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秋川千鶴の場合18

 どうやら入ってきたのは二人組のようだ。同じ部署の後輩。声の感じから察するに一人は及川さんらしい。

「でさぁ。彼氏が記念日すっぽかして友達と遊び行っちゃったんだよ? ありえなくない?」

 及川さんはそう言うとこの世の全てを呪うようなため息を吐いた。

「マジで!? 私だったらぶん殴るわ」

「ほんとだよー。だからあいつから謝ってくるまで絶対に連絡しない」

 どうやら彼氏の愚痴をこぼしているらしい。及川さんの彼氏……。少し興味がある。彼女は一体どんな男と付き合っているのだろう?

「つーかぁ。チヅ戻ってこないねー」

 ふいに後輩に私の名前が呼ばれた。思わず身体がビクッと反応する。

「ああ、また何かやらかしたじゃん? ほら、あの人トラブル起こしがちだし」

「言えてるー。偉そうなこと言う癖にマジトラブルメーカーだよねー」

「うん。ほんとに……。あと雪乃のこと目の敵にしてるからさぁ。マジで仕事に私情入れないで欲しいよね。昨日なんか雪乃にマネキン運び一人でやらせたんだよ? 正直引いたわ」

 『正直引いたわ』及川さんは確かにそう言った。一瞬、何を言われたか理解できなかった。私は水原さんの出来る仕事を考えて振っただけだ。それをなんでこんな風に言われてしまうのだろう。

「あーあ、マジでチズ居なくなってくんないかなー。したら仕事だいぶ気楽になるのに」

「それな。ま、一応上司だから顔は立てないとだけどね」

「及川はいいよー。チヅはあんたのこと好きだからさぁ。私なんかあいつのパシリだよ? 扱いが雪乃と大差ないって」

 会話を聞きながら私は両耳を手で塞いだ。もう聞きたくない。これ以上聞いたら心がおかしくなる。

 でも……。私は決定的な言葉を聞いてしまった。

「アハハ、まぁね。でも私だって好きでゴマすりしてるわけじゃないよ? だってあのババア本当に面倒じゃん? モテない腹いせで男嫌いだしさ。ま、可哀想な人なんだよ。マジでさ」

 及川さんはスラスラと私に対する罵詈雑言を吐いた。それは呼吸と大差ないくらい自然で不気味に感じるほどだ。

 私はいよいよトイレの個室から出られなくなった。このままここで死んだ方がマシかもしれない。そんな自殺願望にも似た考えが浮かんだ。

 それからしばらくして彼女たちはトイレから出て行った。静寂が訪れる。

 静寂を壊すように私は便器に向かって声を出して泣いた。もう全部壊れてしまえばいい。

 私の信じていた世界なんて最初からなかったのだから――。


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