↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王都暦局が廃止されたので、曜日のない辺境へ赴任した俺。誕生日も祭りもない町に日付を与えたら、止まっていた一年が動き始めた  作者: やまご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/50

第12話 同じ机に座る日

 パン屋の裏口に、子どもが五人並んでいた。


 先頭のリノは木の板を抱え、その後ろには鍛冶工房のカイ、宿屋の手伝いをしている少年、双子らしい姉妹、鼻水をすすっている小さな男の子が続いている。


「何の列ですか」


 ノアが尋ねると、リノは当然のように答えた。


「字を習う列」


「誰に?」


「ノアに」


「聞いていません」


「今言ったよ」


 厨房では、休み明けのミラが生地をこねていた。


 昨日より顔色はよい。パンも焦げていない。


「注文札を使い始めてから、字を教えてほしいって子が増えたのよ」


「印だけでも注文はできます」


「自分の名前を書きたいんだって」


 ミラが顎で子どもたちを示す。


「リノは誕生日札。カイは勤務札。自分の札なのに、自分で読めないのが嫌らしいわ」


 カイは胸元から給金札を取り出した。


 そこにはノアが刻んだ名前と、働いた日を示す槌の印が並んでいる。


「俺の名前、これだろ」


 カイは最初の文字を指した。


「はい」


「じゃあ、こっちは?」


「二文字目です」


「二つ合わせるとカイになるの、変じゃないか?」


「文字とは、そういうものです」


「槌の印一個の方が分かりやすい」


「なら、字を習わなくてもよいのでは」


「でも、オルガに渡された注文書を読めない」


 カイは唇を尖らせた。


「昨日、釘を百本って書いてあったのに、十本だと思った」


「百本も注文が来たんですか」


「だから急いで作った。そしたら十本だった」


「逆ですね」


「オルガに笑われた」


 文字が読めないことは、今まで大きな問題にならなかった。


 注文も約束も口頭で済ませ、覚えていなければ周囲へ尋ねればよかった。


 だが日付や勤務札、注文札が暮らしへ入り始めると、記録を読める者と読めない者の差が生まれる。


 記録は、人を守る。


 同時に、読めない者を置き去りにもする。


「町に、読み書きを教えられる人は?」


 ノアが尋ねると、ミラは粉を量りながら答えた。


「何人かいるわ。私と、町長と、ダリオ爺。セラも薬の名前なら読める」


「町長に頼んでは?」


「起きてたらね」


「まだ寝ているんですか」


「一度、食事に起きたらしいわ」


「いつ?」


「さあ」


 日付が戻っても、町長の生活は戻っていないらしい。


「昔は学校があったのでは?」


「礼拝所で教えていたみたい。閉まってからは、家ごとに仕事を覚えさせるだけ」


 子どもたちを見る。


 年齢は、誰も正確には分からない。


 リノは迎えられた日を誕生日と定めたが、生年月日は不明だ。


 カイも、一年ほど工房で働いていることが分かっただけで、何歳から働き始めたのか記録がない。


 学校を再開するにしても、入学年齢を基準にはできない。


「年が分からなくても、字は習えるよ」


 リノが言った。


「その通りです」


「じゃあ、今日から学校?」


「学校を始めるには、場所、教える人、教材、時間が必要です」


「パン屋の裏。ノア。板。今」


「すべて決められている……」


 レグナートが客席で報告書を読んでいた。


「見事な行政計画だな」


「監察官も教えて」


 リノに言われ、レグナートは紙から顔を上げた。


「私は中央暦院の監察官だ」


「字、読める?」


「読める」


「なら教えられるね」


「そういう問題ではない」


「何が違うの?」


 レグナートは口を閉じた。


 この町へ来てから、彼はリノの問いに何度も負けている。


 ノアは子どもたちへ尋ねた。


「毎日、ここへ来られますか」


 双子の姉が首を横に振った。


「羊の番がある」


 妹が続ける。


「二人で交代なら来られる」


 宿屋の少年は夕方が忙しい。


 小さな男の子は、粉屋の母親について畑へ行く日がある。


 カイは工房の仕事がある。


 皆で同じ時間に集まれる日は、ほとんどない。


「学校って、毎日行くもの?」


 リノが尋ねる。


「王都では、決められた学期に通います」


「学期って?」


「学ぶ期間のまとまりです。始まる日と終わる日が決まっています」


「終わったら、字を忘れる?」


「普通は休みになります」


「休み、増えたね」


 ミラが小さく笑った。


 だが、中央から暦停止命令が出ている今、新たな入学日や学期を公的に定めることはできない。


 レグナートも同じ点へ気づいたらしい。


「学校制度を設置すれば、停止命令に触れる」


「町立学校と呼ばなければ?」


 ノアが言う。


「言葉遊びだ」


「読み書きのできる住民が、手の空いた子どもへ教えるだけです」


「定期的に行えば、実質的な教育制度になる」


「学ぶことを禁止する命令ではありません」


「お前は規則の隙間を見つけるたび、うれしそうな顔をするな」


「そのような顔はしていません」


「してるわよ」


 ミラと書記官が同時に言った。


 ノアは眼鏡の位置を直した。


「いずれにせよ、毎日同じ子が来られないなら、王都式の学期は使えません」


「来られる日に来ればいいよ」


 カイが言う。


「それでは、教える内容がばらばらになります」


「前に来た子が、次の子に教えるのは?」


 双子の妹が姉を指した。


「私が習ったら、この子に教える」


「私が姉よ」


「背は私の方が高い」


「一緒に生まれたんだから同じでしょ」


 二人は言い争いを始めた。


 ノアは止めながら、妹の言葉を考えた。


 全員が同じ日に始めなくてもよい。


 一つ覚えた者が、次の者へ渡す。


 授業の時間ではなく、学んだ内容を記録すれば、来られる日が違っても続けられる。


「学び札を作りましょう」


「また札?」


 カイはそう言いながら、少しうれしそうだった。


「名前の読み書きができたら一つ。数字を十まで読めたら一つ。注文札、勤務札、薬札など、生活に必要なものから覚えます」


「全部できたら?」


 リノが尋ねる。


「最初の札を終えたことになります」


「卒業?」


「まだ早いです」


「じゃあ入学?」


 ノアは答えに迷った。


 入学とは、学校へ入る日だ。


 この町には学校がなく、正確な年齢も、学年もない。


 それでも子どもたちは、今ここへ学びに来た。


「今日を、学び始めた日にはできます」


「暦印を使うの?」


 レグナートの声が飛ぶ。


「使いません。個人の記録として残すだけです」


「公的効力はないぞ」


「字を覚えた事実は、公的効力がなくても消えません」


 レグナートは反論せず、報告書へ視線を戻した。


 パン屋の裏へ、古い木箱を並べた。


 机は大きな粉板。


 筆は人数分ないため、最初は炭の欠片を使う。


 ノアが板へ自分の名を書く。


「文字は、音と意味を残すための印です」


「もっと簡単に」


 ミラが厨房の窓から言った。


「これは、私の名前です」


「最初からそう言えばいいのよ」


 子どもたちは自分の木札を見ながら、板へ文字を写し始めた。


 カイは力を入れすぎ、炭を二度折った。


 双子は互いの文字を勝手に直す。


 宿屋の少年は、客が宿帳へ書いていた字を思い出し、形だけは上手だった。


 小さな男の子は、文字ではなく馬を描いた。


「これは名前ではありません」


「馬が好き」


「では、名前を書いたあとに馬を描いてください」


「馬が先」


「名前が先です」


「馬」


「……一頭だけですよ」


 レグナートが紙を持ったまま立ち上がった。


「ノア。お前は教え方が硬い」


「監察官は経験がおありで?」


「暦院の新人研修を担当したことがある」


「なら手伝ってください」


「私は――」


 リノが空いている炭を差し出す。


「字、読めるんでしょう?」


 レグナートはしばらく炭を見つめ、外套を椅子へ掛けた。


「数字だけだ」


 彼は粉板の端へ、硬貨を十枚描いた。


「一は一つ、二は二つだ。形だけで覚えるな。数えて確かめろ」


 カイが勤務札を持って隣へ移る。


 書記官も教室へ加わった。


 ミラは窓から様子を見ながら、焼きたての小さなパンを一つずつ配る。


 午前が終わる頃、リノは自分の名前を書けるようになった。


 少し傾いている。


 最初の文字は大きすぎ、最後の文字は粉板の端へ追いやられていた。


 それでも、誰かが代わりに書いた名ではない。


 リノ自身が書いた、リノという名前だった。


「見て」


 ミラへ見せ、カイへ見せ、最後にノアへ板を差し出す。


「読めますか」


「リノ」


「合ってる?」


「はい」


「私が書いたのに、消えない?」


「炭なので、こすれば消えます」


 リノの顔が曇る。


「ですが、もう一度書けます」


「何回でも?」


「覚えている限り」


 リノは指で自分の文字をなぞった。


「じゃあ、札がなくなっても、私の名前は書けるね」


 ノアは頷いた。


 中央が記録を接収しても。


 紙を燃やしても。


 住民自身が読み、書き、誰かへ伝えられるなら、出来事を完全に奪うことは難しくなる。


 小さな教室は、暦を守るための場所にもなり得る。


 午後には、仕事を終えた大人が二人やってきた。


「子どもだけか?」


 荷車を貸していた商人が、入口から中をのぞく。


「注文札を自分で読みたい」


 野菜売りの老女も、恥ずかしそうに木箱へ座った。


「孫に聞くと笑うんだよ」


「笑わないよ」


 リノが炭を渡す。


「私が教える」


「今日始めたばかりでしょう」


「名前は書けるもん」


 学んだ者が、次の者へ教える。


 最初に考えた通りの姿が、もう始まっていた。


 ノアは人数分の学び札を作り、それぞれが最初に参加した日の印を刻んだ。


 暦印はない。


 中央の認定もない。


 けれど皆が、自分で名前を書いた横へ指を置き、その日を覚えると決めた。


 夕方、レグナートの書記官が中央へ送る報告書をまとめていた。


「読み書きの私的講習。暦制度への該当なし、と」


 レグナートが確認する。


「その書き方で本当にいいのですか」


 ノアが尋ねた。


「規則に反していないものを、違反とは書けない」


「中央に疑われますよ」


「事実を曲げるよりはいい」


 レグナートは淡々と答えた。


 その机の下で、チクタが一枚の学び札を抱えていた。


 誰の名も書かれていない古い札だ。


 パン屋の物置から見つけたらしく、表面には子どもの手で練習した文字がいくつも残っている。


 ミラが受け取り、埃を払った。


「これ、母の字」


 札の中央には、幼いミラの名前が書かれていた。


 その横に、母エレナが添えたらしい短い文章がある。


 ――学び期、第一組。十三人。


「学び期……」


 ノアは札を裏返した。


 裏面には、十三人の子どもの名と、始まりの日が刻まれている。


 十二人の名は、今も町に暮らす者たちの幼名だった。


 最後の一人だけ、誰も知らない。


 ノア・アルデン。


 それは、王都で生まれ育ったはずのノア自身の名前だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。