06話 まだ見ぬ速さ
風環総合アカデミーのコーチ室ではテレビからレース中継の録画が流れていた。
走者族の公式レースの主催は日本走者族協会(Japan Runari Association、通称:JRA)が担っており、全てのレースは全国へテレビ中継される。
スタートからゴールまでの映像。
各選手のラップ。
位置取り。
加速した地点。
速度の推移。
アキは一人で何度も同じ場面を再生していた。
画面の中ではサヤカが三番手から前へ出ている。
三コーナー。
サヤカが加速する。
そのまま最後まで伸びて、2着。
記録だけを見れば素晴らしいデビュー戦だった。
実際周囲の評価も高い。
「新人としては十分すぎる」
「次は勝てる」
「模擬レースの結果が偶然ではなかった」
そんな声が校内でも聞こえていた。
けれど。
アキは映像を止めた。
「……なんだ?」
もう一度再生する。
サヤカが加速する直前。
ほんの一瞬。
サヤカの身体が前へ出ようとしている。
しかしその直後に周囲の選手との位置関係を確認し、ほんのわずかに動きを抑えている。
アキは画面を止めたまま考えた。
「……今のは?」
デビュー戦だから慎重になっただけかもしれない。
相手との距離を測ったのかもしれない。
コーチの指示を守ろうとした可能性もある。
どれも十分に考えられる。
だからまだ何も言えない。
アキは記録端末を開いた。
これまでの模擬レース。
練習走。
タイムトライアル。
コーナーでの速度変化。
疲労が出たときのフォーム。
そしてサヤカ自身が自由に走ったときの映像。
一つずつ並べていく。
「……やっぱり」
アキの視線が止まった。
模擬レースでのサヤカにはデビュー戦とは少し違うところがあった。
もっと自然だった。
もっと力が抜けていた。
そして――
もっと速かった。
もちろん単純なタイム比較ではない。
条件も違う。
相手も違う。
レース展開も違う。
だからこれだけで「本来の走りはこれだ」と判断することはできない。
それでも。
アキの中に小さな疑問が生まれていた。
サヤカは終盤に強い選手なのだろうか。
それとも。
終盤まで力を残す必要がない走り方を本当は持っているのではないか。
アキはそこで考えるのを止めた。
「……いや。まだ分からない」
経験を積んできたからこそ簡単に結論を出さなくなっていた。
一つのレースだけで選手の才能を決めつける。
それはコーチとして一番やってはいけないことだ。
ましてサヤカはまだデビューしたばかり。
これからいくらでも変わる。
アキは再び映像を再生した。
ゴール直前。
苦しそうに顔を歪めながら、それでも前へ進もうとするサヤカ。
2着。
誰が見ても立派な結果だった。
けれどアキには別のものが見え始めていた。
ほんの一瞬だけ。
サヤカが周囲の選手を意識せず、自分の感覚だけで身体を動かした瞬間。
そのときだけ――
速度の伸び方が違った。
「……もし」
アキは小さく呟いた。
「もし、あの走り方をもっと引き出せたら……」
そこで言葉を止める。
まだ仮定だ。
根拠も足りない。
実際に試したわけでもない。
それでも。
アキのコーチとしての経験が、以前とは違う角度からサヤカを見始めていた。
「……もう少し見てみるか」
画面の中でサヤカが走っている。
彼女自身もまだ知らない。
自分の中にどれほどの速さが眠っているのか。
アキにもまだ分からない。
ただ一つ。
デビュー戦で見せた2着という結果の奥に――
まだ使われていない何かがある。
そんな気がしてならなかった。




