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王都暦局が廃止されたので、曜日のない辺境へ赴任した俺。誕生日も祭りもない町に日付を与えたら、止まっていた一年が動き始めた  作者: やまご


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第16話 冬を迎えるための三つの

 朝、町の畑から蕪が消えた。


 盗まれたわけではない。


 畑の持ち主たちが、まだ小さな蕪まで一斉に引き抜いたのだ。


「霜が来るぞ!」


「今夜だ!」


「いや、三日くらい先だ!」


 土のついた籠を抱えた農家が広場へ集まり、それぞれ違うことを叫んでいる。


 市場には、親指ほどの蕪が山積みにされていた。葉は青く、実は十分に太っていない。


「こんなの売り物にならないよ」


 野菜売りの老女が一つを割り、顔をしかめた。


「中がすかすかだ」


「霜で駄目になるよりましだ!」


 農家の男が言い返す。


「北の山が白くなった。鳥も低く飛んでる。冬が来る!」


「昨日は暖かかったでしょう」


 ミラが小さな蕪を指でつまむ。


「パン窯の前にいた人間が、外の寒さを語るな」


「朝から粉を運んでたわよ」


「町なかと畑じゃ違う!」


 言い争いを聞きながら、ノアは畑から持ち込まれた土を指で確かめた。


 乾いている。


 昨夜、強い冷え込みがあったなら、土の表面に水分が残るはずだった。


「霜を見た人は?」


 ノアが尋ねる。


 十人ほどいた農家のうち、手を挙げた者はいなかった。


「でも、来そうだった」


「霜の匂いがした」


「匂い?」


「冷たい匂いだよ!」


 予感だけで、町の冬支度が始まっていた。


 薪屋は値段を上げ、羊飼いは放牧を切り上げ、染物を干していた家は布をすべて取り込んだ。


 宿屋では冬用の毛布を出したせいで、夏布をしまう場所がなくなり、廊下が塞がっている。


「毎年こうなの?」


 リノが尋ねた。


「冬が来そうになったら、冬支度をする」


 ミラが答える。


「来なかったら?」


「一度戻す」


「また来そうになったら?」


「また出す」


「大変だね」


「そうね」


 日付がなければ、季節の始まりも共有できない。


 誰か一人が冬を感じれば、周囲も不安になって支度を始める。逆に、まだ大丈夫だと思う者は作業を続ける。


 結果として、畑の収穫時期も、家畜を小屋へ移す日も、薪を分ける順番もばらばらになる。


「王都なら、冬入りの日を中央暦院が告示する」


 レグナートが言った。


「星の位置、過去の気温、各地の観測所からの報告をもとに決める」


「エルデの観測所は?」


 ノアが尋ねる。


「登録上は時計塔だ」


 全員が止まった大時計を見上げた。


「誰が観測していたの?」


 リノが聞く。


「記録上は、地域暦務官だ」


「いないね」


「十三年以上、欠員になっている」


「それでも中央は、季節を知らせていたのですか」


 ノアが問うと、レグナートは答えなかった。


 知らせていない。


 中央の制度へ従えと言いながら、その制度に必要な情報を、この町へ届けてこなかったのだ。


「暦印を使わずに、冬の始まりを決められますか」


 農家の一人が不安そうに尋ねた。


「一人の感覚だけで決めない方法は作れます」


 ノアは広場へ三枚の木板を並べた。


「冬の訪れを示すものを、三種類に分けます」


 一枚目へ、空の印を描く。


「空の変化。初霜、初雪、山の積雪」


 二枚目には、植物の印。


「畑と森の変化。木の葉が落ちる、根菜の葉が伏せる、冬草が芽を出す」


 三枚目には、動物の足跡。


「動物の変化。渡り鳥が去る、羊が群れを固める、冬眠する生き物が姿を消す」


 チクタが足跡の板へ乗り、胸を張った。


「チクタも?」


「暦獣の行動は参考になります。ただし、チクタ一匹だけでは決めません」


 チクタの胸がしぼんだ。


「三つのうち、違う種類の印が二つ以上確認されたら、町で冬支度を始める」


 ノアは続けた。


「ただし作物ごとに収穫の条件は違います。冬が近いという理由だけで、すべてを掘り出す必要はありません」


「蕪はどうする」


「育ち具合を確認します」


「役人に蕪が分かるのか?」


「分かりません」


 農家たちが一斉に不満そうな顔をした。


「ですから、分かる人を呼びます」


 北の村から来た種苗商のユアンは、引き抜かれた蕪を一つずつ切った。


「これは早すぎる。こっちは三日もあれば太る。川沿いの畑は冷えるから、先に抜いていい」


「三日って、国暦の?」


 農家が疑うように聞く。


「朝が三回来るまでだ」


「雨が降ったら?」


「雨のあとに一回、土を見ろ。水が溜まってたら抜く。乾いてたら待つ」


 日付だけでは決めない。


 作物の状態と、土地の違いを見る。


 暦は自然へ命令するものではなく、人が自然の変化を共有するための道具だった。


「畑ごとの印も必要ですね」


 ノアは町の簡単な地図を広げた。


 川沿い。


 丘の上。


 森の近く。


 同じ町でも、冷え方は違う。


 地図を三区画へ分け、それぞれの畑から観測役を一人ずつ選ぶことになった。


「毎朝、霜があったか見るだけ?」


 川沿いを任された若い女性が尋ねる。


「霜、土、葉の様子を見てください。絵で記録して構いません」


「字が書けない」


「霜なら白い点。土が凍ったら線。葉が伏せたら横向きの葉を描きます」


 学び札を始めたことで、記録を読む人も増えている。


 広場の掲示板へ三地区の観測札を掛ければ、農家でない者も季節の変化を知ることができる。


「パン屋にも必要ね」


 ミラが言った。


「寒くなるなら、生地の発酵が遅くなる。前の日と同じつもりで焼くと間に合わない」


「鍛冶屋は薪と炭を分ける」


 オルガも加わる。


「薬屋は冬用の咳止めを増やすよ」


 セラが指を折る。


「宿は毛布を出す」


「もう出して廊下を塞いでる」


 宿屋の主人が困った顔をした。


「では、まだ冬支度開始の印は出ていないので、一部を戻してください」


「せっかく出したのに?」


「通路を塞ぐ方が危険です」


 町の人々は文句を言いながらも、それぞれの持ち場へ戻った。


 小さすぎる蕪は、土へ戻せない。


 ミラが引き取り、葉ごと刻んで塩味のスープにした。


「失敗した収穫の味ね」


 鍋を混ぜながら、彼女が言う。


「食べられないものではありません」


 ノアは一口飲んだ。


 実は薄いが、葉には甘みがあった。


「褒め方が役人」


「おいしいです」


「遅い」


 リノは蕪を丸ごと一つ、チクタの前へ置いた。


 チクタは匂いを嗅ぎ、顔を背ける。


「嫌い?」


「果実の方がよいのでしょう」


「選り好みする暦獣ね」


 昼を過ぎると、最初の観測札が戻ってきた。


 丘の上。


 霜なし。


 土は乾いている。


 葉は立っている。


 川沿い。


 霜なし。


 土に水が残る。


 根菜の葉が一部伏せている。


 森の近く。


 霜なし。


 落葉が増えた。


 鳥の数が減っている。


「植物と動物の印が一つずつ」


 リノが数える。


「じゃあ冬?」


「観測場所が違います。同じ地区で二種類そろったわけではありません」


「難しい」


「だから皆で見るんです」


 夕方には風が強くなった。


 北の山へ雲がかかり、広場の気温も急に下がる。


 今度こそ霜が来るのではないかと、不安そうな声が上がった。


 だがノアは、冬支度の宣言を急がなかった。


「今夜の変化を、明日の朝に確認します」


「それじゃ遅いかもしれない」


 川沿いの農家が言う。


「心配な畑だけ、布をかけてください。すべて収穫する必要はありません」


「外れたら布を出した手間が無駄だ」


「収穫を失うより、小さな手間で備える方を選ぶ。予測とは、そのために使います」


 正しい日付を定める仕事と、未来を当てることは違う。


 暦師は未来予知をしない。


 分かっている変化を並べ、分からない部分へ備えるだけだ。


 農家たちは畑へ戻り、冷えやすい場所へ古布や藁をかけた。


 リノも手伝いに行きたがったが、ミラに薄着を指摘され、古い上着を着せられた。


「これ、ミラの?」


「子どもの頃のよ」


「青いね」


 色は褪せているが、空草で染めた布だった。


 ミラは袖を折りながら、少しだけ手を止めた。


「母が作った」


「ノアも青い服を着てたって」


 リノが言う。


「そうみたいですね」


 ノアは上着の縫い目を見た。


 古い学び期の証言にあった、青い服の子ども。


 自分と同じ名前を持つ、十三人目。


 だが、今は畑の支度が先だった。


 夜、町のあちこちへ布を張る音が響いた。


 誰か一人の不安に全員が振り回されるのではない。


 必要な場所へ、必要な分だけ備える。


 朝になると、川沿いの畑だけに薄い霜が降りていた。


 布をかけた蕪は無事だった。


 丘と森の畑には霜がない。


「全部抜かなくてよかった」


 農家の男が、白い息を吐きながら笑った。


 根元の土を払い、十分に育った蕪だけを籠へ入れる。


 小さなものは畑へ残した。


 広場の観測板には、川沿いの欄へ白い点が刻まれる。


 霜。


 葉の伏せ。


 二種類の印がそろった。


「川沿い地区、冬支度開始です」


 ノアが告げる。


 暦印は押さない。


 町全体を一度に冬へ変えない。


 それでも川沿いの家々は、薪を運び、家畜を小屋へ入れ、収穫を始めた。


 丘の畑は、もう少し育つのを待つ。


 森の近くでは、落葉を集めて冬囲いへ使う。


 同じ町の中で、季節が少しずつ進んでいく。


 昼には、十分に太った蕪がパン屋へ届いた。


 ミラは薄く切り、塩と香草を挟んだ温かいパンを焼く。


「昨日のすかすか蕪より甘い!」


 リノが頬を膨らませる。


「待った日の味ね」


 ミラは農家へ最初の一つを渡した。


 男は汚れた手で受け取り、しばらくパンを見ていた。


「昨日、全部抜いてたら、これにはならなかった」


「次からは札を見て決めてください」


 ノアが言う。


「役人に言われると腹が立つが、そうする」


 観測板の前には、自然と人が集まるようになった。


 子どもは白い点の数を読み、大人は畑ごとの違いを話す。


 季節は、誰かが一方的に宣言するものではなくなった。


 その日の夕方、チクタが観測板の裏へ潜り込んだ。


 何かを引っかく音がする。


 ノアが板を外すと、古い紙が何枚も折り畳まれていた。


 時計塔の観測所で使われていた、十三年前の季節記録だった。


 空。


 植物。


 動物。


 今日作ったものと、ほとんど同じ三つの区分が使われている。


「母たちも、この方法で季節を見ていたのね」


 ミラが紙を広げる。


 記録は実り月十二日まで正常だった。


 十三日の欄だけが、紙ごと切り取られている。


 そして十四日以降、季節の印がすべて一日ずつずれていた。


 ノアは複数年の記録を重ねた。


 ずれはエルデだけではない。


 欄外には、周辺都市から届いた観測印が七つ並んでいる。


 そのすべてで、同じ十三日が切り取られていた。


 町から奪われた一日は、エルデだけのものではなかった。

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