第七話 酸っぱいシャンパーニュと、公開処刑
「まあ、どうしましょう」
レオンハルトの腕にそっと身を寄せながら、マリアンが困ったように微笑んだ。
「私のドレスの色が陛下のお衣装とこんなに似てしまうなんて」
周囲の令嬢たちがわけ知り顔でクスクスと笑う。
マリアンの取り巻きだろう。
「ごめんなさいね、アメリア。もちろんただの偶然なのよ?」
ーー白々しい。
ピンクは、甘い雰囲気が魅力のマリアンにもっとも似合う色。
おしゃれを自負するレオンハルトにはどうせ「殿方でピンクをここまで着こなせるのは殿下くらいですわ」くらいのことを言って、まんまとその気にさせたに違いない。
まあ、確かになかなかにサマになってはいるけれど。男にしては。
「別に気にしてないわ」
アメリアは乾杯のグラスをボーイから受け取りながら言った。
「だってこのドレス、ピンクなんてあり得ないデザインだし」
「え……?」
「そういう色だと淡すぎるの。せっかくのスレンダーなラインがぼやけて、ちっとも印象に残らないでしょ。あのね、マリアン、そういうちぐはぐな組み合わせってね、」
扇で口元を覆いながら、アメリアはにっこりと微笑んだ。
「頭悪そうに見えるのよ?」
しん、と空気が止まった。
マリアンの笑顔が固まる。
けれど次の瞬間、長い睫毛がふるりと震えた。
「っ……ご、ごめんなさい……」
ーーふーん、今日は、そう来たか。
「私……少しでもアメリアのデザインしたドレスがみなさまに広まるようにって、今日はこれを選んだのに……たまたまデザインがかぶったからって、そんなに怒らなくても」
「はあ……気にしてないって、言ってるじゃない」
「いいえ! 殿下と色が似てしまったことも本当はすごくいやなんでしょう?」
「いや、ちっとも」
「アメリアったら、隠さなくてもいいのよ。あなたはいつもそうやって、自分の醜い感情を隠そうとするけど、私、知ってるのよ、あなたがいつも陰で……はっ」
言ってはいけないことを、つい口をすべらせてしまったかのように、マリアンは手で口元を覆う。
「なに?」
「いいえ、こんなこと言うつもりじゃ……」
「マリアン」
「で、殿下……」
「もうよい」
ふたりの会話に割って入ったレオンハルトは冷え冷えとした眼差しを、アメリアに向けた。
「アメリア。マリアンのドレスの色あいのどこが悪い? そなたがいつもブルーやシルバーばかり着ているから、公式の場でのペアリングがいつも地味になって、俺もうんざりしていたんだ」
ーーほら、やっぱりしめし合わせてたんじゃない。
「そんな、殿下……」
マリアンが頰に手を当て、恥ずかしそうに微笑む。
「しかたがないですわ。アメリアはこういった女らしいものは好きじゃないんですもの。可愛らしく装うより、大人っぽい落ち着いや感じが好みなのよね。だから、一緒にいるといつも私が年下にみられちゃうし」
ーー私が老けて見えるって言いたいのかしら。
これまでのアメリアはこうしたマリアンの小さな棘を見過ごしてきた。
いや、本来のアメリアは気付いてすらいなかったのかもしれない。
育ちのよさ、鷹揚さ、おっとり……純粋培養の公爵令嬢アメリア・ブライトナーは。
それがまたマリアンを苛立たせていたのかもしれないけれど。
ーー女同士って……いろいろある。
女の巣窟とでもいえる秘書室では、それはそれはいろいろな人間関係があった。
妬み、嫌味、バトル、おべっか……数々の修羅場を見てきた前世のことを思えば、このマリアンという子は、典型的な上昇志向タイプだ。
それでも秘書室のお局連中と比べれば、この程度かわいいものだ。
泣く。媚びる。男を味方につける。
前世で何百回も見てきた手口。
「アメリア!」
レオンハルトが険しい顔でこちらへ歩み寄ってきた。
「おまえはなぜいつもマリアンと張り合う」
「張り合う?」
アメリアは首をかしげる。
「それで、先ほど何を言いかけたんだ、マリアン」
「いいえ、いいえ! なんでもないんです! アメリアがちょっとだけ……あっ」
「これ以上揉め事を起こすな、アメリア」
レオンハルトが苛立たしげに言う。
ーー婚約者の親友と浮気してるアンタが言う?
さすがに口には出さなかった。
「はあ……あちこちからおまえの噂は聞いている」
レオンハルトがため息をついた。
「先月の茶会では、マリアンにだけドレスコードを伝えなかったそうだな」
ーー違うわよ。
“派手色禁止”だったのに、この女がひとりだけ真っ赤なドレスで来たのよ。
「それに腹を立てて、お茶をかけたそうだな」
ーーそれも自分で転んだだけでしょうが。
アメリアは頭痛を覚えた。
「殿下……もう、そのへんで……」
マリアンが潤んだ瞳でレオンハルトを見上げる。
「私、平気ですから……」
可哀想なマリアン。
意地悪なアメリア。
マリアンの思い通りの絵が描かれていく。
ーーうーん、ごめん、ホントのアメリア。こんなヤツでもあなたにとっては愛する婚約者で、大好きな親友だったのよね。でも私、もう無理かも。
そんな空気のなか、
「さあ! なんだかおかしな雰囲気になってきましたわ。みなさま、早く乾杯いたしましょう!」
不自然なくらいに明るい声とともにマリアンが傍らのシャンパーニュのグラスを手にとる。
さすがにレオンハルトもこれ以上険悪なムードを長引かせるのはよくないと判断し、むすっとした手つきで同じボーイからグラスをとった。
「今宵は余の誕生日のためにご参集くださり、礼を申し上げる。この国と民の未来のために!」
「「「「「乾杯!!!!」」」」
「きゃあっ、なにこれっ!」
「ぐほっ」
乾杯とともにシャンパーニュに口をつけたレオンハルトとマリアンが思い切りむせて、顔をしかめた。
「殿下! どうなさいましたか! まさか……」
「ぐっ、げほっ、げほ……」
「ごほっ……こ、このシャンパーニュ、腐ってるわ!」
ホールが一気にどよめく。
「え、どうしたのかしら。このシャンパーニュになにか……」
「私のはなんともないが……」
「こちら、アメリアさまが王家のために作られた銘柄ですよね」
そんな声があがる一方で、
「うわっ、なんだこれ、飲めたものじゃないぜ!」
「げほ、げほ……ちょっと……」
「わたくし、気分が……」
と咳き込む者、中には吐き出す者までちらほらいる。
「ちょっと失礼」
アメリアはさきほどレオンハルトとマリアンがグラスをとったお盆から、別のシャンパーニュをとり、まずは香りをかいでみる。
ーーなにこれ、すっかり酸化してるじゃない。これじゃお酢だわ。いったいどんな保存にしてたのかしら。
もしかして毒、と心配したアメリアはむしろ安堵のため息をもらした。
「げほっ、げほ……どういうことだ、アメリア! これはおまえのところの」
「保存が悪かったのでしょう。とはいえ、栓を抜いて暖かい部屋に何日も置いとくのでもないかぎり、ここまでの酸化状態にはならないけど」
「ぐすっ……殿下、アメリアがシャンパーニュをおいしくいただくためには早くから栓を抜いておくべき、と言ったから……」
「なにっ」
「お言葉ですが、私もアメリアさまがそのようにウンチクを言われるのを聞きました!」
「私も!」
マリアンの友人らしき令嬢たちも口をそろえる。
ーーいやいや、それは年代物の赤ワインの話で……それにしたって……
「きゃあっ! なんなの、これ!」
突拍子もない声のしたほうを見やれば、また別の令嬢がバラバラにちぎれて飛び散ってしまったネックレスの石を見て呆然としている。
「何もしていませんのに、突然ネックレスがバラバラに……」
アメリアがプロデュースするジャンクジュエリーだった。
イミテーションの楽しさを満喫するために、石はあえて大ぶりでカラフルなものを多用している。
その分、接着や糸には十分な配慮をほどこしたはずだ。
「まあ……それ、アメリアのところのネックレスよね。実は私のブローチもこのないだ、いきなり石が外れて危うくピンでケガをするところでしたの……」
マリアンも眉をひそめながらささやく。
「あの……よろしいでしょうか」
また別の令嬢があらわれる。
「あの……マリアンさまに内緒にするよう、言われていたのですが、アメリアさまのブランドの香水をつけたところが……」
レースの袖をめくった手首の裏側が真っ赤に腫れていた。
「あの、私も……」
「じつは僕の婚約者にプレゼントした……」
「ああ、もういい!」
「アメリア」
レオンハルトの声が低くなる。
「おまえは最近、少し思い上がりすぎだ」
広間が静まり返る。
「流行だの事業だの、好き勝手しているようだが……こんなことになって婚約者である俺の顔に泥を塗っている自覚はあるのか?」
ーーは?
アメリアの眉がぴくりと動いた。
「王家の名前もずいぶん利用して、好き勝手やっているようじゃないか」
「まあ、殿下」
アメリアは目を見開く。
「まるで、私が努力もせず成功したみたいな言い方ですわね」
その瞬間。
レオンハルトの表情が歪んだ。
「そういうところだ!」
怒声が響く。
「最近のおまえはとみに生意気だ! 人を見下し、自分だけが正しいと思っている!」
マリアンが怯えたように肩を震わせている。
ーーはあ……やられたわ。
アメリアは妙に冷静だった。
ーーこれじゃ、完全に“公開処刑”。
「アメリア・ブライトナー!」
広間中の視線が集まった。
「おまえとの婚約を破棄する!」
ざわり、と空気が揺れる。
ブライトナー公爵が息を呑んだ。
「殿下、それは――」
「黙れ!」
レオンハルトは苛立たしげに父親を遮った。
そして宣言した。
「北方辺境伯クラース・ヴァルグレイのもとへ行け」
会場がどよめく。
(あの北の果てのなにもない……)
(戦しか脳のないという北の黒豹と結婚せよと……)
(これではていのいい追放ではないか……)
「二度と、おまえの顔など見たくない」
唇を歪める元婚約者の陰で、ピンクのドレスの親友はこれまで見た中でいちばん晴れやかな笑みを浮かべていた。




