いってらっしゃい
家から学校まで、バスを使えば十分ほど。しかし、私は歩いていく。徒歩だと三十分ぐらいだ。
まさか、自分が往復一時間の道程を歩くようになるとは思わなかった。それもほぼ毎日。
(体が、軽い……)
息が切れない。心臓も痛くない。やはり、肥満というのは健康に悪いようだ。
「エルム、エルム」
その時、クマが忽然と現れた。
冷泉院の制服を着た、ごく平凡な男子の姿――偽装モードだ。いつの間にか、私と並ぶ形で歩いている。
「おはよう、クマ」
「おはよう。――どうだ、高校は。楽しんでいるか?」
と、奴はいきなり、保護者のようなことを聞いてきた。
「うん、もちろん!」
パッと顔が輝いたのが、自分でも分かった。
「朝、教室に行くでしょ? 私が『おはよう』って言ったら、みんなも『おはよう』って返してくれるんだよ。それも笑顔で! 凄くない?」
「……まあ、元のお前なら、たとえ挨拶したとしても無視されてたな」
「私、普通に『おはよう』って言えるようになったんだよ! それだけじゃないの。授業の前とか休み時間とか、みんなが話しかけてくれるんだよ。私、他の人と普通にお喋りできるようになったの!」
「……お前にとって『最高の高校生活』ってのは、『普通の高校生活』なのか?」
クマは首を傾げた。
「オレは、もっと派手なのを想像してたんだがなあ。学園中の美形を侍らせて逆ハー状態とか、生徒会に君臨して女王様状態とか」
「何それ。平凡が一番幸せだよ」
「それじゃ『絶世の美少女』になった意味がないだろ。『普通の美少女』で十分だ」
『普通の美少女』って何だ。
「あんた、私が規格外で悪目立ちしてたの知ってるでしょ? 私にとって、『絶世の美少女』と『普通の女の子』はイコールだよ! どっちみち、私よりず――っと可愛いんだから!」
「お前、『美少女』のレベルが低過ぎる!」
クマは笑った。
「まあ、お前が幸せならそれでいいけどな。どうせそのうち欲が出てくるし、男は勝手に寄ってくる――」
……意味ありげな顔だ。
「何かあったら言えよ? 欲しいものとか、してほしいこととか」
「ほんと? それなら、実は一つだけお願いがあるんだけど」
「何だ?」
期待を込めて、私は頼んでみた。
「笑顔で、『いってらっしゃい』って言ってほしい」
「……」
クマは呆れたらしかった。
「お前、『幸せ』のレベルも低過ぎる」
でも奴は、リクエストに応えて笑顔になってくれた。
「――いってらっしゃい」




