第五話 執務室での却下と、白い結婚宣言
「辺境伯さまがお呼びです」
夕刻になってようやく、執事のアルフレッドにそう告げられ、アメリアは案内のまま、城の西棟へ向かっていた。
朝の訓練場でのやり取りのあと、クラースは何も言わず食事をすませ、執務へ戻っていったが、あの鋭い金の瞳から推し量るに、明らかに機嫌はよくなかった。
ーーまあ、そうでしょうね。
まだ来て2日目。そもそも歓迎もされていない婚約者。
そんな女が、騎士団の食事に口を出したのだ。
ーーでも。
アメリアは長い廊下を歩きながら、小さく息を吐く。
ーーあれは、あまりにもひどかったもの。
案内された執務室の前で、アルフレッドが扉をノックした。
「アメリアお嬢様をお連れいたしました」
「入れ」
執務室は寒々しく広かった。そこに華美さはいっさいない。
壁一面に並ぶ書籍。
執務机のうえに積み上げられた書類。
簡素な応接セット。
暖炉は赤々と燃えているのに、室内は冷気を溜め込んでいる。
城内のほかの空間すべてと同じように。
クラースは机に向かったまま、顔も上げずに言った。
「座れ」
アメリアは静かに応接セットの椅子へ腰を下ろした。
ペンを走らせる音だけが響く。
「手短に済ませろ。暇ではない」
ーー感じ悪っ。
アメリアは内心だけで呟いた。
だが、笑みは崩さない。
「本日、騎士団の訓練場を見学させていただきました」
「そうだったな」
「さすがヴァルグレイ騎士団、みなさま、すごくお強いのですね」
「俺は暇ではないといったはずだ」
クラースがようやく顔を上げた。
金色の瞳が真っ直ぐこちらを射抜く。
「騎士団の食事を改善したいのです」
「……却下だ」
「即答ですか」
「食事は足りている」
「確かに量は」
「何?」
「足りているのは量だけです」
「他になにがいる」
「栄養が足りておりません。みなさま、体格も、筋肉量も、もっと伸びるはずです」
「それは王都基準の話だ」
「いいえ、人間基準の話です」
クラースの片方の眉がピリリと持ち上がる。
「温かく滋養に満ちた食事は身体だけでなく心も支えます。寒冷地ではなおさらです」
「理想論だ」
「現実論です」
「燃料は?」
「え?」
「ここで使う薪を増やせば、その分、領民が凍える」
「それは……」
「食材は?」
クラースの声は淡々としていた。
「冬の輸送は限られる。保存を優先しなければ飢える」
「でも工夫しだいで――」
「工夫で腹は膨れん」
ばっさりと言い切られた。
アメリアはぐっと唇を噛む。
クラースは椅子にもたれ、冷えた眼差しで続けた。
「王都の貴族遊びとは違うんだ」
「私は遊びで言っているのではありません」
「では何だ」
「もっと、みんなが人間らしく暮らせるようにしたいだけです」
その瞬間。
クラースの眼差しが鋭くなった。
「ここは人間の住む場所ではないと言いたいのか!」
「少なくとも、もっと素敵に快適に暮らせます」
アメリアは視線をそらすことなく言い返した。
「食事も、寝具も、暖房も。
衣食住が整ってこそ人は幸福に生きられるのです」
「贅沢だ」
「快適さは贅沢ではありません」
「この北の地では贅沢だ」
静かな声だった。
「君はまだ、この土地を知らん」
「ええ、知りません。だから知ろうとしているんです」
「余計なことはするな」
クラースは机に肘をつき、ため息を吐きながら言った。
「この結婚は王命だ」
「はい」
「俺は妻を欲していたわけではない」
「存じております」
「君を歓迎も期待もしていない」
「それも、まあ、なんとなく」
「なら話は早い」
クラースは淡々と告げた。
「結婚後も好きに暮らせ。だが領地運営には口を出すな」
「……」
「白い結婚で十分だ」
アメリアは一瞬だけ目を瞬いたが、すぐにふっと笑った。
その反応が意外だったのか、クラースがわずかに眉を上げる。
感情が動かされると、片方の眉を動かすのはこの男のクセなんだなとアメリアは思う。
「なぜ、笑う」
「歓迎されていないのは百も承知ですもの」
「……」
「どうせ私は追放令嬢ですし」
笑顔で発せられたその言葉に、クラースの動きが止まった。
アメリアはゆっくりと椅子から立ち上がる。
「ですが」
ドレスの裾を軽く整え、微笑む。
「せっかくこの地にいるからには、快適に暮らさねば」
アイスブルーの瞳が、いたずらっぽく弧を描く。
「あなたも」
「……何?」
「騎士のみなさまも」
「……」
「もちろん、領民の方々も」
クラースはしばらく無言だった。
「話は終わりだ」
それだけ言うと、再び書類へ視線を戻した。
完全な拒絶だった。
*
「……まあ、最初から何もかもうまくいくわけないわよね」
執務室を出たアメリアは、ひとり廊下を歩きながら小さく呟いた。
窓の外では雪が降り始めている。
室内だというのに白い息を吐きながら、アメリアはぼんやり外を眺めた。
ーーなにしろ、あんな目にあって、ここへ来たのだし。
ふと脳裏によみがえる。
眩いシャンデリア。ざわめく貴族たち。婚約者の冷たい瞳。
「二度とおまえの顔は見たくない」
そして。
勝ち誇ったように微笑んでいた、親友だった“彼女”。




