とある研究員の災難
先日、研究室がひとつ消えた。
正確に言えば研究室の中身が、まるごと消え失せた。
何を隠そう、この僕が助手をしていた研究室である。
僕も事情聴取に呼ばれたが、特に怪しい所もなくすぐ解放された。知っている限りのデータや研究内容を吐かされたけれども。
研究室で培養していたスライムがその犯人であり、原因となった研究員はそのスライムに襲われ死亡。スライムも駆除されて研究所には平和が戻ってきた。処理班は優秀である。
地上1階にある雑談室では、4人の研究員がたむろしていた。
話題はもちろん「空いた研究室を次に誰が使うのか」という、今一番ホットな話だ。
「この機会に僕も上級研究員になりたいね」
「お、魔人兵計画に使えそうなアイディアがあるのか?」
「もちろん――おっと、だがここでは言わないぞ? アイディアを盗まれるわけにはいかないからな」
「ハハハ、そりゃそうだ」
「あー、奴隷を切り刻んで色々実験したいなぁ」
僕達にはやってみたい研究が山のようにある。人道? 道徳? そんなものはここには無い。
奴隷は資材だし、魔物は素材だし、助手は最低限の人権はあるが体のいい使い走りだ。……もっとも、僕も先日までは助手をしていたわけだが。
ちなみに僕のアイディアは魔物の肉体を人に移植するというものだ。
魔物と人、併せて魔人って丁度いいだろう。合成魔獣の研究が残っていたら筋肉のツナギとするのに丁度良かったのだが……まさかあそこまで徹底的に資料が消えるなんて。少し残念である。
「来季のコンペでは間違いなく人工魔人計画が採用だろうな。羨ましいぜ」
「教授が事故を起こさなければウチの合成魔獣計画がとってたさ。そうしたら僕も順当に研究室を貰えて……ん?」
ファーン、ファーン、ファーン……と、サイレンが鳴る。
「おいおい、まさかまた実験体の脱走か?」
「しめた。今残ってる実験体といえば人工魔人計画だろ? いい気味だね」
「あそこの実験体の完成度がどんなもんかは知らないけど、避難しないとな。ああ面倒だ」
どうせまた処理班がなんとかしてくれる。そう思いつつも席を立つと、処理班が部屋に入ってきた。
「おいおい、なんだ? 騒がしいだろ」
「研究員たち! 早く施設外に避難しろ、ここは危険だ!」
「は? 地上階だぞここは」
「そうだ。実験体の脱走ならまだ余裕だろう?」
「対象が確認されたのは地上3階だ!!」
地上3階。そう言われてゾッと背筋に冷たいものが走った。
どういう原理か知らないが、実験体は気付かれずに地下から3階へ移動した――つまり、その間にいた僕達は、その実験体に襲われる可能性が十分にあった。
「急げ、先導する!」
「あ、ああ!」
「こんな場所に居られるかっ、さっさと外に出させてもらう!」
「あ! 待て!」
そう言って処理班の制止を聞かずに部屋を出た同僚の研究員。
だが。
「むごっ、ごぼぼぼっ!?」
「なっ!? もう来たのか!」
天井から赤い水、いや、赤色のスライムが。その研究員の頭を包み込んだ。
一瞬だった。一瞬でばくんと、食らいつくように。
「特殊装備D!」
「ダメです、研究員にあたる!」
「構わん、もう助からん!」
薬液を放つ。スライムは研究員の首から下を振って盾にし、薬液を避けた。薬液のかかった研究員はじゅわりと溶けて酸っぱい異臭が立ち昇る。スライムの中でくぐもった悲鳴が上がった。
直後、ごぶちゅ、と鈍い音が響いて悲鳴が止まる。研究員の腕はだらりと力なく垂れる。そして頭のない背中に大穴が開いた死体をぼとりと落としてスライムは天井へと隠れた。
さ、先ほどまで歓談していた同僚が……し、死んだ? 死んでる。死んでる……
「くそっ! 学習してやがるってのか!? どうなってんだスライムごときがっ!」
「うげぇ、お、おい、どうするんだ?」
「あっちは危険だ。こっちに逃げよう!」
「そっちは地下だぞ?」
「実験体が上に居るなら、地下の方がかえって安全じゃないか!」
誰かがそう言って、地下へ逃げる。一瞬迷ったが、僕も地下へと足を進めた。
全員が逃げてきたところでハッチを閉める。密閉されるのでこれでスライムは追ってこれないはずだ。
地下は暗かった。照明魔道具が全部消えている。ライトの魔法が頼りだ。
「なぁ、今更だけど使用人でも盾にして外に逃げた方が良かったんじゃないか?」
「もう全滅している」
「は?」
使用人は4人いたはずだ。全滅?
「警報が鳴ってからまだ5分もたっていないだろう? どうなってるんだ」
「使用人のうち2人は警報が鳴る前に殺された。1人は警報を鳴らしたところで殺され、最後の1人は、それを我々に報告して避難しようとしたところで……な」
ちょうど休憩室に集まっていた4人が、命を賭して警報を鳴らしたらしい。
まさか僕達が寛いでいた上でそんなことになっていたなんて……
ここに居るのは研究員が3人、処理班が4人。
処理班は防護服に身を包んでいる……
「おい! 俺達の分の防護服はあるんだよな?」
「ああ、これを着ろ」
「おっ。良かったよ、お前らから奪うことにならなくて」
そう言って僕達に防護服を差し出す処理班の班長。これで少なくとも、スライムに溶かされる心配は無くなる……と思いきや、防護服は2着しかなかった。あれ、僕の分は?
「おい、僕にも防護服よこせよ!」
「なぁ。アレ、お前んとこのスライムだろ? その責任は取るべきだよな」
「はぁっ!? それを言ったら処理班がやり損ねたから今こんなことになってんじゃないのか!?」
「……分かった。騒ぐな。俺の分の防護服をやる」
処理班の班長がそう言って、防護服を脱ぎ渡してきた。
素直だな。やはり僕達の方が命が重いと分かってるんだろう、殊勝なことだ。
……うわ、ちょっと汗臭い。そう思いつつも、命には代えられないので防護服を着た。
「ん?……そういや、処理班って5人組じゃなかったか?」
「1人、やられた。防護服の中に隠れていたんだ。……気を付けろよ。やつらは1匹じゃない、5匹はいる。2匹を仕留めたが……」
……は? なんだそれ。
じゃあ、あと3匹いるってコト!? あのスライムが!?
「お、おおお、おい! い、今着た奴は大丈夫なんだよな!?」
「安心しろ、その2着は中身を確認済みだ。じゃなければ渡さない」
「ホッ、よかった」
「ってよくねぇよ! 人の話聞いてなかったのかお前は! あと3匹はあのスライムが居るってコトだろ!?」
「……それも少なくとも、だな」
沈黙せざるを得ない。あの凶悪な赤いスライムが、このハッチの向こうを闊歩しているのだ。




