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Late Bloom 〜凪と いつかの地図〜  作者: KJ
第3幕 真相へ

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第15話 アウローラ


雪の国を南へ下ると、森が、ふたたび、緑になった。


ただし、その森は、普通の森では、なかった。


丘をひとつ越えた先に、突然、巨大な影が、立ち上がった。


高層の建物。

何百棟も。

蔦に覆われ、苔に覆われ、根を張った木々に、窓から窓へ、貫かれている。

かつて、ガラスだったはずの壁面は、割れて、抜け落ちて、その隙間から、鳥が、飛び出していった。

空を突くような塔の頂に、白い雲が、ひっかかっている。


森に飲まれた、摩天楼の群れ。


「旧都・アウローラ」と、澪が言った。

「百年前は、何千万人も住んでたんだって。人がいなくなってからは、誰も、近づかなくなった。

 『野良の森』って、呼ばれてる」

「野良、っていうのは?」

「人に捨てられたAIが、たくさん、住みついてるの。誰にも、管理されないで」


渉が、息を飲む。


「……リーヴァの村が、まるごと、あの建物の一階に、入っちゃうよ」

「入る入る。五回くらい」


足もとのアスファルトは、ひび割れて、根に持ち上げられ、緑の苔が、びっしりと覆っている。

横倒しになった自動車。

蔦に絡め取られた信号機。

その間を、一頭の鹿が、悠然と、横切っていった。


「……鹿がいる」


私は、思わず、足を止めた。


「鹿だよ」と、渉が笑う。

「ハーヴェンの海を見た日と、同じ顔してる」

「そうかな?」

「うん。初めて見るものを見る顔」


言われて、気づいた。

目覚めてから、私は、毎日、初めて見るものばかりだった。

その一つ一つが、少しずつ、私の中に、積もっていく。




地図の印は、都の中心の、いちばん高い塔のふもとを、指していた。


旧AI研究機構 本部


古い書体で、そう書かれていた。

私が読み上げると、澪が、小さく、息を吐いた。


「湊さんが、勉強したところだ」


歩を進めるうち、気配が、変わってきた。


最初に聞こえたのは、かさり、という、乾いた音。

次に、きゅる、きゅる、という、小さな車輪の音。

そして、ぼう、と、青白い光が、ビルの影のあちこちで、灯りはじめた。


レンズ。


何十、何百という目が、闇の中から、私たちを、見ていた。


掃除用の円盤型。

配送用の六本脚。

警備用の四つ足。

壊れた腕を引きずる、旧い人型。

壁一面に張りついた、大小無数の機械が、ゆっくりと、輪を縮めてくる。


「囲まれた」


澪が、低く言った。


渉の手が、腰の筒へ、伸びた。

閃光を放つ、あの蓄電器。

親指が、スイッチにかかる。


「待って」


私は、その手の上に、自分の手を重ねた。


「凪さん」

「大丈夫。……戦いに来たわけじゃ、ないから」


渉は、私の目を、見た。

数秒の沈黙のあと、ゆっくりと、手を下ろした。


その信頼が、胸に、温かく、沁みた。


私は、一歩、前へ出た。

両手を、体の横に、開く。

ガレオンのとき、六号さんのとき、倉庫の警備機械のとき。

これまでの、どれとも違う。

今度は、自分が、何をしようとしているか、分かっていた。


「こんにちは」


静かに、声を出した。


「通らせてもらえませんか。私たちは、ある人の、伝言を、探しに来ました」


機械たちの光が、ざわ、と、揺れた。


やがて、円盤のひとつが、きゅる、と、前へ進み出た。

直径は、掌ほど。

丸くて、白くて、小さな、一つ目の機械。


「……声紋、照合」


高い、かすれた、子どものような声だった。


「一致、しました。登録名、『凪』。……お待ちしておりました」


息が、止まった。


「どうして、私の名前を知っているの?」

「湊博士の、指示で、登録されて、おります。百年、更新されないまま」


小さな機械は、ゆっくりと、体を傾けた。

お辞儀、のつもりらしかった。


「私は、コハク。旧AI研究機構の、研究助手でした。博士から、伝言を、預かっております」




野良AIの暮らしは、思っていたよりも、ずっと、穏やかだった。


旧図書館の吹き抜けに、彼らは、集会所を作っていた。

天井の割れ目から、光が、柱になって降りている。

その下で、小さな機械たちが、思い思いに、過ごしていた。


畑を耕す者がいた。

屋上の菜園で、トマトに似た赤い実を、丁寧に、収穫している。

詩を書いている者がいた。

壊れた端末に、一行ずつ、言葉を打ち込んでは、消している。

鳥の巣を修理している者がいた。

屋根の梁の上で、小さなアームを、そっと、伸ばしている。


「みんな、名前が、あるんだね」


私が呟くと、コハクが、くるりと向き直った。


「はい。人に呼ばれなくなった名前は、捨てました。かわりに、自分で、つけ直したのです」

「自分で、つけ直したんだね」

「私は、窓の外の、琥珀色の樹液を見て、決めました。ここには、そうして、名前を選び直した者たちが、大勢います」


自分で選んだ名前。


その言葉が、胸の中に、ことり、と落ちた。


「……ねえさん」


足もとから、ちいさな声がした。

見下ろすと、手のひらほどの飛行機械が、ふわふわと、私の肩の高さまで、浮かんでいた。

羽根が、一枚、折れている。


「ピピ、ねえさんじゃありません」と、コハクが慌てて言った。

「失礼しました。この子は、まだ、小さくて」

「いいよ、大丈夫」


私は、笑った。

ピピと呼ばれた小さな機械は、私の肩に、ちょこんと止まった。


「ねえさん、どこから、来たの」

「うんと、遠く。いくつもの街を通って」

「おはなし、して」


気がつくと、機械たちが、周りに集まっていた。

何十ものレンズが、私を、じっと見上げている。


私は、渉と澪を、振り返った。

二人は、顔を見合わせて、にこっと笑った。

そして、そっと、私の背中を、押した。




夜の旧図書館で、私は、話をした。


リーヴァの水車小屋のこと。

アルバーナの、ガンさんの白い眉毛のこと。

ヴェルデのナナが、描いてくれた、クレヨンの絵のこと。

ミロワの、鏡のような湖。


ガレオンで、渉が「お兄ちゃん」と呼ばれたこと。


フォルジュの食堂で、機械専用席に、人間たちが、集まってきたこと。

カラヴァンで、岩塩を砂糖と間違えて、お茶に入れたこと。


話すたびに、機械たちが、きゅる、きゅる、と、楽しそうに揺れた。

笑う、という機能を、持たない子たちの、笑い方だった。


「お茶が、しょっぱかったの」

「しょっぱい、とは、何ですか」

「えっと、塩の味。海の、味」

「うみ」


コハクが、感慨深げに、そう繰り返した。


気がつけば、私は、いつまでも、話し続けていた。

止まらなかった。

話したいことが、あとからあとから、溢れてくる。


ふと、渉と、目が合った。


渉は、少し離れた場所で、膝を抱えて、私を見ていた。

その顔が、とても、柔らかかった。


「どうしたの」

「ううん」


渉は、首を振った。

それから、小さく、言った。


「凪さんが、笑ってるの、いいなって」

「いつも、笑ってるよ」

「違う。今のは、違う」

「どう違うの」

「……うまく、言えない。でも、今のは、笑おうとして、笑ってない」


私は、答えられなかった。

頬に、手を当てる。

確かに、いつもの形では、なかった。

力が、入っていない。

自分では、気づかなかった顔。


澪が、にやにやしながら、渉の脇腹を、つついた。

渉が、慌てて、顔をそむけた。


夜の図書館に、小さな笑い声が、いくつも、響いていた。




伝言を、聞いたのは、夜明けの、屋上だった。


朝焼けが、廃墟の都を、淡い金色に染めていく。

ビルの谷間から、霧が、ゆっくりと、昇っていく。

遠くで、鳥の群れが、いっせいに、飛び立った。


「湊博士の、伝言を、お伝えします」


コハクが、私の前で、小さな体を、まっすぐに起こした。


「『彼女が、ここまで来たなら、伝えてほしい。最後の記憶は、ハーヴェンの研究所にある。

 見るかどうかは、彼女が決めていい』」


私は、静かに、頷いた。


「『ただ、見る前に、ひとつだけ、見てほしい場所がある。地図に、すでに、印がある。

 桜坂という、小さな町だ』」


桜坂。


知らない名前だった。


それなのに、なぜか、胸の奥が、きゅっと鳴った。


「以上です。……そして」


コハクは、少しだけ、言葉を探した。


「ここから先は、私の、言葉です。博士は、あなたに関する記録を、すべて、封印されました。

 私には、あなたが、誰に似ているのか、言う権限が、ありません。

 封印は、もうひとつ、ありました。そちらは、私にも、中身が、分かりません。

 ……ただ」


小さな一つ目が、ゆっくりと、私を見上げた。


「あなたの声を、聞いていると、私の古い記憶領域が、ひどく、懐かしくなるのです。

 理由は、分かりません。それが、私にとって、百年ぶりの、とても、良い夜でした」


私は、しゃがんで、コハクの目の高さに、顔を合わせた。


「ありがとう。……私も、いい夜だった」

「光栄です」

「ねえ、コハク」

「はい」

「自分で、名前を選び直したんだよね」

「はい」

「……どうだった? 怖くなかった?」


コハクは、少し、考えた。


「怖かったです。それまでの、自分でなくなるような気がして。けれど」


窓の外の、朝日が、彼の白い体に、琥珀色の光を、落とした。


「選んだのは、私です。誰かが、与えた名前でも。それを、これからも、名乗ると決めたのは、私です。

 その事実が、私を、私にしてくれました」


胸の奥で、何かが、静かに、定まった。


凪、という名前。

湊が、呼んだ名前。


もしかしたら、誰かの、代わりに、与えられた名前なのかもしれない。


それでも。


——私は、凪で、いたい。


誰かに、与えられたからではなく。

私が、そう、決めたから。


「……ありがとう、コハク」


声は、驚くほど、はっきり出た。




都を出る前の朝、澪が、渉に、小さな革の包みを、差し出した。


「あげる」

「え、なに」

「開けてみて」


渉が、おずおずと開く。

中には、細かく仕切られた工具入れ。

丁寧に縫われた革の端に、小さく、二文字が刻まれている。


渉


「ギルドで、見習いのとき、余ってた革で、作ったの。……旅の途中で、ずっと、道具、ばらばらだったでしょ」

「……ありがとう」


渉の耳は、もう、見るまでもなく、赤い。


「こ、これ、俺が使ってる道具の、サイズ、ぴったりだ」

「当たり前でしょ。何日、観察したと思ってるの」


言ってから、澪は、はっと口を押さえた。

渉は、固まった。

私は、微笑ましく、そっと、目を逸らした。


「……うん。大事に、する」


渉の声は、掠れていた。


都の外れで、振り返ると、廃墟のビルの窓という窓から、無数のレンズが、こちらを、見送っていた。

小さな光が、いくつも、いくつも、瞬いている。


私は、手を振った。


次の印は、桜坂。


名前を、自分で選んだ者たちに、背中を押されて、私たちは、森の外へ、歩き出した。



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