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王都暦局が廃止されたので、曜日のない辺境へ赴任した俺。誕生日も祭りもない町に日付を与えたら、止まっていた一年が動き始めた  作者: やまご


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第21話 帰還の鐘と七通の手紙

 北門の鐘が、予定より一日早く鳴った。


 一度。


 二度。


 三度。


 見張り台の門番が、間を置いてさらに二度叩く。


 旅人の帰還を知らせる合図だった。


「ユアンだ!」


 リノが学び札を放り出し、パン屋から飛び出した。


「札を片づけてから行きなさい!」


 ミラもそう叫びながら、焼きかけのパンをノアへ押しつけて外へ出る。


「なぜ私に」


「焦げる前に窯から出して!」


「何分後ですか」


「匂いで分かる!」


「分かりません!」


 返事はなかった。


 店内に残されたノアは、窯の前で途方に暮れた。


 暦務官は日付を定められる。


 しかし、焼き上がったパンの匂いを正しく判定する訓練は受けていない。


「縁が濃くなったら出せ」


 卓で書類を読んでいたレグナートが言った。


「経験が?」


「遠征中に炊事当番をした」


「監察官もパンを焼くのですね」


「焼けなければ食事がない状況では、役職は腹を満たさない」


 二人で窯を見張り、縁が焦げる直前に鉄板を引き出した。


 形は少し崩れたが、黒くはない。


「記録しておくか」


 レグナートが言う。


「何をです」


「ノア・アルデンが初めてパンを焼いた日」


「私は取り出しただけです」


「それでもミラは、あんたが焼いたことにすると思うぞ」


 パンを冷まし、二人も北門へ向かった。


 門の外には、泥だらけの馬が一頭立っていた。


 ユアンは鞍から降りると、出迎えた人々の間を見回した。


「三回目の七つ鐘には間に合ったな」


「二回目も、まだです」


 ノアが答える。


「予定より早い帰還です」


「道が凍る前に戻った。ラウゼンの連中が、馬を替えてくれたんだ」


 馬の背には、大きな郵袋が二つ下げられていた。


 行くときは空だった袋が、今は丸く膨らんでいる。


「百四十三通、全部?」


 リノが目を輝かせる。


「全部運んだら馬が潰れる。急ぎのものと、宛先がエルデ周辺のものだけだ」


「何通?」


「二十七通」


「百四十三より少ない」


「よく分かったな」


「数字を習ったから」


 リノは得意げに胸を張った。


 町の人々が、旅程札を持って集まってくる。


 ユアンが帰らなかった場合、次の七つ鐘に捜索隊を出す約束だった。


 捜索用の食料も、縄も、道案内役も準備されていた。


「使わずに済んだね」


 リノが荷物を指す。


「ああ」


 ユアンは、自分の旅程札と町に残した写しを重ねた。


 出発日。


 目的地。


 帰還予定。


 途中で立ち寄る泉と観測塔。


 札の端には、新しく三つの傷が刻まれている。


「この傷は?」


「ラウゼンの郵便所。三つ石の峠。それから、帰りに使った北の橋だ。通過した場所ごとに、向こうの人間へ刻んでもらった」


「旅の証人ですね」


「予定通り帰れなくても、どこまでは進んだか分かる」


 ユアンは札をノアへ返した。


「お前の仕組み、面倒だが役には立った」


「褒めているのですか」


「半分だけな」


 町に帰ってきた事実を、門番と住民が確認する。


 国暦と町の曜日を併記した帰還札へ、ユアン自身が草芽の商印を押した。


 暦印は使わない。


 それでも、帰る日を定めて出ていった人が、町の待つ間に帰ってきた。


 リノが帰還札の下へ、小さな馬を描いた。


「これは必要ありません」


「馬も帰ってきた」


「確かに事実ですが」


「じゃあ書いていいね」


 ユアンの馬が、肯定するように鼻を鳴らした。


 郵袋は、パン屋の奥へ運ばれた。


 袋の口には、ラウゼン郵便所の林檎印と、管理人の封印がある。


「開封前に数えます」


 ノアは差出人、宛先、封の状態を一通ずつ確認した。


「中身は読まないの?」


 リノが尋ねる。


「宛先人の許可が必要です」


「町がなくなった手紙は?」


「町はあります。中央の地図にないだけです」


 一通目は、エルデの羊飼いへ。


 二通目は、十三年前に町を出た染物職人の家族へ。


 三通目は、すでに亡くなったセラの姉へ。


 宛先人が生きているとは限らない。


 家がなくなっていることもある。


 届ければ必ず喜ばれるわけでもない。


 ノアは手紙を三つに分けた。


 宛先人が確認できるもの。


 宛先人の家族へ相談が必要なもの。


 町や家名だけで、個人を特定できないもの。


「亡くなった人宛ては、どうするの?」


 リノが聞いた。


「家族が読むか、差出人へ返すか、家族に決めてもらいます」


「勝手に開けたら駄目?」


「亡くなったからといって、その人への言葉が全員のものになるわけではありません」


 セラは姉宛ての封筒を、しばらく見つめた。


 差出人は、ラウゼンの薬草師。


 封筒の日付は十三年前だった。


「姉さんが生きてるうちに届いてたらねえ」


「返送しますか」


「いや」


 セラは封へ触れず、胸元へ抱いた。


「墓の前で、開けていいか聞くよ。返事はないだろうけど、すぐ読むよりはましだ」


 手紙を届けるには、届く日も必要だった。


 急いで配れば、仕事中の人へ他人の前で渡すことになる。


 亡くなった人の知らせや、長く途絶えていた家族からの言葉が入っているかもしれない。


「手紙を受け取る時間を作りましょう」


 ミラが言った。


「一人になれる場所も必要ね」


「郵便所を作るの?」


 リノが尋ねる。


「建物はありません」


「パン屋の裏でいいよ」


「またうち?」


「今は学び場にもなってる」


「パン屋なのよ」


 そう言いながら、ミラは物置の空き棚を確認していた。


 粉袋を一段ずらせば、郵袋と配達札を置ける。


「開いている時間は?」


 レグナートが尋ねる。


「市場日のあとでは、人が多すぎます」


 ノアは町の働き方を思い浮かべた。


 朝は仕込みと畑仕事。


 昼は工房と店が忙しい。


 夕方なら、仕事を終えた者が自分で受け取りに来られる。


「六つ鐘が鳴ったあと、七つ目の鐘まで」


「七つ鐘の日だけ?」


 リノが聞く。


「今日は緊急の手紙があるので、臨時に開きます。今後は、手紙が届いた翌日の夕方に」


「日付を定めるのか」


 レグナートが問う。


「配達業務の時間です。中央暦も併記します」


「異論はない」


 監察官がすぐに認めたため、ミラが驚いた顔をした。


「最近、話が早いわね」


「同じ議論を何度も繰り返したくないだけだ」


「町で決めていいこと、覚えた?」


 リノが嬉しそうに尋ねる。


「その言い方はやめろ」


 パン屋の壁へ、林檎と封筒を組み合わせた印が掛けられた。


 文字の読めない人にも、手紙を受け取れる場所だと分かる印だ。


 午後、宛先人が一人ずつ呼ばれた。


 羊飼いの男へ届いた手紙は、ラウゼンへ嫁いだ妹からだった。


 彼は字が読めず、学び場へ通う双子の姉妹が代わりに読んだ。


「元気です。林檎畑を手伝っています。子どもが二人います」


 そこで読み手が止まる。


「続きは?」


 男がせかす。


「お兄さんは、まだ羊の数を間違えますか、だって」


「余計なことを書きやがって」


 男は笑いながら、目を拭った。


「返事を書く。羊は一度も間違えてないって」


「嘘は暦印が消えるよ」


 リノが言う。


「手紙に暦印は使わねえ!」


 パン屋に笑いが起きた。


 十三年前の手紙が、今日になって兄へ届いた。


 失われた時間は戻らない。


 それでも、妹がどこかで生き、家族を持っていると分かった。


 次の手紙を出せる。


 もう、返事のない過去だけではなかった。


 夕方までに、十四通が本人か家族へ渡された。


 残り十三通。


 そのうち七通には、同じ赤い糸が結ばれている。


「これは何の印ですか」


 ノアが尋ねる。


 ユアンの表情が険しくなった。


「七都市の代表が、互いに読んでいいと認めた手紙だ」


 封筒には個人名がない。


 宛先は、エルデの暦を取り戻した者へ。


 一通目はラウゼン。


 二通目は雪境都市ネーヴァ。


 三通目は鉱山都市グランザ。


 四通目は砦都市ヴァルド。


 残りはセレノ、ハルム、そして差出地の記されていない一通。


「開けます」


 住民代表としてミラ、町の記録担当としてノア、中央の証人としてレグナートが封を確認する。


 最初に読んだのは、ネーヴァからの手紙だった。


 ――雪解けの日を失って十三年。


 ――暦の上では春を迎えたことがなく、中央は冬季閉鎖を理由に道と支援を止めている。


 ――今年、最後の燃料庫が空になる。


 ――春の日を知る者がいるなら、来てほしい。


 リノが窓の外を見た。


 エルデでも冬が始まりかけている。


 その北に、十三年間、冬が終わっていない町がある。


「行くの?」


 ノアは残る六通へ手を置いた。


 どの町にも、今すぐ助けを求める理由があるだろう。


 だが全員を同時には訪ねられない。


「まず、手紙の日付と緊急性を確かめます」


「燃料がなくなるって書いてあるよ」


「ええ」


「なら、ネーヴァが先?」


 ノアは頷いた。


「ただし、エルデを空にする準備が必要です」


「私も行く」


 ミラが言った。


「店はどうするのですか」


「交代で休む仕組みを作ったでしょう。今度は、長く任せる練習よ」


「危険です」


「母が七つの町を見つけろと書いたの。私が行く理由はある」


 レグナートも黒い外套を畳んだ。


「私も同行する。暦外区域の存在を、監察官として確認する」


「リノは町へ残ってください」


 ノアが先に言うと、少女は口を尖らせた。


「まだ何も言ってない」


「一緒に行く顔をしていました」


「顔で決めるの、証拠にならないよ」


「学び期と誕生日の記録を守る人が必要です」


 リノは反論しようとして、木箱の中の学び札を見た。


 自分の札。


 カイたちの札。


 古い十三人の札。


「ノアたちが帰らなかったら?」


「旅程札に従い、町が探します」


「絶対に帰るとは言わないの?」


「言えません」


 リノはしばらく俯き、やがて顔を上げた。


「じゃあ、帰ろうとする日を書いて」


「はい」


「遅れるなら、手紙を出して」


「必ず」


「それ、約束?」


「記録へ残す約束です」


 リノは新しい木札を一枚出した。


 表には、出発する三人の名。


 裏には、まだ空白の帰還予定欄。


「帰ってきたら、私が馬の絵を描く」


「馬で帰るとは限りません」


「じゃあチクタの絵」


 チクタは郵袋の上で丸くなり、すでに旅へ行く気でいるようだった。


 七通の手紙が、長机の上へ並ぶ。


 消された町が、ようやく互いへ声を届け始めた。


 最初の行き先は、春を失った雪の町。


 窓の外で、季節観測板へ今年二つ目の霜印が刻まれた。

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