水原雪乃の場合9
会社を出るとその足で新宿駅へ向かった。日は沈みかけて西の空が茜色に変わり始めている。新宿の街に夜がやってくる。それを告げるように焼ける空。
駅に着くとすぐに中央線のホームへ向かった。印刷屋の場所は私の家の近くなのだ。まぁ、秋川さんが私を使いに出したのはそれも理由かもしれないけれど。
吉祥寺へ向かう。私の家の最寄り駅だ。まだ就業時間中なのに変な気分だ。それは学校を早退した気分に近いかもしれない。特別感と少しの後ろめたさ。
中央線快速はまだそこまで混んではいなかった。サラリーマンは少なく学生が多い。あと三〇分もしたらそれが逆になると思う。学生時代はこの時間帯に電車に乗っていたっけ……。と数年前の記憶がふと蘇る。
電車に揺られながら路面に広がる景色を眺める。ファストフードや美容整形、あとは消費者金融。そんな欲望に満ちた看板が走馬灯のように流れていった。人の欲を印刷して町中に掲げる。そう考えるとその看板達はとても狂気的で可哀想に思えた。単に人の欲望を刺激するためだけにインクが大量に消費されている。そんな悲しさ――。
吉祥寺駅に着くとすぐに印刷屋へ資料を届けに行った。弊社の営業担当は私ではないけれど、こうしてしょっちゅう小間使いしていると私が担当みたいに思われてそうだ。先方の営業担当ともすっかり顔なじみだ。
それから私は吉祥寺商店街のスーパーへ向かった。生食用のホタテを買うのはいつもここだ。(毎回ホタテだけ五個買うので変な奴だと思われてそうだけれど)
左肩にはバッグ。右手にはホタテと缶チューハイの入ったビニール袋。皺の寄ったスーツに汗で落ちかけた化粧。どう取り繕っても魅力的な女性には見えないと思う。
まぁいいだろう。ラッコさんは人間ではないのだ。仮に私がジャージ上下ですっぴんだって気にしないはずだ。まぁ、彼の場合はもし彼が人間だったとしても気にしないような気もするけれど……。
とぼとぼと彼の貯水池へ向かう。パンプスのカツカツとした音が体中に響く。
カツカツカツカツ。そんな疲れの擬音みたいな音が帰り道にこだましていた。
『今日も無事終えることが出来そうです。ありがとうございました、まる』
そんな風に心の中で神様に感謝を伝えた――。




