水原雪乃の場合7
午前中の仕事は完全なる肉体労働だった。倉庫から台車に乗せてマネキンを運び出す。そんな単純作業。一回に台車に乗るのはせいぜい五体。秋川さんの指示書にはマネキン五〇体と書いてあるので単純に一〇往復しなければいけない。
でも私はこの手の仕事の方が気楽だった。他人と協力して何かを成し遂げるよりも淡々と何かする方が性に合っていると思う。人と変わるのは面倒なのだ。同僚がラッコだったらいいのにと心底思う。
備品倉庫は一階、会議室は八階。そしてエレベーターは一基。その事実だけが今回のネックだった。エレベーターを使うのは私だけではないのだ。別部署の人間との奪い合いになる。(特に営業部の社員は備品をよく運び出していた)
そして、そんな私の予想は案の定的中した。営業部とのエレベーター争奪戦。こうなっては必死にボタンを押すしかない。
ああ、こんなことなら早朝出勤してやればよかった……。そんなどうしようもないことを思った。エレベーターホールでマネキンを乗せた台車で突っ立っているだけの時間が最高に無駄だと思う――。
午前中の仕事はそんな感じで熟した。スーツのスカートはシワが寄り、額には汗が滲んでいる。ふと見た会議室のガラスに化粧が落ちた女の顔が映っていた。控えめに言って酷い顔だ。私が採用担当ならこんな女は即刻不採用にすると思う……。
そんなこんなで備品類を会議室に運び終えたのは午後一時半だった。同じ部署の同僚達はもう昼食を済ませて午後の仕事を再開していると思う。さすがにお腹が空いた。急いで休憩しよう。
それから私は自社ビル前のコンビニでシーチキンおにぎりとお茶のペットボトルを大急ぎで買って会議室に戻った。簡単な食事。炭水化物とカテキン緑茶。それだけあれば夕方までは頑張れると思う。
「あれ? 一人で食ってんのかぁ?」
私が会議室の隅っこでおにぎりを食べていると経理部の部長が顔を覗かせた。
「はい。すいません。会議の準備してたらこんな時間になっちゃって……」
「そうかそうか。ちょっとお邪魔するよ」
そう言うと部長は会議室奥のキャビネットを開けて何冊かファイルと取り出した。
「すごい量だね」
「ええ、まぁ」
「もしかして君が全部一人で運んだの?」
「ええ、まぁ」
私は「ええ、まぁ」と繰り返すボイスレコーダーのように返した。正直あまり話したくはない。
「ずいぶんと無理したんじゃないの? まったく……」
「大丈夫ですよ。企画部も人手足りないのでいつもこんなだし」
「そうかい? まぁ無理はしないほうがいいよ」
「ありがとうございます……」
サッサと資料を持って出て行ってくれ。私は昨日の推しの配信の録音を聴きたいんだ。苦笑いを浮かべながらそんなことを考えていた。
これだから理解あるフリをしたオッサンは嫌いだ。女が一人で力仕事やってるからって私が可哀想に見えたのだろうか? 違う。そうではないのだ。私にとっての可哀想は部署のみんなと一緒に昼食を食べながら互いに褒めたり貶したりするあの空間のほう……。本気でそう思う。
「まぁ、あんまり無理しないで」
そう言うと経理部長は会議室から出て行った。私は軽く会釈をして彼を見送った――。
昼食と推しの配信の録音が私に元気を与えてくれた。幸い秋川さんも他の同僚も会議室に様子を見には来ない。まぁ当然だろう。彼女たちにとって私は異質でどうしようなく仕事の出来ない存在なのだ。わざわざ自分たちの花園からやってきて「ちゃんとやってる?」なんて確認はしないと思う。
休憩を終えると私は自分の頬を軽く叩いた。さて、五〇体のマネキンに下着を着せなければ。




