第17話 最初の一籠を分ける日
収穫した蕪が、広場で腐り始めていた。
川沿いの畑では冬支度が始まり、育った根菜が次々と運び込まれている。だが市場日はまだ先で、保存用の穴蔵には去年の干し豆が残ったままだ。
「うちの穴蔵へ入れるなよ!」
「そっちが去年の豆を片づけてないからでしょう!」
「豆は春まで食える!」
「この蕪は春までもたないのよ!」
共同倉庫の入口で、農家たちが籠を押しつけ合っていた。
足元には、葉の折れた蕪がいくつも転がっている。
収穫の時期を地区ごとに判断できるようになった結果、今度は収穫物の置き場所が足りなくなったのだ。
「売れるまで畑へ置いとけばよかった」
農家の男が吐き捨てる。
「霜が来たら駄目になるでしょう」
ミラが蕪を拾い上げた。
「抜いたあとに困るなんて、考えてなかったんだよ」
「考えていなかったのではありません」
ノアは共同倉庫の記録板を見た。
「これまでは、一斉に収穫するほど季節の判断がそろわなかったんです」
ある家は早く抜き、ある家は遅くまで畑へ残す。
収穫量が同じ時期に集中しなかったため、倉庫の狭さが問題にならなかった。
町の暮らしが整えば、それまで隠れていた別の不便が姿を現す。
「倉庫を増やす?」
リノが尋ねた。
「すぐには建てられません」
オルガが石壁を叩く。
「屋根だけなら張れるが、冬を越す穴蔵は無理だ」
「じゃあ食べる?」
「これ全部を?」
広場には蕪だけで十二籠。
ほかにも南瓜、豆、赤い根菜、固い冬林檎が積まれている。
リノは一籠ずつ眺め、少し考えた。
「みんなで食べれば減るよ」
「一度に食べられる量ではありません」
「食べない分は、料理して置いとく」
ミラが蕪の葉を確かめた。
「塩漬けなら嵩は減る。煮て潰せば、乾燥させて保存もできるわ」
「干し棚が足りない」
農家が言う。
「染め場の棚を借りれば?」
ミラの言葉に、周囲が静まった。
川沿いの染め場。
かつてエレナが空草を染めていた場所だ。
今は使う者がほとんどおらず、木枠だけが何列も残っている。
「染め場はフェン家の土地じゃないのか」
「昔はね」
ミラはノアたちが見つけた種子帳を思い出すように、視線を落とした。
「中央の地図では、王家の土地になってるらしいけど」
「土地所有の争いが解決するまでは、大きな改修は避けるべきだ」
レグナートが言った。
「棚を一時的に使うだけなら?」
「所有権を主張しないことを記録し、破損した場合の責任を決めれば認められる」
「監察官って、何でも駄目って言う人じゃないんだね」
リノが感心した。
「私は規則を守らせる者だ」
「使っていい規則も教える?」
「それも職務だ」
レグナートは少しだけ胸を張った。
染め場へ行くと、木枠の半分は蔓草に覆われていた。
住民たちが鎌や鋸を持ち寄り、使える棚と修理が必要な棚を分ける。
オルガとカイが金具を直す。
ガスは保存壺を出す。
セラは塩漬けに向かない傷んだ野菜を選り分けた。
「腐ったところだけ取れば、薬草粥へ入れられる」
「薬なの?」
リノが尋ねる。
「腹が膨れれば、大抵の不機嫌には効くよ」
野菜を切る場所として、長い作業台が並べられた。
しかし、農家たちは自分の籠から離れようとしない。
「うちの蕪を、勝手に配られたら困る」
「保存を手伝った分は、誰のものになるんだ?」
「塩は町の備蓄を使うんだろう。収穫した家だけ得するのか?」
料理の方法が決まっても、所有の問題が残っていた。
皆で働くなら、収穫物をどのように分けるのか。
日付を戻すだけでは解決しない。
「以前はどうしていましたか」
ノアが尋ねた。
ガスが棚の柱を撫でる。
「収穫祭で分けてた気がするな」
「祭り?」
「冬の前に、最初の籠を広場へ出した。皆で料理して食べて、残りを保存する」
「誰が、どれだけ出すんですか」
「覚えてない」
セラが口を挟んだ。
「最初に採れたものを少しずつだよ。畑がある家は作物。職人は壺や道具。畑のない家は手伝いを出した」
「祭りの日は?」
「空草送りのあとだった」
また、空草送り。
リノが見つかった日。
エレナが青い布を染めていた時期。
失われた十三日にも近い。
「収穫祭の記録を探す必要があります」
ノアが言うと、農家の一人が首を横に振った。
「祭りを調べてる間に、蕪が腐る」
正しい。
過去の祭りを復元する作業と、今ある野菜を救う作業は分けなければならない。
「今日は祭りを復元しません」
「じゃあ何をするの?」
リノが聞く。
「共同保存の作業日です」
レグナートがすぐに反応する。
「暦印は認められない」
「使いません」
ノアは白い札を三種類用意した。
一つ目は、持ち込み札。
誰が何を、どれだけ持ち込んだかを記す。
二つ目は、作業札。
洗う、切る、塩を運ぶ、棚を直すなど、提供した仕事を印で残す。
三つ目は、受取札。
完成した保存食を、持ち込みと作業の両方に応じて分ける。
「野菜を持ってない人も、働けばもらえる?」
カイが尋ねた。
「はい。ただし、冬を越すための町の備蓄も先に分けます」
「町長の分は?」
「本人が働けば」
ミラが即答した。
「町長は公務をしていませんから、特別扱いする理由はありません」
ノアが言うと、皆が意外そうに彼を見た。
「役人なのに、町長を庇わないのか」
「役職は、何もしなくても食料を受け取る資格ではありません」
結局、町長には誰かが一度、参加を知らせることになった。
起きなければ、それまでである。
作業が始まると、染め場はすぐに騒がしくなった。
蕪を洗う者。
根菜を刻む者。
保存壺を煮沸する者。
子どもたちは小さな豆を選り分けた。
リノは形のよい蕪を一つ、別の籠へ入れる。
「それは保存用ではありませんよ」
「最初の一個」
「何の?」
「みんなで食べる分」
祭りを復元するわけではない。
だが、共同作業を始める前に、最初の収穫を分けて食べるくらいなら、過去を偽ることにはならない。
ミラがその蕪を薄く切り、鍋へ入れた。
農家から豆と南瓜が加わり、セラが香草を落とす。
ガスは大きな器を持ってきた。
オルガは棚の修理を終えると、鍋をかき混ぜる長い柄を打った。
「それ、今作ったの?」
リノが驚く。
「短い柄では熱いだろ」
「休む日じゃないの?」
「今日は作業日だ」
「次の休み札、前に出しておくね」
「勝手に動かすな」
笑いながら働くうち、十二籠あった蕪は、塩漬け壺四つと乾燥棚三列へ収まった。
傷みの早いものは大鍋のスープになる。
夕暮れ前、作業へ参加した者たちが染め場の周りへ座った。
器はそろっていない。
木椀を持ってきた者もいれば、陶器の皿を使う者、鍋から直接すくう子どももいる。
「祭りじゃないんだよね?」
リノが念を押した。
「今日の作業を終えた食事です」
ノアは答えた。
「でも、みんなで食べる」
「ええ」
「来年もする?」
「必要なら」
「必要じゃなくても、したい」
リノの隣で、野菜売りの老女が頷いた。
「昔の収穫祭がどんなものだったかは、もうよく覚えてない。でも、最初の一籠を分けたことだけは覚えてるよ」
老女は自分の畑で採れた赤い根を一本、鍋へ追加した。
「畑がない人にも、最初の味を知ってもらうためだった」
「どうして最初の籠なの?」
「最後まで残るか分からないからさ」
今年は豊作でも、嵐や霜で失うかもしれない。
だから最初に採れたものを皆で分け、この先も食べられるよう願う。
収穫祭は、余裕のある者が振る舞うだけの日ではなかった。
町全体で冬へ入るための確認だったのだ。
「この作業を、来年も残したいですか」
ノアが尋ねる。
農家たちが顔を見合わせる。
「倉庫が足りなくなる前にな」
「川沿いの収穫が始まったら知らせる」
「丘の畑は、あとから参加すればいい」
「畑のない家も、手を出せるようにする」
一斉に同じ日へ集める必要はない。
地区ごとの収穫が始まったとき、最初の一籠を共同作業へ持ち寄る。
保存を終えた夜に、皆で一鍋を分ける。
「日付ではなく、出来事を始まりにするんですね」
レグナートが言った。
「季節が土地ごとに違うなら、その方が無理がありません」
「中央式では、祭日は一日へ固定する」
「固定した方が、商人や旅人は参加しやすい利点もあります」
ノアは答えた。
「今後、町の収穫が安定したら日付を定めてもよい。ですが今年は、まだ観測を始めたばかりです」
「お前は中央を否定したいわけではないのだな」
「役に立つ制度まで捨てる理由はありません」
レグナートはスープを一口飲んだ。
「薄い」
ミラが睨む。
「監察官価格で塩を足しましょうか」
「いくらだ」
「銅貨二枚」
「塩一つまみに?」
「役人価格よ」
今度はレグナートも、少し笑った。
食事が終わると、持ち込み札と作業札に応じて保存食が分けられた。
独り暮らしの老人には、受取分を運ぶ者も決める。
冬の町備蓄には、一壺ごとに内容と作成者の印をつけた。
字を習った子どもたちが、札を書く。
リノは蕪の絵の横へ、自分の名前を記した。
「私は豆を選んだから、一人分?」
「作業札一つです」
「チクタも働いた」
チクタは乾燥棚の上で眠っている。
「何をしましたか」
「味見」
「それは作業に含みません」
チクタが片目を開け、不満そうに鳴いた。
最後の壺を棚へ置いたとき、棚板の裏から古い焼き印が落ちた。
ガスが拾い、土を払う。
籠を二つ重ねた形。
「収穫祭の印だ」
木枠の柱を調べると、同じ印が十三個、縦に並んでいた。
十二個は毎年一つずつ刻まれたものらしく、深さも摩耗も違う。
十三個目だけは、途中で削り取られていた。
「十三回目の祭り?」
ミラが指で傷跡をなぞる。
ノアは古い季節記録と照合した。
空草送り。
収穫祭。
学び期。
すべて、十三日を境に途切れている。
削られた印の脇には、ごく小さな地図が刻まれていた。
中央にエルデ。
その周囲に、六つの町を示す点。
七つの点は細い線で結ばれ、同じ印を共有している。
レグナートが顔を近づけた。
「これは祭りの巡回路ではない」
「何の地図ですか」
「中央暦院の観測網だ。季節と収穫の報告を、一つの基準日へ集めるためのものだ」
エルデだけではない。
七つの町が、かつて同じ収穫の記録を共有していた。
だが地図の端には、十三年前の日付で一文が刻まれている。
――第十三観測日に、七都市を暦外区域へ移す。
ノアは文字を読み直した。
暦外区域。
中央暦院の公式地図に、存在しないものとして扱われる土地だった。




