第4話 アルバーナ(前編)
山を越えるのに、旧い鉄道を使うことになった。
リーヴァから川沿いに半日歩いたところに、かつて「駅」と呼ばれた場所の残骸がある。
そこから週に一本だけ、貨物列車が山の向こうへ走っているのだと、渉が教えてくれた。
行商人から聞いた話らしい。
「動いてる区間は、全体の一割もないんだって。あとは線路が草に埋もれてるか、橋が落ちてる」
「それでも、走ってるんだね」
「運んでるのは、人じゃなくて荷物。だから客車は、ない」
プラットホームの跡に停まっていたのは、錆の浮いた貨車が六つ連なっただけの、短い列車だった。
先頭の機関車は、四角い箱に車輪をつけたような代物。
運転席に座っているのは人間ではなく、肩から腕が四本も生えた、無骨な作業ロボットだった。
「乗せてもらえますか」
運転席の窓に向かって声をかけると、ロボットは首だけをゆっくり回した。
光る目には、感情らしいものが何も映っていない。
「旅客の輸送は、行っておりません」
平板な声。
「ですよね」
「ただし、荷物の同乗を妨げる規則は、ありません」
「……荷物」
「荷物扱いであれば、無料です」
思わず、隣の渉と顔を見合わせる。
彼は唇を噛んで、肩を細かく震わせていた。
「渉くん、笑ってるでしょう」
「笑ってない」
「笑ってるよ」
「…………荷物って」
結局、私たちは荷物として、麦袋の山の隙間に腰を下ろすことになった。
がたん、と大きな揺れ。
貨車が、軋みながら動き出す。
「充電、こっちで繋いでおく」
渉が、膝に抱えた携帯用の充電器から伸びるコードを、私の背中の小さな蓋へ差し込んだ。
折り畳み式の太陽光のパネルが、貨車の隙間から差す光を受けて、かすかに脈打っている。
「走ってる間は、これで持つ」
「ありがとう。便利だね、渉くんは」
「……作っただけ」
そう言いながら、耳が赤い。
渉が、窓のない貨車の戸を、指二本ぶんだけ開けた。
細い隙間から、冷たい風と一緒に景色が流れ込んでくる。
線路の両側には、枯れ草の海。
その向こうに、青い山の稜線。
ところどころに、かつての街の名残が顔を出していた。
骨組みだけになった巨大なアンテナ。
蔦に覆われた橋脚。
屋根を失って、煙突だけが立つ工場。
「どうして、こんなに誰もいないの?」
渉は、少し考えてから答えた。
「俺も、聞いた話なんだけど。昔は、海沿いに大きい街がたくさんあって、人はみんなそこに集まってたんだって。
でも、海が上がって、街が水に浸かって。電気を作る場所も、直す人も、足りなくなって」
「それで、みんな移ったの?」
「うん。高いところとか、水のきれいなところとか。畑が作れるところに。
……昔は田舎って呼ばれてた場所が、今は一番栄えてるって、じいちゃんが言ってた」
「逆さまになったんだ」
「そう。逆さま」
貨車が、トンネルに入った。
闇の中で、車輪の音だけが反響する。
渉の声が、その中に混じった。
「ロボットも、減ったんだ。作れる人が、いなくなったから。今あるのは、大きな工房が作る作業用ばっかり。
人の形をしたのは、すごく高くて、お金持ちの家で家事をするくらい。
表情があるやつなんて、ほとんど、見たことない」
「私は、珍しいんだね」
「珍しいというか——」
トンネルを抜ける。
光が、一気に貨車へ流れ込んだ。
眩しさに目を細めた渉は、言葉を探して、探しきれずに、小さく笑う。
「たぶん、世界で一人」
世界で一人。
その言葉が、胸の奥に、妙な重さで沈んでいった。
アルバーナは、山の斜面に貼りつくようにして、そこにあった。
最後のトンネルを抜けた瞬間、視界が一気に開ける。
段々畑のように重なり合う、無数の屋根。
その一枚一枚に、銀色の板が並び、冬の陽を弾いていた。
家々の間を縫って、細い水路が街じゅうに張り巡らされている。
山から引いた雪解け水が、石の溝を流れ、坂を下り、また別の水路へ分かれていく。
街全体が、水の脈を持つひとつの大きな生き物のようだった。
「うわ」と、渉が息を漏らした。
「すごく大きい街だね」
「人口、三万人くらいだって。百年前なら小さな町だけど……今は、この国で一番大きい街らしい」
三万。
リーヴァの住人の、何百倍にあたるのだろう。
駅に降り立った途端、人の波に呑まれた。
荷車を引く人。
籠を抱える人。
道端で野菜を並べる商人。
その足もとを、背の低い作業ロボットが荷を背負って、器用に人をよけて歩いていく。
ここでは、ロボットは風景の一部に過ぎない。
珍しがる人など、誰ひとりいなかった。
——私を、除いては。
「え、人型……?」
「うそ、あれ、表情ある」
「どこの家の子だろう」
すれ違う人たちが、次々に振り返る。
気づけば、渉は私の影に隠れるようにして、半歩ずつ後ずさっていた。
「大丈夫?」
「……人が、多すぎる」
「じゃあ、私の袖、持ってて。迷子になったら大変だから」
渉は一瞬、迷う顔をして、それから、そっと袖の端をつまんだ。
笑いそうになるのを、必死でこらえる。
この子は本当に、こういうことが苦手なのだ。
私たちが目指したのは、街の中央にそびえる、石造りの大きな建物だった。
入口の上に、歯車と水滴を組み合わせた紋章が掲げられている。
アルバーナ整備ギルド
「ロボットの台帳があるって、行商人が言ってた。型番が分かれば、誰が作ったのかも、分かるかもしれない」
「私の型番、分かるかな」
「うん」
重い扉を押し開けると、油と金属と、熱い珈琲の匂いが、ぶわりと押し寄せた。
広い作業場には、何十台ものロボットが並べられ、作業着姿の整備士たちが、その間を行き交っている。
「いらっしゃ——」
受付の少女が、顔を上げ、そのまま固まった。
年は、渉と同じくらい。
背中まで届く髪を、後ろでひとつに束ねている。
袖を肘まで捲り上げた腕には、油の染みが散っていた。
丸くて、よく動く目。
その目が、私の顔と、全身と、また顔とを、せわしなく往復する。
「え、人型!? しかも、表情がある!? 待って待って、ちょっと待って」
椅子を蹴って立ち上がり、カウンターを飛び越える勢いで駆け寄ってきた。
「どこの工房の? 型番は? 登録は? あ、ごめん、私、澪。ここの見習い。
ねえ、ちょっと触っていい? 関節、見たい!」
「み、澪さん」と、渉が裏返った声で言う。
「澪でいいよ! あなたは? あ、ロボットさんの名前って聞いていいのかな。
持ち主は?」
質問が、機関銃のように降ってきた。
笑いながら、ひとつずつ答える。
「私は凪。持ち主は、いないと思う。こっちは渉くん。リーヴァ村の人で、一緒に旅をしてるの」
「凪さんに、渉くん。よろしくね!」
にっこり笑って、澪が右手を差し出す。
渉は、その手をじっと見つめたまま、動けなくなった。
握手というものの手順を、丸ごと忘れてしまったみたいに。
「……あ、うん。よろしく」
ようやく、ぎこちなく握り返した彼の耳は、真っ赤だった。
私は何も言わずに、その耳を見ていた。
「型番は、見たところ、なし」
ギルドの奥の検査室。
老整備士のガンさんが、私の右腕を持ち上げたまま言った。
白い眉毛が、ぼさぼさと目にかかっている。
手には、大きな拡大鏡。
「台帳にも載ってない。登録がないってことは、正規の工房の製品じゃないってことだ。
……なのに、この造りは、なんだ」
肘の関節を、太い指でゆっくりと曲げ伸ばしする。
「こんな動きをする関節は、見たことがない。どの工房の標準品とも、設計の癖が違う。
量産品の関節は、均等で、無駄がない。だが、これは違う。ここ——わざと遊びを残してある。
人間の関節みたいな、ぬるっとした動きを、再現するためだ」
「何のために、ですか」
「さあな」ガンさんは鼻を鳴らした。
「ただ、一つだけ分かる。こいつは、一人の人間の手癖だ。誰か一人が、何年もかけて、自分の手で、ひとつずつ作った。
設計の思想が、一人の頭の中にしかない」
「一人の研究者さん、なんだね」
「ああ。それも、相当な執念を持ったやつだ」
執念。
その二文字が、耳の奥に残った。
「表情を作る機構も、見せてもらったよ。百年前の技術だ。今は、誰にも作れん。
作り方そのものが、失われた」拡大鏡を外して、ガンさんは私を見た。
「嬢ちゃん。あんた、とんでもないもんだ。どこの誰が、何のために作ったのかは、俺にも分からん。
……だが、大事にしな」
「はい、大切にします」
短い返事に、思っていたよりも多くのものを込めてしまった気がした。
検査室を出ると、扉の外で、澪が待ち構えていた。
「どうだった?」
「作った人の手癖が分かる、って言われた」
「手癖! いいなあ、それ。私も、そういうの、作ってみたい」
視線が、渉のほうへ滑る。
腰のポーチから携帯用の再生機を取り出して、点検していた彼の手元へ。
「それ、何?」
「え。あ、いや」
「見たことない回路。ちょっと見せて」
返事も待たず、澪が顔を寄せた。
固まったままの渉の手から、箱がひょいと取り上げられる。
「……これ、自分で組んだの?」
「う、うん」
「端子の配線、きれい。無駄がない。この小型化の仕方なんて、ギルドの先輩たちでもできないよ」
渉が、目を見開いた。
「うちのギルドで一番手先が器用なの、私なんだけどな」悔しそうに、けれど、どこか嬉しそうに、澪が笑う。
「あなたに、負けた」
「そ、そんな」
「ねえ、渉くん」澪は、改まって彼を見た。
「その箱、何をするものなの? それと、さっきから持ってる地図、見せてくれない?」
渉が、助けを求めるように私を見る。
「いいよ」と、私は頷いた。
「私も、澪さんになら、見せていいと思う」
なぜそう思ったのか、自分でもよく分からない。
ただ、澪の目には、人を覗き込むような、まっすぐな好奇心だけがあって、そこに嘘や打算の影がなかった。
渉が、おずおずと地図を広げる。
覗き込んだ澪の目が、ある一点で止まった。
「ここ、アルバーナの——旧公営倉庫」
「知ってるの?」
「街の東の外れにある、昔の物資倉庫。今は使われてなくて、立入禁止。
でも、ギルドの鍵があれば、入れるよ」
顔を上げた澪の目が、きらきらと光っていた。
「ねえ、私も、行っていい? 鍵、貸してあげるから」




