コクヌギ・リュー(?)
ある朝登校すると、上履きが隠されていた。
『……』
いつものことだ。
私は校内をさんざん捜し回り、ようやく、物置きの上に放られていたそれを発見した。
教室へ行くと、私の机の中にはゴミが突っ込まれ、椅子にはびっしり画鋲が貼り付けられていた。
『……』
いつものことだ。
私は淡々と片づけ、みんなが登校してくる前に、どうにか綺麗にした。
黙っていよう。無表情でいよう。泣いてもうろたえても怒っても、ますますエスカレートするだけだ。
いつものことだ。
いつもの、ことだ……。
――朝。下駄箱を開けると、上履きはちゃんとそこにあった。
「……」
汚されていないし、ゴミも画鋲も仕込まれていない。ほっとして、私は革靴を履き替えた。
「――ぎゃあぁあああっ!?」
「えっ!?」
突如、ものすごい悲鳴が響き渡った。私はビクッとした。
「あっははははは!!」
「リュウゥゥゥッ!!」
――あ。この声は。
続いて、ドドドッと誰かがこちらへ走ってくる音がした。
「――岬さん?」
「へっ!?」
下駄箱の陰から顔を出して呼びかけると、走ってきたのは彼女ではなく、見知らぬ男子だった。彼は、私に気づくとぎょっとしたように急停止した。
ドドドドド!! ドカッ!
直後、彼を追って走ってきた人物が体当たりし、その男子を吹っ飛ばした。男子は倒れて転がった。
「うらぁ、覚悟ぉ!」
その人物とは、般若の形相をしたお嬢様――今度こそ岬さんだ。
「おはよう、岬さん」
「えっ? ――あっ!」
私に気づくと、岬さんは一変して、華やかな笑みを浮かべた。
「おはよう! ヤダ、『岬さん』なんて言われたからびっくりしちゃった。ミリでいいよ」
「……」
びっくりしたのは私のほうだ。
この人も、来海くんとは別の意味で豹変する……。
「どうかしたの? 岬さん。今、叫んでなかった?」
「ミリでいいってば。いや、こいつがさぁ……」
と、岬さんは男子をじろっと睨んだ。彼は床に倒された格好のまま、ぽかんとこちらを見ている。
「ほら、これ!」
いきなり、岬さんは何かを突きつけてきた。黒くて小さなその物体は――。
「えっ、クモ!?」
――に見えたが、違った。紙だ。黒い紙を、クモの形に切ってある。
脚の角度といい頭の輪郭といい、かなりリアル……。
「うわあ、よく出来てる……」
「そう、ヒドイでしょ!? こんなグロテスクなシロモノを私の上履きに仕込みやがったの! 私がムシ大っ嫌いなの知ってるくせに!」
「――え〜。本物じゃないのに〜」
男子がとうとう立ち上がった。私を見て、にこっと笑う。
「ねえねえ、アンタ誰? ミリ姉の知り合い? 可愛いね〜、びっくりしちゃった。俺、ミリ姉より可愛いコ初めて見たよ!」
ちょっとクセのある黒茶色の髪、陽気な瞳。人懐っこい口元、薄い小麦色の肌。
何というか、明るいアイドルみたいな少年だ。岬さんには似ていないが……。
「岬さんの弟さん?」
「ううん。幼なじみ」
と、岬さんが答えた。
「あ、俺、小椚流哉。アンタは?」
「ナンパすんな!」
――べしっ!
岬さんが彼を叩いた。
小椚流哉……なるほど。これがコクヌギ・リュー(?)の正式名か。
「いってぇえっ!」
小椚くんは大げさに、叩かれた頭を両手で抱えた。
「え〜、名前聞いただけじゃん〜」
「却下! その前に私に謝れ! 年上を敬え!」
「いてっ、いててっ!」
パシパシ叩く岬さん。やたら痛がる小椚くん。しかし、二人ともどことなく楽しげだ。
おお。仲良さそう。
「ごめんね〜、エルちゃん。こいつまだ中等部なんだけど、しょっちゅう高等部に侵入してさ〜」
と、岬さんが私に言った。
中学生? そのわりには背も高いし、ずいぶん大人っぽい。同い年かと思った。
――ん?
「エ……エルちゃん?」
「うん。駄目かな? そう呼ぶの」
「いや、いいけど……」
「良かった。じゃ、私のこともミリって呼んでよ。ね?」
「……うん」
エルちゃん。
家畜とか脂肪とか呼ばれないのは新鮮だ。
「エルちゃん、かあ。名前も可愛いねっ」
再び、小椚くんがにこっと笑いかけてきた。
「俺のことはリューって呼んでよ。ねー、エルちゃん、フルネームは何ていうの? 放課後とかヒマ? それとも部活――」
「ずうずうしいんじゃぁぁっ!」
岬さんが小椚くんをひっぱたいた。いつの間にやら、彼女の形相は般若に戻っている。
「だいたい、クモの話がまだ終わってないわぁぁっ! 謝れぇぇっ!」
「きゃ〜、ミリ姉怖〜い」
小椚くんはパッと駆け出した。
「くぉらぁぁ〜〜っ! 待たんかぁぁ〜〜っ!!」
「エルちゃん、またね〜」
ドドドドド!!
逃げる小椚くん。追う岬さん。二人は嵐のように去っていった。
「……」
私は呆気に取られたが、周りの生徒は平然としていた。
「あ〜、またあの二人か」
「今日は何やらかしたのかな、リューくん」
「……」
いつもの、ことか……。
この日はもう一度、ミリちゃんに遭遇した。といっても、一瞬のことだったが。
そう、彼女はまたしても「リュウゥゥゥッ!!」と叫び、廊下を駆け抜けていったのだった。
「……」
向こうは私に気づかなかったようだ。
ミリちゃん。たまにはあなたが般若モードではなく、優雅なお嬢様モードで登場するのを見てみたい。
それはともかく。
(どこへ向かってるんだろう?)
今回、ミリちゃんは単独で爆走していた。そういえば以前、図書館前で出会った時にも、リューくんの姿は見かけなかったが――。
「中等部に向かってるんだよ。岬さんがイタズラに気づく時、小椚くんが必ず居合わせるわけじゃないからね」
「あっ、そうか」
なるほど。
今朝みたいに上履きに仕込んだイタズラなら、登校時間に下駄箱で見張っていればミリちゃんのリアクションを見られる。しかし、場所やモノによっては発覚時間が読みにくいこともあるだろう。その場合、ミリちゃんは思いがけないタイミングで度肝を抜かれ、般若と化し、リューくんのいる中等部を目指して疾走するわけだ。
――ん?
「来海くん!?」
私は思わず飛びのいた。
なんと、すぐそこに自称フェアリーが出現しているではないか。
「あれ、今気づいたの?」
来海くんは、ちょっぴりおかしそうに微笑んだ。
廊下の人通りは少ないが、皆無ではない。それを意識しているのだろう、今の彼は『儚げな美少年』だ。
「い、いつからそこに!」
「ついさっきだよ。偶然通りかかったんだけど、君が『窓辺に佇む美少女』やってるのが見えたから――」
「やってないよ!」
自分の基準を私に当てはめないでほしい。
「そうらしいね。で、岬さんのことを気にしてたみたいだから教えてあげたのに――お礼もなしかな?」
「……あ、ありがとうございました……」
廊下の人通りは皆無ではないが、とりあえず、我々の会話が聞き取れる範囲には誰もいない。来海くんは表向き『儚げな美少年』として談笑するさまを装いつつ、言外に私へ圧迫感を与えるという高度な技を披露してくれた。
「ふふ、どういたしまして」
彼は自分の前髪を軽く弄び、小首を傾げた。淡茶色の髪がわずかに揺れ、一瞬だけキラッと光る。
きゃ〜、とどこか遠くから女子の声が聞こえた。
……なるほど。来海くんは普段、こうやって『窓辺に佇む美少年』をやってるわけだ。
自然に見える仕草も、姿勢も顔の角度も、実は全て計算ずく。お見事。
「それにしても、岬さんは相変わらずだね。廊下を走っちゃ駄目だよね。せっかくの綺麗な顔が台なしだよ……ふふふ……」
「……」
嬉しそうですけど?
「……ミリちゃん、中等部時代からあんな感じ?」
「うん。小椚くんが入学してからは、しょっちゅうだね。岬さん、それまではもっとお高く止まった感じだったのに……なぜかその後のほうが人気が上がったけど……」
「……」
今度はちょっぴり面白くなさそうだ。――あくまで上品に。儚げに。
「リューくん、今朝はミリちゃんの上履きに紙のクモを仕込んでたけど……いつもあんなことやってるの?」
「まあね。よく飽きないよね。岬さんが過剰反応するせいもあるだろうけど――教科書に紙のトカゲを挟んだり、ロッカーの中に紙のカエルをぶら下げたり、机にビックリ万国旗を仕掛けたり」
最後の『ビックリ万国旗』って何だ。ビックリ箱の万国旗バージョンか?
「……紙のイタズラばっかりだね」
「才能を持て余してるんじゃない? 小椚くん、切り絵作家志望らしいから」
「切り絵作家!?」
……そういえば、今朝のクモも妙にリアルだった。しかしまさか、本気でその道を目指していようとは。
「だいぶ前だけど、コンクールで入賞したこともあるんだよ。岬さんをモデルにした天使の切り絵で」
「へえ」
何だ、まともなものも作れるんじゃないか。
「……素敵だよね」
ん?
「ああ、僕をモデルに妖精の切り絵を作ってくれないかなあ……」
「……」
どこか夢見るように、ふんわり微笑む来海くん。
きゃあきゃあ、とどこか遠くから彼を眺め、楽しげに盛り上がる女子の声。
(ファンの皆さん――騙されてるよ! この表情からは見当もつかないこと考えてるよ、この人!)
心の中で、私は叫んだ。




