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王都暦局が廃止されたので、曜日のない辺境へ赴任した俺。誕生日も祭りもない町に日付を与えたら、止まっていた一年が動き始めた  作者: やまご


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第25話 命令より先に届いた春

 中央暦院の緊急通達には、鐘が鳴るより二刻前の時刻が記されていた。


 まだノアたちが春の日を復元できるかどうか、住民へ説明していた頃だ。


「中央は、鐘が鳴ると知っていた」


 レグナートは携帯時計を握ったまま、低い声で言った。


「ネーヴァに監視の術式が残っているのでは?」


 ノアが鐘楼を見上げる。


「違う」


 レグナートは命令文を読み直した。


「この通達は、春季記録が成立したことを確認して出されたものではない。成立する前提で準備されていた」


「エルデの停止命令と同じね」


 ミラが言った。


「誰かが、日付が戻ったときに使う命令を、あらかじめ作っている」


 十三年前に署名だけ用意された白紙命令書。


 ノアがエルデへ着くと、そこへ新しい本文と日付が加えられた。


 今回も同じだ。


 消された町が暦を取り戻そうとした瞬間、中央の命令が自動的に差し込まれるよう仕組まれている。


「関係者を拘束、と書いてある」


 町長エッダが、レグナートの時計を睨んだ。


「誰が拘束しに来る」


「最寄りの中央駐屯所へも通達が出ているはずだ」


「最寄りは?」


「地図上では、ネーヴァは存在しない」


 レグナートの答えに、集まった住民たちがざわめいた。


「では、誰も来ない?」


 トトが尋ねる。


「暦外区域を監視する部隊が、別に置かれている可能性がある」


 安心はできなかった。


 中央は、町を地図から消している。


 だが、消した町が再び名乗らないよう、見張ることだけは続けていた。


「春季記録を破棄しろって」


 トトが新しい暦板を振り返った。


「また、春待ちの日に戻せってこと?」


「命令に従えば、そうなります」


 ノアは正直に答えた。


 町の人々の顔から、鐘を鳴らした喜びが消えていく。


 十三年待って、ようやく迎えた次の日。


 その直後に、なかったことにせよと命じられた。


「嫌だ」


 トトが言った。


 大きな声ではない。


 けれど、その一言は鐘楼前の全員へ届いた。


「父さんが花を残した。みんなが川を見た。俺はこの日に生まれた。鐘も鳴った」


 少年は暦板の下へ立った。


「今度は、消させない」


 バルクが春の斧を持ち上げる。


「森へ行く」


「待ってください」


 ノアはすぐに止めた。


「春季記録が戻ったからといって、中央へ移された管理権が即座に無効になるとは限りません」


「また紙の話か」


「森を切れば、中央は盗伐の証拠として使います」


「薪がないんだぞ!」


 バルクの怒声が広場へ響く。


「子どもが熱を出してる。老人は家具を燃やしてる。それでも中央の許可を待てっていうのか!」


「待てとは言っていません」


「じゃあ何をしろ!」


 ノアは燃料庫を見た。


 残る共同薪は、鐘楼と療養所へ使えば数日分。


 エルデへ支援を求めても、届くまでに時間がかかる。


 森へ入ることを止めるだけでは、人が凍える。


「森の所有権と、生命を守るための緊急使用を分けます」


 レグナートが顔を上げた。


「緊急避難としての伐採か」


「国法に規定は?」


「ある。災害や生命の危機が差し迫る場合、必要最小限の資源を一時使用できる。ただし、危険の証明と使用量の記録が必要だ」


「今までは使えなかったの?」


 ミラが尋ねる。


「ネーヴァの記録上、冬は通常状態とされていた。中央の帳簿では燃料配給も届いていることになっている可能性がある」


「届いてないわ」


 エッダが言う。


「十三年間、一度も」


「それを証明します」


 ノアは燃料庫の扉を開かせた。


 中にある薪束をすべて外へ出し、一列に並べる。


 療養所。


 鐘楼。


 共同炊事場。


 それぞれに必要な量を、使う者から聞き取った。


「一日に何束必要ですか」


「日付が戻ったばかりなのに、もう一日で数えるのかい」


 燃料管理人が不安そうに言った。


「今日から記録できます。ですが、過去の消費量も別の方法で確かめます」


 療養所の炉に残る灰。


 薪を束ねていた縄。


 家具を壊した家の数。


 燃料を受け取った札。


 正確ではなくても、町が通常の配給では足りない状態だったことは示せる。


 住民たちが家から、燃やした家具の金具や空の薪縄を持ち寄った。


 椅子の蝶番。


 寝台の留め具。


 棚板に残った焦げ跡。


 暮らしを薪へ変えた証拠が、鐘楼前へ積み上がる。


「こんなものまで記録するの?」


 トトが、壊れた椅子の脚を持ってきた。


「森の木を使う理由になります」


「俺の家に椅子がなくなったことも?」


「それも町が冬を越すために失ったものです」


 ミラは療養所へ戻り、患者の人数と体調を確認した。


 寒さで咳を悪化させている者。


 指先に凍傷がある老人。


 熱を出した子ども。


 医師ではないため診断はできない。


 それでも、暖房を止めれば危険だという療養所の女主人の証言を記録できる。


「必要最小限って、どれくらい?」


 エッダが尋ねた。


 バルクが森の地図を広げる。


「枯れ木と、雪で折れた木だけなら、二十束は取れる」


「生木を切らずに?」


「ああ。ただし森の奥へ入る必要がある」


「二十束で何日もちますか」


 ノアが燃料管理人へ聞く。


「療養所と共同炉だけなら、六日くらい」


「鐘楼は?」


 管理人は春の鐘を見上げた。


「火を消せば、また凍る」


「鐘は今日、鳴りました」


 町長エッダが言った。


「次に鳴らす日まで、火を弱くしていい」


「でも、春の鐘を守る火よ」


「人を守る薪を燃やしてまで、鐘だけ暖める必要はない」


 十三年間、町は鐘を鳴らす日のために、少ない薪を守り続けてきた。


 その鐘はもう鳴った。


 今度は、次の日を生きる人へ薪を使う番だった。


「鐘楼の火を完全には消さず、夜だけ小さくする」


 バルクが提案した。


「昼は鐘の内部へ布を巻けば、急には凍らん」


「防水布なら、一枚あります」


 ミラが療養所の窓へ使った布を思い出して言う。


「患者が落ち着いたら、半分を鐘へ回せる」


「返してもらう日は?」


 トトが聞く。


「窓の補修材ができた日」


 ミラが答えた。


「日付だけじゃなくて?」


「材料がないうちは、日が来ても返せないもの」


 エルデで学んだ契約の仕組みが、別の町で使われ始めていた。


 バルクたちが森へ入る準備をする。


 ノアは緊急使用記録を二組作った。


 一組はネーヴァで保管。


 もう一組はレグナートが中央へ提出する。


 森へ入る者。


 持ち出す道具。


 枯れ木のみを対象とすること。


 持ち帰った薪の束数。


 使用先。


「中央へ出したら、森を使ったことが知られる」


 エッダが警戒する。


「隠せば、違法伐採だと好きな量を書かれます」


 レグナートが答えた。


「こちらから先に記録を出す。町が何を必要とし、どれだけ使ったかを明らかにする」


「中央が記録を捨てたら?」


「私の監察記録にも残す」


「監察官を辞めさせられたら?」


 レグナートは一瞬、言葉を止めた。


「そのときは、エルデとネーヴァの二つに同じ写しが残る」


 ノアは彼を見た。


 以前のレグナートなら、中央が保管する原本こそ正式だと言っただろう。


 今は、同じ記録を複数の町が持つ意味を理解している。


 一つを消されても、別の町が証言できる。


「出発前に、春の日の記録も写します」


 ノアは町長へ言った。


「一枚はネーヴァ。一枚はエルデ。さらに、七都市へ送る分も作る」


「そんなに?」


「中央が破棄を命じたなら、破棄できない数へ増やします」


 学び期に参加していた者たちが、写しを作る作業を始めた。


 字を書ける者は本文。


 書けない者は、白鐘花、川、鳥、鐘の印を刻む。


 同じ記録を、すべて同じ形にはしない。


 紙。


 木札。


 布への刺繍。


 陶板への刻印。


 火に弱いもの。


 水に弱いもの。


 割れやすいもの。


 保存方法を分ければ、一度にすべて失われにくい。


「こんなに違う形で、同じ記録だと分かるの?」


 トトが陶板へ鳥を描きながら尋ねた。


「共通の確認印を入れます」


 ノアは三つの小さな印を並べた。


 白鐘花。


 増水した川。


 春の鐘。


 出来事の核が同じなら、媒体が違っても照合できる。


 町の人々が記録を写している間に、バルクたちは森から戻った。


 橇には、枯れ木だけが積まれている。


 二十三束。


「二十束の予定では?」


 レグナートが尋ねる。


「倒れた木が予想より多かった」


「三束を戻す?」


「森の入口まで運ぶ方が薪を使う」


 ノアは確認役を二人、別々に呼んだ。


 森へ同行した者ではない住民が、木の断面を見る。


 生木を切った跡はない。


 すべて乾いた倒木か、雪で折れた枝だった。


「二十三束を記録します」


「予定と違ってもいいのか」


 トトが聞く。


「違った理由を残せばよいのです」


「予定は、守れないと嘘になる?」


「予定は未来の見込みです。事実とは違います」


「帰る日と同じ?」


「同じです。守れないと分かったときに、黙って消さないことが大切です」


 薪は療養所、共同炊事場、独り暮らしの老人の家へ分けられた。


 最初の一束は、熱を出した子どもの母親へ渡る。


 母親は昨日の受取札を出した。


 夜を越した結び目は三つになっている。


「熱は下がったの?」


 ミラが尋ねる。


「少し。今日は自分で湯を飲んだ」


「なら、もう一晩は暖めて」


 薪の記録へ、新しい束が一つ加えられる。


 今度は誰も、二重に受け取ったとは言わなかった。


 夕方、中央から二通目の緊急通達が届いた。


 ――違法伐採を確認。


 ――ネーヴァ住民による中央所有林の窃取として処理する。


 発行時刻は、バルクたちが森へ入る一刻前だった。


「これも先に出てる」


 トトが青ざめる。


 中央は、町が何をするか知っているのではない。


 町が生き延びるために取る行動を予測し、それを罪にする命令を先回りして用意している。


「春を戻せば違法暦改変」


 ミラが言う。


「薪を取れば窃盗。何もしなければ凍える」


「住民がどの道を選んでも、中央が正しいことになる仕組みです」


 ノアは二通の命令を並べた。


「だから、行動だけでなく、選ばされた状況を残します」


 春季記録。


 空になった燃料庫。


 燃やされた家具。


 療養所の患者。


 森から持ち出した枯れ木。


 発行時刻が行動より早い命令書。


 それらを一つの記録束へまとめる。


「名前をつけるの?」


 トトが尋ねた。


「ネーヴァ春季緊急記録」


「難しい」


「では、町では何と呼びますか」


 少年は少し考えた。


「春を迎えたあとも、生きるための記録」


「長いですね」


「でも分かる」


 町長エッダが頷いた。


「それでいい」


 夜、鐘楼の火は小さくされた。


 浮いた薪で療養所の炉が温まり、熱を出していた子どもは、初めて穏やかな寝息を立てた。


 ネーヴァの春は、花や鐘だけでは終わらない。


 春を迎えた次の日を、生きて越えなければならない。


 その寝台のそばで、チクタが急に耳を立てた。


 首から下げた小さな旅程札が、かすかに震えている。


 エルデに残した写しと結ばれた、帰還予定の札だ。


 板の表面へ、見覚えのない文字が浮かび始めた。


 ――中央暦院執行部隊、旧観測路を北上。


 ――到着予定、二日後。


 その下には、エルデの書記役となったリノの名前が、震える字で記されていた。

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