第11話 フォルジュ
灯台を出たとき、日は、もう西に傾いていた。
引き潮の海の上に、石の堤が、濡れた背中をのぞかせている。
港の喧噪は、もう遠い。
それなのに、ミカゲさんの穏やかな笑顔だけが、潮風の中に、いつまでも張りついている気がした。
「ミカゲって人、一度断られたくらいで、諦めるタイプじゃない。
ぐずぐずしてられないよ」
澪が、港の方角を睨んで言う。
「ギルドの港支所に、知り合いがいるの。荷船を頼もう。川を遡れば、ガレオンの外に出られる」
「行き先は?」
「次の印。鉄の街、フォルジュ」
荷船の甲板で、私の左腕は、帆布と縄でぐるぐる巻きにされた。
巻いたのは渉だ。
黙々と、ひとことも喋らずに。
「ありがとう。ごめんね、迷惑かけて」
「謝らなくていい」
短く答えた彼の指が、縄を、ほんの少しだけ強く締めた。
少し離れた場所から、澪が、そんな二人をじっと見ていた。
目が合うと、ふい、と視線を逸らされる。
何か言いたいことを、飲み込んだような顔だった。
フォルジュは、空が灰色の街だった。
川を三日遡ると、遠くの空に、煙の柱が何本も立ち上るのが見えてくる。
近づくほどに、音が増えた。
槌を打つ音。
歯車の軋む音。
炉が、低く、唸る音。
そのすべてが重なって、街全体が、ひとつの巨大な機械の心臓みたいに、脈打っていた。
旧工業地帯。
昔の大きな工場群を、そのまま使って、今も鉄と部品を作り続けているのだと、澪が教えてくれた。
アルバーナの機械の部品も、ガレオンの船の鎖も、この街で打たれたものらしい。
通りは、煤の匂いがした。
赤く光る炉の口。
火花を散らして鉄を切る職人。
荷を積んだ台車の列。
そして、その間を黙々と行き来する、大勢の、灰色の影。
「……あれ」
渉が、息を呑む。
労働用のロボットだった。
肩幅の広い、旧い型の人型。
外装は鉛色にくすんで、胸には、白い数字が書かれている。
顔の真ん中に、レンズがひとつ。
表情を作る機構は、どこにも見当たらない。
それが、通りじゅうに、何十体も、何百体も、人間と同じ数のように、歩いていた。
「働き手の三割が、ロボットだって」と、澪が低く言う。
「人間が足りなくなったから。でも、人間と同じ道を歩いちゃいけない決まりらしくて」
そう言われて、ようやく気づいた。
人間たちは、大通りの真ん中を歩き、ロボットたちは、道の端の細い溝のような通路を、一列に進んでいる。
誰も、彼らに、話しかけなかった。
目さえ、合わせなかった。
灰色の群れの中から、ふと、ひとつのレンズが、私のほうを向いた。
何かに、引かれるように。
私が小さく会釈をすると、そのレンズは、すぐに、前へ戻った。
「ほう。これは、ひどくやられたもんだ」
鍛冶工房の職人、トウコさんは、私の左腕を持ち上げて、ふん、と鼻を鳴らした。
四十代半ばの、がっしりした女性。
煤で黒くなった腕に、火傷の痕がいくつもある。
「電気棒に、やられたね。内部の配線が、半分、焼けてる。手首から先は、駄目だ。
肘から、作り直す」
「作り直せるんですか」と、渉。
「うちは、鉄を打つ店だよ。義手も義足も、年に何本も打ってる。
腕の一本くらい、わけない。ただ」
トウコさんは、私の関節を、指でゆっくり曲げ伸ばしして、眉を寄せた。
「この動き。……普通の機械じゃないね。わざと、遊びを残してある」
「それ、アルバーナでも言われました」
「だろうね。これ、再現するのは、骨だよ。できるだけ、近づける。
けど、元通りには、ならない。それでもいいかい」
「はい。お願いします」
作業は、三日かかった。
鍛冶場の炉の前で、渉が設計図を引き、トウコさんが鉄を打ち、澪が部品を磨いた。
三人の連携は、見ていて気持ちがいいほど、ぴたりと噛み合っていた。
私は、作業台に腕を預けたまま、その様子を眺めていた。
助手が、もう一人、いた。
鉛色の旧型ロボット。
胸の数字は、六。
トウコさんが、「六号」と呼んでいる。
六号は、必要な工具を、頼まれる前に、そっと作業台に置いた。
熱い部品を、素手で、迷わず掴んだ。
決して喋らず、決して急がず、けれど、動きの一つ一つに、不思議な丁寧さがあった。
「ありがとう、六号さん」
私が言うと、六号は、一瞬だけ、動きを止めた。
「私に、礼は、不要です」
平板な、抑揚のない声。
「でも、言いたかったので」
六号は、答えなかった。
ただ、その後、私の視界に入る場所の工具だけを、さりげなく、整頓し直した。
「この街のロボットには」と、トウコさんが、作業の合間に、ぽつりと言った。
「感情を抑える装置を、入れるのが決まりなんだ。法律でね」
「感情を、抑えるんですか?」
「心があるように見えると、仕事にならない。……そう言う連中がいる。
あたしは、そうは思わないけどね」
トウコさんは、金槌を振り下ろした。
火花が、ぱっと散った。
「でも、あたしの店の六号は、昔、一度だけ、笑ったことがある。
装置を入れる前の話だ。……もう、二十年も前のことだけど」
昼食は、街の大食堂でとった。
入口に、大きな札が下がっている。
機械専用席は、右奥
二十脚ほどの粗末な椅子が、壁際に並んでいた。
人間の席から、ずいぶん離れた場所。
そこに、灰色のロボットたちが、背を丸めて座っている。
食事は、ない。
ただ、充電口に、細いコードが繋がれているだけだ。
「……なにこれ」
澪の声が、低く、震えた。
私は、席の前に立った。
ロボットたちが、顔の真ん中のレンズで、私を見上げる。
その中に、さっき通りで会釈を交わした一体の姿があった。
「ここ、座ってもいいですか」
返事は、なかった。
けれど、拒む気配も、なかった。
私は、隣の椅子に、腰を下ろした。
食堂のざわめきが、波のように静まった。
「お客さん」
店の主人が、慌てて駆け寄ってくる。
「あんたは、人間の席に——」
「人間じゃないので」と、私は笑った。
「ここで、いいです」
「いや、しかし」
がたん、と椅子が引かれる音がした。
渉だった。
無言で、私の向かい側に、腰を下ろす。
そのすぐ後ろで、澪も、ふんぞり返るようにして、隣の席に座った。
「私たちも、ここでいいです」
澪は、にっこりと笑った。
完璧に、棘のある笑顔だった。
主人は、何かを言いかけて、結局、口をつぐんだ。
やがて、肩を落として、厨房へ戻っていく。
しばらくして、人間の席の端から、一人の青年が、盆を持って、おずおずと近づいてきた。
「……あの。ここ、いいですか」
誰かが、くすりと笑った。
もう一人、また一人と、席を立つ人が、続いた。
気がつけば、機械専用席は、人間とロボットが、入り混じって座る、ただの食卓になっていた。
ロボットたちは、相変わらず、何も言わなかった。
けれど、私の隣の一体——六号のレンズが、ほんの少しだけ、揺れた気がした。
三日目の夜、腕が、完成した。
肘から先は、黒い鋼でできていた。
指先まで、ぴたりと動く。
けれど、動かしてみると、確かに、前とは違う。
ほんの少し、硬い。
「ごめんね。遊びまでは、再現しきれなかった」
渉が、俯いた。
「ガンさんが言ってた、あの、ぬるっとした動き。俺には、まだ、作れない」
「ううん、ありがとう」
私は、新しい指を、ゆっくりと、握って、開いた。
「いい腕だよ。私、この腕、好き」
本心だった。
ほんの少し硬い、渉の癖の入った、新しい腕。
それは、私にとって、確かな、今の証だった。
夜更けに、一人で、鍛冶場の外へ出た。
炉の熱が、まだ、壁の向こうから、ほのかに伝わってくる。
空は、煙のせいで、星が、ほとんど見えなかった。
背後で、足音がした。
六号だった。
鉛色の体が、闇の中に、ぼんやりと立っている。
「質問を、してもよろしいですか」
「どうぞ、何でも聞いてね」
「あなたは、笑うことを、選んでいますか。それとも、そのように、設計されていますか」
私は、答えに詰まった。
「……どっちだろう。選んでるつもり、なんだけど」
「私には、感情抑制の措置が、施されています。笑うことも、泣くことも、許されていません」
六号の声は、相変わらず、平板だった。
けれど、その平板さの下に、何か、ひどく深い場所の、静けさがあった。
「昼間、食堂で、あなたが、隣に座ったとき。装置が、一瞬だけ、緩みました。
理由は、分かりません。ただ」
レンズが、私を、まっすぐ見た。
「あなたは、自由で、いいな」
息が、止まった。
「……え? 今、なんて言ったの?」
「失礼しました。不要な発言です。削除してください」
六号は、一礼して、踵を返した。
その背中が、闇に、消えていく。
私は、その場に、立ち尽くしていた。
自由。
私は、自由だろうか。
笑うことを、選んでいるのか。
それとも、笑うことしか、できないのか。
眠る道を、選んだのは、私。
けれど、それは、本当に、「選んだ」と呼べるものだったのか。
答えは、闇の中の、どこにも見つからなかった。
翌日、六号が、私たちを、旧第一製鉄所へ案内した。
「地図の印は、おそらく、管制棟です。立入禁止ですが、整備のため、私は何度も入っています」
「いいの?」と、渉が訊く。
「見つかったら——」
「処分される可能性があります」
六号は、淡々と答えた。
「しかし、確かめたいことが、あります」
錆びた鉄の階段を、何十段も上った。
壊れた計器が並ぶ、暗い部屋。
窓の外には、巨大な炉の影が、黒い塔のように立っている。
その中央の机に、カートリッジが、ひとつ。
湊 記憶(6)
「……再生、するね」
私は、自分でそう言って、スイッチを入れた。
視界が、湊のものになる。
縁側だった。
夏の終わりの、傾いた陽。
庭の向こうの芝生で、背の高い少年と、少女の私が、ボールを投げ合っている。
少年は、晴。
十五、六歳。
笑い声が、風に乗って、縁側まで届く。
湊は、椅子に座って、それを眺めていた。
立ち上がろうとして、膝が、軋んだ。
——いつから、こんなに。
足もとの、水を張った桶に、顔が映った。
鬢に白いものが混じった、見知らぬ中年の男。
目の下に、深い影。
——これは、誰だ。
少女の私が、ボールを手に、振り返った。
十五年前と、寸分違わない顔で。
「湊さん、お水、飲みますか」
「ああ」
コップを受け取る手が、震えていた。
節くれだち、皺の寄った、自分の手の甲。
そのすぐ隣に、少女の指の、滑らかな白さ。
並べて、見てしまった。
——僕は、老いていく。
——この子は、老いない。
胸の奥の、深いところが、静かに、凍りついた。
——僕が、死んだあと、この子は——
「湊さん?」
思考が、そこで、断ち切られた。
少女の私が、心配そうに、顔を覗き込んでいる。
「いや。なんでもない」
水を、飲み干した。
冷たいはずなのに、味が、しなかった。
再生を終えても、管制棟の中は、静かなままだった。
六号が、レンズを私に向けて、じっと立っている。
「……あなたは、泣いていますね」
言われて初めて、私は、頬が濡れていることに気づいた。
「私には、できません。……羨ましい」
「六号さん」
何を言えばいいのか、分からなかった。
それでも、口が、動いた。
「あなたは、笑ってる。さっきから、ずっと。目の光が、笑ってる」
六号は、しばらく、動かなかった。
それから、ほんの、かすかに、レンズを揺らした。
「……そうですか」
平板な声。
けれど、その声は、確かに、少しだけ、震えていた。
フォルジュを発つ前の夜、宿で、澪が、私の新しい腕の関節に、油を差してくれた。
「ねえ、凪さん」
小さな缶を手にしたまま、澪が言う。
「うん?」
「疲れない?」
「え?」
「ずっと、笑ってる。ガレオンの夜も、フォルジュの食堂でも、六号さんの前でも。
……凪さんが笑ってるの、私は、好きだよ。でも」
澪は、油差しの先を、じっと見つめた。
「頑張りすぎ、じゃないかな」
「頑張ってなんか、ないよ。ロボットだから、疲れないし」
「それ、前にも聞いた」
澪は、顔を上げた。
まっすぐな目だった。
「笑ってない凪さんの顔も、見てみたいな。それだけ。……おやすみ」
澪は、灯りを消して、自分の寝台へ戻っていった。
暗闇の中で、私は、天井を見つめた。
新しい腕を、そっと握ってみる。
ほんの少し、硬い。
笑ってない顔。
それが、どんな顔なのか、私には、もう、思い出せなかった。
私の笑顔は、誰のための笑顔なんだろう。
答えを、出す前に、夜が、静かに、更けていった。




