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その頃、王都サンクチュアリの空気は、まさに地獄の様相を呈していた。


「……なぜだ。なぜ、これほどまでに『光』が効かない!?」


 第一王子ジュリアンは、謁見の間で叫んだ。

 玉座に座る父王も、その顔色は土気色で、ひどく老け込んでいる。


 王宮全体を包んでいた「永遠の輝き」は、もはや見る影もない。

 壁紙は剥がれ落ち、そこから覗く石材は湿った苔に覆われ、不気味な胞子を振りまいている。かつてこの国を象徴していた白亜の城は、今や「巨大な腐敗の塊」へと変貌しつつあった。


「マリアベル! 貴様の浄化はどうなっている! 毎日、国民から集めた魔力石を消費して祈っているのではないのか!」


「ひ、ひぃっ……! や、やっておりますわ! でも、私が光を放てば放つほど、次の日にはその倍以上の汚れが襲ってくるのです! これじゃまるでお姉様の呪いだわ!」


 マリアベルの叫びは、半分は正解だった。

 エルナという「排出溝」を失った王国には、数百年分の生活排水ならぬ「魔力の老廃物」が溜まり続けている。マリアベルが放つ光魔法は、その老廃物を「蒸発」させるだけで、消し去っているわけではない。

 蒸発した汚れは空気中に混じり、さらに濃い毒となって、城内の人間たちの精神を蝕み始めていた。


「殿下、報告が……」


 駆け込んできた騎士の姿に、ジュリアンは絶句した。

 彼の鎧は赤錆でボロボロになり、歩くたびにキーキーという不快な金属音を立てている。かつての精鋭部隊の面影は、もうどこにもない。


「魔導技師団の維持装置が、ついに限界を迎えました。……王宮の地下にある『聖水の泉』が完全に干上がり、代わりに……真っ黒なヘドロが溢れ出しています」


「なんだと……!?」


「さらに、国境付近の結界も弱まり、魔獣達の侵入が相次いでおります。……民衆の間では、『エルナ様を追い出したせいで神の怒りに触れたのだ』という噂が広まっており……」


 ジュリアンは拳を机に叩きつけた。


 馬鹿な。あんな清掃女一人に、この国の安寧が掛かっていたなどと、認めるわけにはいかない。


「……エルナか。あの女、北の地に送られたはずだな? ノルトエンデの『死神』に、とっくに食い殺されているだろうが」


「それが……。帰還した商人の話によりますと、ノルトエンデ領は今、なぜか『常夏の楽園』のように花が咲き乱れ、城は太陽よりも眩しく輝いているというのです」


「なん……だと!?」


 ジュリアンの背中に、冷たい汗が伝う。

 自分が「ゴミ」として捨てたものが、実は国を支えていた最強の「柱」だった。

 その柱を失った今、自分の足元が崩れ去ろうとしている。

 その恐怖を認める代わりに、彼は最悪の選択をした。


「……マリアベル。お前を『調査団』の長として、北へ向かわせる」


「えっ!? あんな寒いところ、嫌ですわ!」


「黙れ! エルナが何か『秘宝』を盗み出したに違いないのだ。または呪いをこちらにかけた。でなければ、あの呪われた地が輝く事もないはずだ。その秘宝を奪い返し、エルナを連れ戻せ。……いや、無理矢理にでも『掃除』をさせるのだ。この王宮を元に戻すまで、死ぬまで働かせればいい!」


 ジュリアンの瞳には、狂気が宿っていた。

 彼はまだ気づいていない。

 自分が奪おうとしているのが、もはや一国の王太子ごときが触れていい存在ではないということに。

 そして、北の「氷帝」が、どれほど冷酷に、そして苛烈に「自分のもの」を守る男であるかということに。


────


 数週間後。

 ノルトエンデ領の境界。

 そこには、マリアベルを筆頭とした、ボロボロの馬車を連ねた「王都調査団」の姿があった。


「な、なによこれ……。ここ、本当に北の果てなの?」


 マリアベルは、馬車の窓から見える光景に目を疑った。

 目の前に広がるのは、雪を頂いた山々を背景に、青々と茂る森と、透き通った水を湛えた湖。

 そして、遥か遠くに見えるノルトエンデ城は、かつての「黒い檻」の面影など微塵もなく、まるで天界から降りてきた宮殿のように、凛とした美しさで佇んでいた。


 境界の門を守る騎士たちの姿を見て、マリアベルはさらに衝撃を受ける。

 彼らの鎧は、自分が知っているどの王都騎士よりも輝いており、その肌には活力があふれていた。


「止まれ。これより先はノルトエンデ辺境伯領だ。通行許可のない者は通せぬ」


 騎士の冷徹な声。

 マリアベルは、いつものように傲慢に胸を張った。


「私は王国聖女、マリアベル・ラインフェルトよ! 王太子の命により、ここへ『秘宝』を取り返しに来たわ! それと、そこにいるはずの出来損ないの姉……エルナをこちらに渡しなさい!」


 騎士たちの目が、一瞬で氷のように冷え切った。

 以前の彼らなら、聖女の名を聞けば怯んだかもしれない。だが今の彼らにとって、エルナこそが唯一の聖女であり、彼女を侮辱する者は「排除すべき汚れ」でしかなかった。


「……出来損ない、か。その言葉、我が主の前で言えることを期待している」


 騎士の一人が、冷ややかに笑いながら門を開けた。

 

 マリアベルたちは、意気揚々と城へと向かう。

 自分たちが「ゴミ」として捨てたはずのエルナが、今やどれほど高い場所にいるのか。

 そして、その「掃除のついで」に磨かれた世界が、どれほど残酷に自分たちを拒絶するのか。

 

 彼女たちがそれを知るのは、もう数刻後のことである。

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