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王都暦局が廃止されたので、曜日のない辺境へ赴任した俺。誕生日も祭りもない町に日付を与えたら、止まっていた一年が動き始めた  作者: やまご


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第38話 手紙が届いた日を取り戻す

 最初の郵便袋へ火が移った。


 乾いた麻布が焦げ、黒い煙が立ち上る。


「水!」


 サラが叫ぶ。


 港夫たちが消火桶へ走ったが、中央倉庫の役人が立ちはだかった。


「返送不能郵便への接触を禁ずる!」


「中には人の手紙が入ってる!」


「保管期限を過ぎた廃棄物だ!」


 サラは燃える袋へ飛び込もうとした。


 ハウルが外套をかぶせ、炎の部分だけを踏み消す。


「一袋目、外袋の一部が焼損!」


 ノアは声を上げた。


「中身の状態を確認してください!」


「何を記録してるの!」


 ミラが消火桶を抱えて駆けてくる。


「燃えた範囲です」


「先に消しなさい!」


「消しながら確認しています!」


 二人で水をかける。


 炎は消えたが、袋の表面に押されていた返送印の半分が崩れた。


 中の封筒は濡れている。


 端が焦げたものもあったが、文字までは失われていない。


「勝手に廃棄を止めるな!」


 中央倉庫の責任者が、焼却命令書を掲げた。


 名をクエンという。


 額に汗を浮かべているが、怒りよりも焦りの方が強かった。


「命令を守らなければ、次の荷を受け入れられない! 倉庫はもう限界だ!」


 港を埋める郵便袋は、中央通りまで続いている。


 家の壁を塞ぎ、桟橋の通路を狭め、雨が降れば崩れそうな山になっていた。


「燃やしたくて燃やすわけじゃない」


 クエンは歯を食いしばった。


「保管場所がないんだ。新しい荷も毎日戻ってくる」


「新しい手紙も、すべて同じ日付で処理されているのですか」


 ノアが尋ねた。


「返送日は全部、鉄月十三日だ」


「十三年前の?」


「セレノが宛先から外れた日だ。それ以降、ここへ戻った郵便はすべて同じ日の返送扱いになる」


「では保管期限は、いつから数えましたか」


「十三日から三十日だ」


「今日まで、十三年間保管していたのに?」


 クエンの口が止まる。


「期限が今日になったのは、なぜです」


「中央の保管鐘が鳴ったからだ」


 港の大鐘。


 返送不能郵便の焼却を知らせた鐘。


 セレノでは同じ日付が続いている。


 それなのに、今日になって突然、三十日の期限を迎えた。


「命令書を確認させてください」


 レグナートが監察官徽章を示した。


 クエンは一瞬迷い、羊皮紙を渡す。


 返送不能郵便は、受領日から三十日間保管。


 宛先または差出人が確定しなければ廃棄。


 規定そのものは通常の郵便法だった。


「この命令に、セレノの受領日は書かれていません」


 レグナートが言った。


「返送印が受領日だ」


「返送された日と、倉庫が受け取った日は同じとは限らない」


 ノアは袋の山を見た。


 十三年間に戻ってきた手紙が、すべて同時に届いたはずはない。


 雪の日。


 洪水の日。


 船が出た日。


 街道が閉じた日。


 それぞれ別の出来事を経て、この港へ集まった。


「手紙ごとの到着順を確認します」


「何万通あると思ってる!」


「すべてを今調べる必要はありません」


「じゃあどうやって期限を止める」


「最初に届いた郵便が、いつだったかを確定します」


 最古の手紙すら保管期限を正しく迎えていないと分かれば、全件を同じ日に廃棄する根拠は崩れる。


 サラが郵便袋の山を見上げた。


「最初に戻ったのは、七都市の手紙」


「覚えていますか」


「船へ乗せた。川を下り、中央の中継港へ送った」


「そのあと?」


「戻ってきた」


「どの船で?」


 サラは目を閉じる。


「赤い帆」


「船名は?」


「分からない」


「ほかに見た人は?」


「港にはいた。でも私の名前と一緒に、あの日も薄くなった」


 セレノで、七都市の手紙が返送された日。


 それを復元できれば、届かなかった言葉にも一つの始まりが戻る。


「港の記録を探します」


 クエンが首を振った。


「中央の入港帳は、セレノが都市登録を失ったときに作り直された。古い分は残ってない」


「中央以外の記録は?」


「港に、ほかの帳面があると思うか」


 ノアは川を見た。


 停泊船。


 倉庫。


 桟橋。


 町としての名を失っても、港の仕事は続いている。


 船を出し、荷を降ろし、潮を見て、鐘を鳴らした。


 仕事があれば、中央の台帳以外にも痕跡は残る。


「赤い帆の船が入ったとき、何が必要でしたか」


「綱を取る者。荷役。水深の確認」


 サラが答える。


「郵便船なら、入港鐘も鳴らす」


「鐘楼の記録は?」


「鐘を鳴らす縄に、回数を結ぶ」


 一行は港の鐘楼へ向かった。


 大鐘の横には、太い縄の束が保管されている。


 一本ごとに色と結び目が違う。


 商船。


 漁船。


 軍船。


 郵便船。


 十三年前に使われていた郵便縄は、壁の最上段に残っていた。


 赤い糸が一本だけ編み込まれている。


「私が結んだ」


 サラが触れる。


「七都市の手紙を載せた船が戻ってきたとき」


 縄には、入港を示す大きな結び目。


 その下に、荷を降ろした二十七個の小さな結び目。


「最初から二十七袋?」


「七通だけじゃなかった。中継港で、セレノ宛ての手紙も全部積まれた」


「そのときの水位は?」


 鐘楼番の老人が、窓の外にある石柱を指した。


「赤い帆の船は水を深く食ってた。満ち潮じゃなきゃ入れなかった」


 水位柱には、潮の高さを刃物で刻んだ線が残る。


 大潮。


 上流で雨。


 川面に白い花びら。


「白い花?」


 エレナが尋ねる。


「ハルムの麦花だ」


 サラが答えた。


「上流の穀倉地帯で、麦の種を流す祭りがあった。その花びらが、三日後にセレノへ着く」


「祭りの日は分かりますか」


「ハルムも十三日目を失ってる」


 正確な日付はない。


 だが出来事の順序はつながる。


 ハルムで麦花を流した。


 三日後、セレノへ花びらが届いた。


 その大潮に、赤い帆の郵便船が入港した。


「ほかの物的記録は?」


 ノアたちは桟橋を調べた。


 赤い帆の船をつないだ係船柱には、赤い塗料が残っている。


 柱の根元には、二十七袋分の荷役賃を数えた刻み。


 近くの食堂には、船員八人へ魚のスープを出した記録が、器の貸出台帳に残っていた。


「船長は?」


「亡くなった」


 食堂の女主人が答えた。


「でも、娘ならいる」


 呼ばれたのは、港で網を修理していた四十代の女性だった。


 父親の航海箱を持ってくる。


 中には赤い帆布の切れ端と、一枚の航海札。


 日付欄は黒く消されている。


 だが航路欄には残っていた。


 中央中継港からセレノへ返航。


 積荷、郵便袋二十七。


「父は怒ってた」


 女性は札を握った。


「宛先の町がないと言われて戻された。でも、セレノは目の前にあるって」


「荷を誰へ渡しましたか」


「郵便係の女の人。襟に釣り針を留めてた」


 サラが息を止める。


「あなたのことです」


 ノアが言った。


 出来事。


 七都市の手紙を含む二十七袋が、赤い帆の船でセレノへ返送された。


 証人。


 サラ、鐘楼番、食堂の女主人、船長の娘。


 物的記録。


 郵便縄、係船柱、航海札、赤い帆布、釣り針。


「受領した場所は、ここです」


 ノアは桟橋の石畳へ記録台を置いた。


「ですが、日付はどうするの」


 ミラが尋ねる。


「中央の日付へ無理に合わせません」


「セレノ第一日?」


「それも、まだ町の合意がありません」


 ノアは郵便縄を見た。


 必要なのは、町全体の暦を今すぐ戻すことではない。


 手紙が実際に港へ届いた出来事を、同じ日付へ押し込まれないよう区別することだ。


「赤い帆の郵便を受け取った日」


「それが日付になるの?」


「出来事の日です」


 中央暦が失われていても、ほかの日と区別できる名前を与えられる。


 その日から後に届いた郵便は、少なくとも同じ受領日ではない。


「住民へ確認します」


 港の広場へ、郵便に関わる者が集められた。


 倉庫役人。


 船員。


 港夫。


 食堂の者。


 手紙を待つ住民。


 ノアは、日付を復元することで焼却が永久に止まるわけではないと説明した。


「宛先が見つからなければ、いつかは処分を決める必要があります」


「結局燃やすのか」


「差出人へ返す。家族へ相談する。歴史記録として封をしたまま保存する。方法を一通ずつ決められます」


「何万通も?」


「すぐには終わりません」


「倉庫が埋まってる!」


 クエンが叫ぶ。


「だから、保管する手紙と調査する手紙を分けます」


 緊急性のあるもの。


 宛名が読めるもの。


 家名や職業から受取人を探せるもの。


 差出人へ返せるもの。


 どちらも不明なもの。


 袋単位ではなく、状態と手掛かりで仕分ける。


「燃やすより、仕事が増えるぞ」


 クエンが言った。


「はい」


「誰がやる」


「セレノの人々で決めてください」


 ノアは答えた。


「手紙を残したいなら、残すための仕事も必要です」


 サラが最初に手を上げた。


「私が仕分ける」


「十三年やってるだろ」


「今までは、戻す場所がないものを積んだだけ」


 サラは自分の名が書かれた封筒を胸へ置く。


「今度は、届けるために分ける」


 船員の娘が続く。


「父の航海札が役に立つなら、古い船の記録を調べる」


 食堂の女主人は、船員や旅人の貸出台帳を持ってくると言った。


 港夫たちは、空いている倉庫を一棟片づける。


 クエンは最後まで黙っていた。


「中央の倉庫役人が、地方の仕分けへ参加していいのですか」


 ノアが尋ねる。


「参加しなきゃ、明日も袋が戻ってくる」


 クエンは焼却炉の火を消した。


「焼く方が楽だったんだがな」


「楽な方法が、正しいとは限りません」


「正しい方法が、できるとも限らん」


「だから人数と期限を決めます」


「期限?」


「最初の七日間で、宛名が読める手紙だけを分ける。そのあと、続けられる量を見直します」


 永遠に終わらない仕事にしない。


 一度に全部を救うとも約束しない。


 続けられる形を作る。


 広場の大半が賛成した。


 反対した者には、私信を保存する費用や場所について、七日後に再度話し合うことを約束する。


 ノアは郵便縄と航海札を記録台へ置いた。


「十三年前、赤い帆の郵便船が二十七袋をセレノ港へ運んだ」


 サラが釣り針を握る。


「私が受け取った」


 鐘楼番が縄の結び目を示す。


「入港鐘を鳴らした」


 船長の娘が航海札へ父の名を書いた。


「父が運んだ」


「この出来事を、赤い帆の郵便が届いた日として記録します」


 暦墨が光る。


 港に積まれた袋のうち、最も古い二十七袋へ赤い線が浮かんだ。


 次の袋には、別の印。


 雨。


 凍結。


 祭り。


 船名。


 受領日そのものはまだ復元されていない。


 それでも、すべてが同じ十三日ではなく、それぞれ違う出来事のあとに届いたことが表面へ戻っていく。


 焼却命令書の「全件同日期限」という文字が滲んだ。


 中央印に亀裂が入る。


「一括廃棄は執行不能です」


 レグナートが宣言した。


 港から、抑えていた歓声が上がった。


 クエンは濡れた最初の郵便袋を開かず、作業台へ運ぶ。


「これは最優先だ。燃やしかけたからな」


「中身を勝手に読まないでください」


「分かってる!」


 サラが封筒を一通ずつ確認する。


 最初に見つかった宛先は、セレノ旧灯台守、ロダン・メイ。


「生きてる」


 鐘楼番が言った。


「灯台に一人で住んでる」


 差出人は、その娘。


 十三年前、中央の町へ働きに出た女性だった。


 サラとミラが灯台へ届ける。


 老灯台守は封筒を見ても、すぐには受け取らなかった。


「娘は、俺を捨てたんだ」


「手紙を開けるかは、あなたが決めてください」


 サラが言う。


「読まずに返すこともできます」


「返せるのか」


「今度は、返す場所を探す」


 老人は長い間迷い、封を開いた。


 中には短い文章と、小さな布靴が入っていた。


 娘はセレノへ戻ろうとしていた。


 だが町が存在しないと言われ、子どもを連れて関所を越えられなかった。


 布靴は、生まれた孫のもの。


 手紙の最後には、こう書かれていた。


 ――父さんが灯台の火を消していなければ、いつか帰る道が分かります。


 老人は窓の外を見た。


 セレノが町でなくなってからも、灯台の火を守り続けていた。


「返事を書く」


「娘さんの今の居場所は、まだ分かりません」


「探すんだろう」


 老人は布靴を両手で包んだ。


「なら、先に書いて待つ」


 サラは新しい封筒を出した。


 差出人。


 セレノ旧灯台守、ロダン・メイ。


 宛先。


 娘と、まだ会ったことのない孫へ。


「受け取りました」


 サラが言う。


「今度は、届けます」


 港へ戻る途中、麦の印が強く震えた。


 旧観測宿から持ち出した二つ目の帰還路。


 穀倉都市ハルムへ向かった人物の印だった。


 赤い糸ではない。


 乾いた麦の穂が、ノアの札から一本生える。


 穂には実が一粒も入っていなかった。


 サラが顔を上げる。


「ハルムから手紙が来なくなったのは、七年前」


「何が書かれていましたか」


「毎年、同じ収穫日が来る。でも刈った麦が、倉へ入れる前に消えるって」


 空の麦穂が、ノアの指先で崩れた。


 風に飛んだ殻の中から、かすかな声が聞こえる。


「名前を返すから」


 男とも女とも分からない声だった。


「今年の収穫だけは、奪わないで」

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