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秋川千鶴の場合7

 山手線は私にとって特別な電車だった。自由の象徴。楽園への移動手段。そう思うようになったのはおそらく厳格すぎる両親のせいだと思う。

 彼らは幼い頃から私を厳しく躾けた。躾けといえば聞こえは良いけれどそれは限りなく折檻に近かったと思う。体罰だって平気であったし、冬の真夜中に寒空の下に放り出されたことも一回や二回ではなかった。

 だから私にとって両親は畏怖の対象だったのだ。彼らを怒らせてはいけない。怒らせれば彼らはどこまでも私を躾けるだろう……。

 そんな私に転機が訪れたのは高校進学のときだ。義務教育の終焉。それは私にとって確実な吉報だった。

 私は両親を説得して実家からできるだけ遠く、且つ両親が満足する程度の偏差値の学校を受験した。(幸か不幸か、両親の厳しい躾けのお陰で私の学力は良かった)

 建前上は「将来のことも考えて良い学校に入りたい」と言って彼らの欲しい答えになるように努めた。今思い返すとそれはかなり効果的だったと思う。両親はそういう人たちなのだ。自尊心と虚栄心だけは誰よりも強い。忌むべき人種。

 おそらく彼らにとって私は世間に対するマウンティングの道具でしかなかったのだ。まぁ、それに本当の意味で気づいたのはずっと後のことだけれど――。

 親元から離れた私は父方の叔母の家に下宿させてもらった。彼女は花屋を経営していて、店舗兼自宅が私の下宿先だった。(その当時、叔母さんはまだ未婚で部屋を持て余していた)

『小さい部屋だけど好きに使って良いよ』

 叔母さんはそう言って私に部屋を貸してくれた。四畳半のこぢんまりした畳の部屋だ。日当たりは最悪でジメジメしていた。そんな客観的に見ると最悪な部屋でも私にとっては天国だった。あの両親がいない。ビクビクしないで済む。それだけで心が軽やかだ。

 これは推測だけれど、おそらく叔母さんは私の実家の内情を知っていたのだと思う。彼女は父(叔母さんにとっては兄)の性格をよく把握していたし、私の母の底意地の悪さもよく理解していた。はっきり言って叔母さんと私の両親は折り合いが悪かったのだ。残念な事実。紛れもない真実。

 でも……。そんな嫌いな兄夫婦の娘だというのに叔母さんはいつも優しい言葉を私に掛けてくれた。決して押しつけがましい優しさではない。どちらかといえばそれは放任に近かったと思う。でも彼女のそのスタンスは私の意固地だった気持ちを解きほぐしてくれた。あんな両親から離れられて良かった。心底そう思えるほどに。

 叔母さんとの食事は本当に楽しかった。朝は一緒に民放放送でやっている星占いで一喜一憂した。夕食のときはバラエティ番組を見ながら二人で大笑いした。そんな当たり前の日常がたまらなく幸せだった。

 毎朝、叔母さんの家から御徒町駅へ向かう。そして改札を抜けて山手線に乗る。そんな毎日が奇跡のように思えた。学校も楽しい。叔母さんの家も。そのことは私にとって宝物だったと思う。

 山手線で学校に向かうたび私の中のワルイモノは確実に浄化されていった。そこで気づいた。父のあからさまな暴力も母の極端な学歴主義も異常なのだ――。と。


 気がつくと五台目の電車が私の前に停車していた。

 さて……。コレに乗って帰ろう。私の自由はまだ続いているのだから。


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