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Late Bloom 〜凪と いつかの地図〜  作者: KJ
第2幕 収集と違和感

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第5話 アルバーナ(後編)


旧公営倉庫は、街の東の外れ、水路が尽きるあたりに、ひっそりと建っていた。


夜。

ランタンひとつを頼りに、三人は錆びた鉄の扉の前に立つ。

澪が、大きな鍵束を取り出し、一本ずつ試していった。


「まさか、本当に使う日が来るとはね。ここの鍵、ギルドの引き出しの奥で、誰も触ってなかったの」

「どうして、澪さんが知ってたの?」

「暇だったから」肩をすくめる。

「見習いって、掃除ばっかりなの。で、掃除してると、昔の台帳とか地図とかが出てくるでしょ。

 そういうの読むの、好きで」

「好奇心、強いんだね」

「うん。いつも、どこか遠くに行きたいと思ってた。街の外に、何があるのかなって」


かちり。


鍵が回った。

重い扉が、軋みながら開く。

冷たく湿った空気が、中から流れ出した。


歩きながら、渉が小さな声で、私に囁く。


「……凪さん」

「うん?」

「あの、女の子と話すとき……どうしたら、いいのかな」


声を殺して、笑ってしまった。


「澪さんのこと?」

「ち、違う。いや、違わないけど。いや、そういうんじゃなくて」

「渉くん、さっき、耳、真っ赤だったよ」

「……見てたの」

「うん、見てたよ」


渉は、両手で顔を覆った。


「穴があったら入りたい」

「もう、大げさだなぁ」彼の隣を歩きながら、私も声を低くする。

「普通に話せばいいの。気の利いたことなんて、言わなくていい。

 相手の話をちゃんと聞いて、分からないことは訊く。それだけで、十分」

「それだけ?」

「それだけ。渉くんは、聞くのが上手だから。大丈夫」


言ってから、自分の言葉に少し驚いた。

誰かに教えるみたいに、すらすらと出てきた。

人と話すことについて、私は、何かを知っているのだ。


その「何か」が何なのかは——やはり、思い出せない。


倉庫の奥に、地下へ降りる階段があった。


石の壁には苔が這い、一段降りるごとに、空気が冷えていく。


階段の底は、広い空間だった。

巨大な冷蔵庫の中のような、整然とした棚が、何列も並んでいる。

棚はほとんど空で、朽ちた木箱がいくつか残っているだけ。


その奥に、金属の台座がひとつ。


台座の上に、小さな円筒形のカートリッジが、ぽつんと置かれている。

ランタンの光を受けて、鈍く光った。


「あれだ」


渉が呟く。

私が一歩踏み出した、そのとき。


台座の脇の暗がりから、低い唸りが響きはじめた。


「何、あれ」


澪が息を呑む。


四つ足の機械が、ゆっくりと身を起こしていた。

犬ほどの大きさ。

けれど体は鋼でできていて、背には、細長い砲身のようなものが突き出している。

頭部の赤い光が、私たちの顔を、順になぞった。


「警備機械だ」渉が囁く。

「まだ、動いてたんだ」

「逃げ——」

「待って」


私は、澪と渉の前に、すっと立った。


なぜそうしたのか、自分でも分からない。


ただ、体が先に前へ出ていた。

両手を、ゆっくり、体の横に開く。

笑顔を作る。


「大丈夫だよ」


機械に向かって、静かに言う。


「あなたの敵じゃないよ。ずっと、ここを守ってたんだよね。……お疲れさま」


赤い光が、私の顔の上で、止まった。


唸りが、少しずつ、小さくなっていく。

砲身が、ゆっくりと下がる。

四本の脚が折れ曲がり、機械は、その場に伏せた。

安心して眠ることを許された、犬のように。


「……止まった」澪の声は、掠れていた。

「今の、何?」

「分からないの」自分の手を見つめる。

「でも、何も怖くなかったんだ」


渉が、じっと私を見ていた。

何か言いかけて、やめる。


台座のカートリッジを、手に取った。

ひんやりと冷たい。

側面に、見覚えのある文字が、擦り切れて残っている。


湊 記憶(2)




視界が、また、私のものではなくなる。


朝。

窓から、柔らかな光が差し込んでいる。

台所の、古い木の机。

窓際に、小さな鉢植え。

やかんが、しゅんしゅんと湯気を立てる音。


私の——いや、湊の目の前で、少女が背を向けて立っていた。


肩に届く髪。

簡素なエプロン。

慣れた手つきで、二つのカップに紅茶を注いでいる。


「湊さん、今日は、お昼にあの子が来るんでしたよね」

「ああ。ケーキを焼いてくれるって言ってたな」

「はい。ちゃんと、焼いておきます。あの子、甘いものが好きだから」


少女が、振り返った。

完璧な笑顔。

湊の前にカップを置き、それから、ポットの隣の小さな壺から、角砂糖を二つ、摘み上げる。


ぽちゃん、ぽちゃん。

琥珀色の液体に、白い粒が沈んでいく。


湊は、何も言わなかった。


ただ、見ている。

少女の指の動きを。

二つの角砂糖が、茶の中でゆっくりと形をなくしていくのを。


——湊は、紅茶に、砂糖を入れない。


その知識が、湊の意識の底から、静かに浮かび上がってきた。

苦いほうが好きだった。

昔から、ずっと。


なのに少女は、いつも二つ入れる。


何度言っても、直らない。

いや——。


湊の指が、無意識に顎へ上がる。

握った拳を、顎に当てる。

考えごとをするときの、癖。


——直さなかったのは、僕だ。


カップに、口をつける。


甘い。

甘すぎるほどに。

それでも湊は、その甘さを、静かに、最後の一滴まで飲み干した。


「おいしいですか?」

「……ああ。おいしいよ」


少女の私が、嬉しそうに笑う。


その笑顔の奥で、私は、湊の胸にあるものを、読み取ってしまった。


愛しさ。

安堵。

そして、触れたら壊れてしまいそうな、細い、細い、祈りのようなもの。


この甘さが失われることを、彼は、何よりも恐れていた。




「凪さん」


声が、遠くから聞こえた。


気づくと、倉庫の地下の冷たい床に膝をついていた。

澪が肩を支えている。

渉は再生機を握りしめたまま、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。


「大丈夫? 急に、動かなくなって」

「……大丈夫。ありがとう」


笑ってみせる。

それから、頬に手を当てた。

今度は、濡れていない。


そのかわり、胸の奥が、ひどく静かに痛んでいた。




翌朝、ギルドの食堂で、三人で朝食をとった。


澪が「お礼」だと言って、湯気の立つ紅茶を三つ運んでくる。


白い角砂糖の入った壺も、一緒に。


澪は、自分のカップを置くと、膝の上で両手を組んだ。


「それでね。相談があるの」

「相談?」と、渉が聞き返す。

「昨日の夜、ガンさんに話してきたの。しばらく、ギルドを空けたいって」


渉の手が、スプーンを持ったまま止まった。


「私も、二人の旅に混ぜてほしい」


澪は、指を折りはじめる。


「理由は三つ。ひとつ。凪さんの体を診られる人が、要るでしょう? 渉くんの腕は本物だけど、ギルドの部品と設備が使えるのは、私。

 ふたつ。あの関節を作った人が、何を考えてたのか、整備士として知りたい」

「……三つ目は?」

「掃除は、もう飽きた」


あまりに潔い答えに、思わず吹き出してしまう。


「ガンさんは、何て?」と、私は訊いた。

「『行ってこい。ただし、嬢ちゃんを壊すなよ』だって」


渉が、助けを求めるように私を見る。

肩をすくめてみせた。


「決めるのは、渉くんだよ。この旅の鍵を持ってるのは、渉くんなんだから」

「俺、が」


しばらく考え込んでから、渉は、小さく頷いた。


「……いてくれたら、助かる。たぶん、すごく」

「やった!」


澪が、ぱっと顔を輝かせて拳を握る。

渉の耳は、言うまでもなく、真っ赤だった。


「ロボットって、飲めるの?」と、興味津々の顔。

「味は、分かるみたい。体の中に、ちゃんと仕組みがあるんだと思う」

「へえ。便利」


私は何気なく、壺へ手を伸ばした。

角砂糖を、二つ、摘み上げる。


ぽちゃん、ぽちゃん。


「……あ」


そこで、手が止まった。


澪が目を丸くしている。


「ロボットが砂糖入れるの、初めて見た。しかも、二つ」

「うん……自分でも、びっくりしたの」


カップの中で、ゆっくりと溶けていく白い粒を、見つめる。


どうして、二つなんだろう。


考えるより先に、手が動いていた。

昨夜、湊の記憶の中で見た、あの動作と、寸分違わずに。


「凪さん?」


渉が、私の顔を見ていた。


「ううん。……なんでもないよ」


カップを両手で包む。

温かい。


湊と私のあいだには、何かがあった。

ただの持ち主とロボットではない、何かが。


その確信が、初めて、胸の中ではっきりと形を持った。



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