第3話 慣れない生活
「梨亜、いいかげんにしてちょうだい!」
怒っているのは日本の母だ。でも、なぜ怒られているのかわからない。私の記憶では母に怒られたことなどほとんどなかったはずだ。そもそも弟にばかりかまっていて、私はほったらかされていた印象しかない。
「あの子はどうして変なことばかり言うようになってしまったの……? せっかく生き返ったっていうのに……。あの子は本当に梨亜なの?」
頭を抱えて打ちひしがれている母と、そんな母の肩を抱いて慰めている父。私はこの時、何を思っていたんだっけ? というか、こんな場面、過去にあった?
もんもんと考えていると突然目の前がまぶしく輝いた。
「おはようございます、お嬢様。良い朝ですよ」
その言葉に私はゆっくりと目を開ける。朝のまぶしい光が大きな窓から燦々と降り注いでいた。
ああ、そうだった。私は今、異世界にいるんだった。
一人で眠るには広い天蓋付きのベッドから身を起こす。それから昨日のことを思い出した。
昨日は貴族の学園に初登校したんだよね。リシュアちゃんにとっては2学期だったんだけど。そこで黒髪角イケメンに挨拶を返したら動揺されてしまったんだった。
私はベッドのふちに腰掛け立ち上がる。しかし左ひざに違和感を覚えてふらついてしまう。
「リシュア様!」
先ほど私を起こしてくれたリシュアちゃんの専属侍女のロロナさんが、慌てて駆け寄る。
「立ち上がる際には私に声をかけてくださいと申しましたのに」
「ゴ、ゴメンナサイ」
おっとぉ、またやってしまった。
ロロナさんに支えられた私は、鏡台の脇に置かれた洗面器の前へと移動した。椅子に腰かけ顔を洗う。ロロナさんからタオルをもらい顔を拭きつつ、左足へと視線を落とした。
実はリシュアちゃん、足が悪い。なんでも幼いころに馬車の事故にあったらしく、命は助かったものの左ひざに後遺症が残ってしまったそうだ。歩く分にはさほど支障はないが、激しい運動や貴族令嬢には必須のダンスができない。立ち上がる際にも気を付けていないと先ほどのようにふらつくこともしばしばだった。
私は病気がちだったが身体自体は五体満足だったので、足が不自由なことを忘れてしまう。違和感を覚えることはあっても特に痛くはないからだ。
顔を洗い終えると下級メイドさんが入ってきて、ロロナさんの指示に従いながら私の身支度を整えていく。着替えを済ませ鏡の前に座った私は、鏡の中のリシュアちゃんをまじまじと見つめた。
光の加減によっては金色にも見えるハニーブラウンのサラサラストレートヘアに、色白の肌。金色の瞳は大きくてなんとも愛らしい顔立ちをしている。
かわいいんだよな~、リシュアちゃん。
いやこれ絶対モテるだろ、と思ったものの、昨日のクラスメートたちの反応は微妙だった。たぶん、知ってるリシュアちゃんと違い過ぎたんだろうな。言葉も、片言どころか通じているのかもわからなかったし、二言三言会話した後は遠巻きに見られるばかりだった。
この世界へやってきておよそ3か月が経とうとしているが、未だに不安はぬぐえない。遠い目になっていると、支度が済んでいた。
ロロナさんを伴って部屋を出ると、廊下の壁沿いに二人の兵士さんが待っていた。その兵士さんが何も言わずに私とロロナさんの後に続く。
なんて言うか、物々しい。
リシュアちゃんは貴族令嬢だしこんなものかと思っていたが、昨日の学園で護衛の兵士を連れているのは私だけだった。侍女や侍従を連れている子女も少なかった。
一般人だった私としては、たくさんの人を引き連れてぞろぞろ歩くことには抵抗がある。でもこれが普通なんだと思っていたのに普通じゃなかった。胃がキリキリいっている、気がするようなしないような。
ストレスを発散したいところだが、テレビはもちろんスマホもないこの世界。そもそも娯楽が現代日本に比べて圧倒的に少ない。
そろそろ漫画読みたい。ドラマ見たい。気になってた映画、今頃上映してたはずなのに。スマホゲームのイベントも楽しみにしてたのに!
そもそもなんで、言葉がわからないの?! 私が巻き込まれているこの展開は、ネット小説によくある異世界転生でしょうが! いや、転移か?! どっちだ?!
日本の世界では不遇だったけどこの世界で俺は無双するとか、イケメンたちになぜか愛をささやかれる悪役令嬢とかで「もう困っちゃう、てへぺろ」的な展開なんかひとつもない。いや、あっても対応できないんだけど。
ただただ語学学習する日々に、私はストレスが溜まっているのを感じていた。
そんな愚痴を脳内でこぼしつつ表情だけは平静を装う。
やがて食堂に到着した。他の家族はまだ来ておらず、私は静かに椅子へ座ると、目の前に並べられたカトラリーをじっと見つめた。
まあでも衣食住には困らないし、リシュアちゃんが帰ってくるまで頑張るしかないか。帰ってくるのかわからないし、私も日本に帰れるのか、そもそも生きているのか、何もわからないんだけど。
こうして一日を始めるのが異世界での日課になっていた。




