↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の隣人  作者: 馬込冷静
13/20

10話 反省会

翌日の夕方。


風環総合アカデミー、コーチルーム。


壁際のホワイトボードにはアマネが出走した1400mのコース図が描かれていた。


ただし――


「……これ、何ですか?」


アマネがホワイトボードを指差す。


「コース」


「……コース?」


「そう」


「丸じゃないですよね」


「俺の中では丸」


「……」


「……絵が下手なのは認める」


アマネの隣に座っていたナツメが吹き出した。


「アキコーチ、これ競技場じゃなくて目玉焼きに見えます」


「うるさい」


「でもスタート地点は分かりますよ」


ミサキがフォローする。


「ありがとう、ミサキ」


「ゴールがどこなのかは分かりませんけど」


「……」


アキは黙ってホワイトボードの一部を消した。


「まあいい。今日は絵の授業じゃないから」


アキは担当する5人とレースの反省会を開いている。

そして部屋の奥にはもう一人。


40代の男性コーチが椅子に座っていた。


アキの先輩にあたる鈴木マサトコーチだ。


新人コーチの指導も担当しており、今日は基本的に聞き役として参加している。


「俺は口を挟まないから」


そう言って腕を組んでいる。


「好きなようにやってみな」


アキは頷いた。


そしてアマネを見る。


「じゃあ始めよう」


アマネの表情が少し固くなる。


「今回のレース、4着だった」


「はい」


「まず最初に言っておく」


アキはホワイトボードに書いた。


4着=失敗ではない。


アマネが少し驚いた顔をする。


「俺は今回のレースをかなり評価してる」


「……本当ですか?」


「本当」


アキは映像を再生する。


スタート直後。


アマネは後方につけている。


「まずここ」


映像を止めた。


「スタート直後、無理に前へ行かなかった」


「はい」


「これは良かった」


アマネが少し意外そうにする。


「デビュー戦だと、周りにつられて前へ出たくなる。実際、今回のレースでも前半に飛ばした選手が何人かいる」


画面を進める。


「でもアマネは自分のペースを守った」


「……」


「これは今後も大事にしたい」


アマネの表情が少し柔らかくなる。


アキは次の場面へ進めた。


残り500m。


アマネが動き始める。


「ここも良かった」


「ここですか?」


「うん」


「ちょっと遅かったかなって……」


「そこが今日一番考えたいところ」


アキはホワイトボードに線を引いた。


今度は――


さっきよりさらに酷い。


「……コーチ」


「何?」


「この線、何ですか?」


「アマネの進路」


「蛇みたいです」


「……」


鈴木コーチが小さく笑った。


アキは気にせず説明を続ける。


「残り500mでアマネは外へ出た」


「はい」


「その判断自体は悪くない。ただ、ここで一度だけ少し減速している」


「……あ」


アマネが画面を見る。


「前の選手を避けるため?」


「そう」


「自分では気づきませんでした」


「レース中は気づきにくい」


アキはホワイトボードに二本の線を描いた。


「こっちなら少し距離は短い。でも前の選手に近づきすぎる」


「はい」


「こっちは安全。でも少し外を回る」


「……」


「今回のアマネは安全な方を選んだ」


「悪かったですか?」


「いや」


アキはすぐに否定した。


「デビュー戦なら、むしろ正しい判断だったと思う」


アマネが顔を上げる。


「ただ、次はもう一歩だけ攻めてもいいかもしれない」


「……分かりました」


「ここは経験で変わってくる」


そして残り200m。


アマネが前へ迫る。


「ここ」


アキが映像を止める。


「今回一番良かったところ」


アマネが画面を見る。


「残り200mからちゃんと速度を上げられている」


「はい」


「しかも最後までフォームが大きく崩れてない」


「……」


「苦しくなったのに、身体が後ろへ逃げてない」


アマネは少し照れたように視線を逸らした。


「これは練習してきた成果が出てる」


「ありがとうございます」


アキはそこで映像を進める。


残り50m。


三番手との差が縮まる。


「そしてここ」


アマネが前へ出ようとする。


しかしわずかに届かない。


ゴール。


4着。


「ここは惜しかった」


「……はい」


「でも、惜しかったからこそ面白い」


「?」


アキは画面を止めた。


「アマネの『最後の一伸び』がちゃんとレースで出ている」


アマネが目を見開く。


「本当に?」


「うん」


「自分では最後はもう限界だったと思ってました」


「限界だったから出たんじゃないかな」


「……?」


「普段の練習で、最後にもう一段階上げる練習をしてきた。それが本番でも出た」


アキは少し笑う。


「これはアマネの武器として大事にしよう」


アマネは黙って画面を見つめている。


「ただし」


アキは続ける。


「武器があるからといって、毎回最後に全部使えばいいわけじゃない」


「……」


「最後の一伸びを使うためには、そこまでの走り方が大事になる」


ホワイトボードに、


スタート → 中盤 → 仕掛け → 最後の一伸び


と書く。


「今回のレースでは最後の部分はかなり良かった」


そして、


「だから次はその前を少し改善する」


アマネが頷く。


「残り500mから200mまでの位置取りですね」


「そう」


「分かりました」


アキはそこで説明を終えた。


「今日はこれで十分」


「え?」


「全部一度に直そうとすると、かえって走りにくくなる」


アマネは少し考えてから、


「……じゃあ、次の練習では?」


「まずコーナーから直す」


「はい」


「それができたら次」


アキはホワイトボードを見る。


「それともう一つ」


「何ですか?」


「今回4着だったけど」


「はい」


「デビュー戦で最後まで勝負できたことはちゃんと自信にしていい」


アマネは少しだけ笑った。


「……はい」


────────

ミーティングが終わる。


アマネたちが部屋を出ていく。


残ったのはアキと鈴木コーチだけだった。


しばらく沈黙が続く。


鈴木コーチがホワイトボードを見る。


「……しかし」


「はい?」


「その絵はひどいな」


「そこですか」


鈴木コーチは笑った。


「でも、ミーティング自体は良かった」


アキが少し驚く。


「本当ですか?」


「ああ」


鈴木コーチはホワイトボードを指す。


「まず、順位から入らなかった」


「……」


「4着だった、だから何が悪かった――じゃない。最初に良かったところを確認した」


「それは……」


「選手が次も走るためには大事なことだ」


鈴木コーチは続ける。


「それから直すところを一つに絞った」


「はい」


「新人はよく全部直そうとする。スタートも、位置取りも、フォームも、ペースも」


「……やりがちです」


「でも選手の頭には入らない」


鈴木コーチはアマネが出ていった扉を見る。


「今日のアマネなら次の練習で何をすればいいか分かっている」


「……」


「それで十分だ」


アキは少しだけ安心したように息を吐いた。


「ただし」


「まだあります?」


「もちろん」


鈴木コーチが笑う。


「お前自身ももっとレースを見ろ」


「はい」


「アマネの良かったところを見つけたのはいい。でも、あの最後の伸びが本当に本人の武器なのか、まだ一戦だけじゃ判断できない」


アキの表情が引き締まる。


「……はい」


「次のレース、その次のレースでも同じ傾向が出るかを見るんだ」


「分かりました」


鈴木コーチは立ち上がった。


「でもまあ――」


ドアへ向かいながら振り返る。


「選手が帰るとき、あの顔だったろ」


「?」


「少し嬉しそうだった」


アキは思い出す。


アマネの最後の表情。


4着という結果を悔しがりながらも、自分の走りに何かを見つけたような顔。


「……はい」


「それなら、今日のミーティングは成功だよ」


鈴木コーチはそう言って部屋を出ていった。


一人になったアキはホワイトボードを見る。


自分の下手なコース図。


その横に書かれた


「最後の一伸び」


という文字。


アキはその文字を見ながら静かに呟いた。


「……次はもう少し上手く使わせてやりたいな」


そしてホワイトボードの前に立ち、次のレースの展開を考え始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。