幕間1 走る理由
私たちは日本では正式に「走者族」と呼ばれている。
けれど私たちの間ではルナリィの方が普通だ(Runari=走る人の意)。
「走者族という呼び名には古来の伝統と格式がある」
年配の人からそんな話を聞くこともある。
そう言われても友達と話すときには少し堅い。
正直古臭い気もする。
ルナリィのほうが語呂がいいし可愛い。
ちょっとおしゃれでもある。
呼び方が違うだけで同じ私たちのことだ。
長い耳があって人よりずっと速く走れる。
それが私たちの一番分かりやすい特徴だと思う。
でも速く走れることと、走りたくなることは同じじゃない。
行きたい場所があるわけでも、誰かと競っているわけでもないのに、私たちは走りたくなる。
だから人間には不思議に思えるらしい。
「どうしてそんなに走るの?」
答えるのは意外と難しい。
勝ちたいから。
速くなりたいから。
もちろんそれもある。
でもそれだけじゃない。
私たちは走ることが好きなのだ。
朝、まだ街が静かな時間に走る。
冷たい空気を吸う。
足が地面を蹴る。
風が耳の横を通り過ぎる。
一歩。
また一歩。
少しずつ速度が上がっていく。
そのうち周りの音が遠くなる。
聞こえるのは自分の呼吸と足音。
風の音。
地面から返ってくる感覚。
身体と風と地面がひとつになったように感じる。
私たちはこの感覚を「走感」と呼んでいる。
この瞬間が好きだから走る。
速くなるほど世界が近くなるような気がする。
もちろん楽なことばかりじゃない。
脚は疲れる。
息も苦しくなる。
思ったように走れなくて悔しくなる日もある。
それでも次の日になるとまた走りたくなる。
不思議だと思う。
私たちは走ることで自分自身を知る。
同じ距離を走ってもみんな走り方が違う。
最初から飛び出す人。
後ろでじっと力を蓄える人。
コーナーが得意な人。
最後の直線で一気に伸びる人。
速さだけじゃない。
その人がどう走るのか。
そこにはその人自身が表れる。
だから私たちは競争する。
誰かを負かすためだけじゃない。
隣を走る誰かがいると自分一人では出せなかった速度が出ることがある。
「まだ行ける」
そう思ってもう一歩踏み込む。
すると昨日までの自分を少しだけ追い越せる。
レースが終わったあと勝った人も、負けた人もいる。
でも全員が何かを持って帰る。
自己ベストだった。
最後まで諦めなかった。
苦手だったコーナーをうまく走れた。
今までより速く走れた。
それだけでも十分嬉しい。
だから私たちにとってレースは勝ち負けだけではない。
自分がどこまで行けるのか。
それを確かめる場所なのだ。
私たちは特別な存在になりたいから走るわけじゃない。
お金のためでもない。
誰かに命令されたからでもない。
ただ――
走りたい。
もっと速くなりたい。
昨日の自分を今日の自分が追い越したい。
そしていつか、
「ここまで走れるようになったんだ」
そう思える自分に会いたい。
だから今日もスタートラインに立つ。
隣には誰かがいる。
前にも、後ろにも、誰かがいる。
合図を待つ。
耳を澄ます。
一瞬、静かになる。
そして――
走る。
風の中へ。
自分自身の限界の、その先へ。




