったけど(ちなみにランプは二種類あって、油補充型は減りが早く明るくて、蝋燭は長持ちするけど暗め)机の上はいつもこざっぱりとして――そうだ、と私は道具箱に大切にしまわれていた銀色の道具を思い出す。
(あとは爪切りにこだわりがありましたね)
「爪切り?」
(由伊津ではどうか知りませんが、私たちが出会った砂漠の町ではこう……てこの原理を使ったような、金属製の道具で断ち切るような爪切りがあったんです。とても高価ですが、阿止里さんは気に入っていました。以前はやすりのようなもので削るしかなかったから、使いやすくて便利だと)
いろんなところに転移させられて、こういった風俗を目にできるのは興味深かった。古代ギリシャっぽいカラブフィサでは、青銅の毛抜きのような形態の爪切り(挟んで断つ)だったし、雪国のビエチアマンではノミのような道具で真上から割るようにして処理していた。由伊津ではどんな形状なんだろう。
あと、人前で爪を切るのはよくないことっていうのも衝撃だった。居間でじゅうたんに座りながら切ろうとした私を、ユーリオットさんはぎょっとして見て、あわてて止めてくれた。
ほかのみんなも目を丸くしていた。爪とは排泄物(!)の一種なんだって。つまり公共の場で爪を切るということは、人前で用を足すような感じなのかも。しっくりこないけど、いろんな考え方があるものだ。なんにしても郷に入ってはである。
「……未来の俺と暮らすとは真実なのか? 俺が、このようなたぬきと?」
電車に乗って化粧するというのも似たような論点か、などと考えていると、阿止里さんの声音から面白がる色が消えていた。信じたくない、という心情がまったく隠せていない。
(いや、ですからこの肉体は借り物なんですって。私は人間ですよ)
「それが真実だとして。いったいどれほど先の未来に出会うというのだ、白髪の老爺のころか?」
(うーん、阿止里さんは二十台後半に見えましたよ。二、三年後くらいですかね)
不思議な沈黙が落ちた。
「……俺はまだ十代だ」
(えっ)
「成人すらしていない」
(なんと)
「……」
(……)
意外と老け顔、と思っただけなのにじろりとにらまれる。何も言ってないじゃん!
そしてこの土地における成人が何歳を指すかだって知らないんだぞ。
阿止里さんはやがて、かすかに吐息した。それから短く息を吸った。
「では最後に、未来の俺の人となりを話してみろ。俺を信じさせれば、質問にも答えてやる」
空気が冷やりとした。会話の山場を迎えた感がある。気まぐれに私と会話をし、思いのほか信じる気になったのかな。信じるに値しなければ、彼は二度と視線を向けすらしないかも。阿止里さんの中で私はダンゴムシ以下に成り下がる――その予感は違っていてほしいものだ。
とはいえ、どう話せば。
ククルージャでの日々が頭をよぎる。思えば三ヶ月と少しだったか。けして短くはない時間を一緒にすごしたのに、阿止里さんへの印象は希薄だ。
いや、というよりそもそもの話だ。改めて思い返してみて気づいたけど、あそこでの彼はあえて個人的な感情を押し隠すようなところがあった気がする。
いったい何のために?
ちょっと頭をめぐらせたけど、何も出てこない。私はため息をついて(やっぱり鼻がすぴすぴ言うだけのみっともないやつだ)、空を見上げた。お天道さまはいつでも教えてくれる。
私の美点はうそをつかないところ。堂々巡りしたときには原点に立ち返るのがいい。
(洞穴みたいな人でした)
「何?」
(基本的には無口。無表情。最低限しか話さないですし、ほんのたまに笑うかと思いきや、それは相手や場を上手に制御するための道具としてのものでした。ある程度暮らせば、何に心をうきうきさせて何を避けたがるかわかるものです。でも阿止里さんは、ぽっかりあいた穴のように底知れないまま――その穴を覗き込ませてもくれなくて)
いや、覗き込むのを恐れて距離を取っていたのは私のほうだっただろうか。
なんにしろ、丁寧に彼の言動をなぞると、基本的に自分の思い通りにことを運ぶよう周到に動いていた。まわりの人間に不快感を与えないようにしながら、上手に制御するやり手の上司と重なる瞬間が何度もあった。明確な目的のために。
でもその目的が何だったのか、どうやっても想像もつかない。ただ私への目線は――ほとんど観察と言っていいようなものがあったようにも思える。
あれは慈しみとかではなかった。ほかの三人の、種類は違えども純粋と言える感情とは違う。そうだ、阿止里さんはいつもどこか冷ややかな観察をたたえていた。望む結果を引き出そうと実験する科学者のように。
いまも阿止里さんは私を見ている。ただその視線にはその科学者の目はなかった。かわりにあるのは事実を採集して仮説を立てる段階の観察者の目だった。水槽のガラスに増殖してきた藻を観察するように。
「つまり俺は、おまえに興味を持っていた?」
興味。それはまあたぶんそうだ。私はあいまいにうなずく。その興味がどのような意味合いをもつかはわからないけど。
阿止里さんはゆっくりと上半身を起こした。芸術品のような形の瞳が月の光を吸い込んでいる。
そして突然、私の首根っこをつかんで引き寄せた。
あまりの唐突さに絶句し、鼻先がくっつくくらい近い阿止里さんに閉口する。
漆黒の髪、涼やかに輝く瞳、完璧な造作の顔立ち。そして身体からあふれ出る熱量に圧倒されて、私はなにも考えられない。
「おまえ――女なのか」
いきなり何を、と思い、声でわかるでしょ、と思い、たぬきの肉体のいま声は歪に湾曲して響いているのだったと思い至る。でもなんだか素直に答えることへの拒絶があった。
(……どうでしょう。伸び盛りの少年かも、それとも本当に白髪頭のおじいちゃんかもしれませんよ)
苦し紛れに言ってみれば、阿止里さんは片目を眇めた。
ああいやだ、その目。内臓を掴みとられて検分されるような目。
興味の残りかすを吹いて飛ばすように、阿止里さんは鼻を鳴らした。
「……話をする機会を待っている」
何の話だろうと私が黙っていると、あきれたように阿止里さんは眉を寄せた。
「俺が牢に留まる理由だ。聞きたかったのだろう」
そのとおりだ。お前は何を与えることができるという問いかけがよみがえる。それを話してくれるということは、彼の基準の何かを満たしたのだろうか。
「湯守という生業を聞いたことは?」
ゆもり。もちろん初耳だ。どこへ転移させられても初耳ばかりで、私の頭はいつだってパンク寸前である。外付けハード募集中。
私が首を横に振ると、阿止里さんは淡々と話し始めた。
「この由伊津から七日ほど北東へ歩く。獣道ともいえないような密林をひらすら登り歩く。鬱蒼とした森が突然終わる。巨大な大鉈で垂直に断ち切られたような崖に出る。大鷲も尻込みするほどの切り立った断崖だ。そこから一本の吊り橋が伸びている。天候によっては雲海のようになる深い谷を覗き込めばはるか下方、森に埋まるようにして川が流れているのが見える。谷を渡れば潜むように、こんこんと湯の湧く土地がある。湧き出る湯はあらゆる病を癒すという。癒しを求める人々はどこからかその噂を聞きつけてはるばる訪れる。その湯と滞在するところを保つための生業が、湯守だ」
つまり秘湯の温泉地だ。私はもくもくと湧きたつ湯気、足先をそっと差し入れて全身を浸かる心地を想像してうっとりとため息をついた。すぴすぴと鼻がなる。
(阿止里さんは湯守なんですね)
そうだ、と彼はうなずいた。視線をななめに落とし、思い出すように目を閉じた。
「湧き出る湯は高温すぎる。湯の溜まり場と通り道を整え、入るのに適した温度になるまで、わらで編んだ壁に落とす。高低差で落ちながら空気に触れて温度が下がる。水車を使い、循環させて適温になるまで湯をまわす。わらは傷みが早く交換するものを常に用意する必要があるし、客の寝所や食事もある。やることは尽きない」
墓守は聞いたことがあるが、湯守とは。その名の通り、お湯の管理人だ。
「人里はなれた地にわざわざ治療のために来るような人間は限られている。いろんな知識を、俺は彼らから得た」
なるほど、みんな生きるので精一杯なこの時代に田舎の温泉でゆったり羽を伸ばせるのは、国のお偉いさんや知識人だろう。
そういうエリートたちがスマホもネットもない湯治のあいま、子どもに暇つぶしにものを教えて、その成長に驚く様子が浮かんだ。たくさんの学者たちが、滞在期間中の道楽としたに違いない。
濡れた地面が雨を吸うような自然さで、阿止里さんは多方面の知識を手に入れたのだろう。
そして知識を知恵に変換するための器量も備えていたのだ。こればかりは生まれ持ったところが大きいように思える。勉強ができることと、現実生活で賢く立ち回れることには隔たりがある。
でも待てよ、と私はすこし混乱する。
志比が言うには、阿止里さんは皇の子どもだ。王子さまがこんな僻地で湯守という仕事をするだろうか。そもそも、お母さんはどういう立ち位置なのだろう。
もしかして、お父さんに湯守で働いてろと遠ざけられているとか?
何にしても今、阿止里さんはその湯守から離れて、この牢に留まっている。
「ずっとだ。ずっと幼いときから思っていたのだ。対話をし、尋ること。そのためにここにいる」
力強い意思を乗せた声。支配者の声だ。前から思っていたけど、阿止里さんはリーダーに欠かせない資質を持っているように思える。たぶんそれは、彼に迷いがないからだ。あったとしてもそれをおくびにも出さず、まわりの人間に憧れを抱かせてしまう。
でもどうしてだろう。その意思の強さと同じくらい、冷えきった悲しみのようなものを抱えているようにも見える。
(……尋ねたい人って?)
阿止里さんは沈黙した。そして思いがけず話しすぎたことを厭うように目を伏せた。やがて次に目を開けたときには、その目には何の光もなくなっていた。
「もう行け。そしてここへはもう来るな」
明確な拒絶の声が夜に溶けた。




