第2話 失恋と転移?
私が貴族学園の正門前で謎の呪文を唱える事態に陥ったことには理由がある。
それは今から3か月前のことだ。
「時永先輩のことは女性として見ていないよ?」
会社の廊下を歩いていた時に、休憩室から聞きなれた声と自分の名前が聞こえてきて、私は思わず足を止めた。
恐る恐る休憩室の入り口から中をのぞいてみると、数人に囲まれて楽しそうに喋る声の主がそこに居た。私の想い人でもある森川君だ。
「なんだぁ~! 仲がいいからてっきり両思いだと思ってたよ~!」
「両想い? そんなわけないでしょ」
「でも、向こうは蓮真くんに気があると思うな~。先輩わかりやすいから」
バレている。非常に気まずい。目からラブ光線でも放っていたんだろうか。とりあえず休憩室とはいえ、会社でそんな話を大声でするのはやめていただきたい。
夕方になり、すでに帰宅した社員もいるが残業している社員も少なからずいるのだ。自分の話題で盛り上がっている中、割って入るのは勇気がいる。しかし、その話題はもう閉店してほしい。声をかけようか一瞬迷ったが、彼の次の言葉で私の勇気はしぼんでしまった。
「だから、俺は好きじゃないって。少なくとも女としては見てない」
桃ぐらいやわい心臓にナイフを突き立てられた音がした。
それから私はなんとなく森川君を避けるようになってしまった。仕事の話はするものの、彼がプライベートの話に切り替えた時には何かと理由をつけてその場を離れた。
そんなある日、業務を終え帰り支度をしていたときだった。
「時永先輩います?」
隣の部屋から明るい彼の声が響いてきた。私は光の速さで部屋の明かりを消し存在感を極限まで薄める。仕事の話だったら申し訳ないが、もうタイムカードは押したし、ここからは時間外労働です。
「時永さんならまだ隣の部屋に……。あれ? 電気消えてる。もう帰ったみたいですね」
「そう……ですか」
なんだか気落ちしている声音にも聞こえたが気のせいだろう。話し声がしなくなったので、私はこっそりと隣の部屋をのぞいた。彼がいないことを確認して隣の部屋から出てくると、先ほど森川君に対応してくれた同僚が驚きながら声をかけてきた。
「あれ?! 時永さんまだ居たんですか? 先ほど営業部の森川さんが来てましたよ。部屋の明かりが消えてたから私てっきり帰ったんだと思ってしまって」
「あ、ううん。大丈夫ですよ! ちょっと手違いがあって頭突きで電気を消したら軽く失神してただけなので!」
「待ってください。大丈夫なんですか、それ」
「ええ! 意識は鮮明です。帰りますね。お疲れ様でした!」
「はい、あの、お疲れ様でした。気を付けて帰ってくださいね」
真っ暗な部屋の中で何をしていたんだと思われたくなくて、聞かれてもいないのに適当な理由を言ったところ、変な会話が見事に成立した。私はそのまま会社を後にした。
会社から駅までの道をとぼとぼと歩く。
鞄からスマホを取り出しアルバムを開く。そこには数か月前に森川君と撮ったツーショット写真が残っていた。
私は森川君とは仲がいい方だと思っていた。話は合うし、さっきのように何かにつけて彼から声をかけてくれることも多かった。彼は元々誰に対しても人当たりが良くて、私も彼の傍は居心地が良かった。彼に対して恋心を抱くのに時間はかからなかった。
『女性として見ていないよ』
『両想い? そんなわけないでしょ』
『俺は好きじゃないって』
数日前の彼の言葉を、私はずっと頭の中で繰り返し続けている。そうして幾度目かわからないため息をつくのだ。
「……はぁ。しんどいな。転職したい」
私が愛されるなんてあるわけないのに。
でも、森川君とならもしかしたら、と幻想を抱いてしまったのだ。告白も考えていただけにショックは大きかった。
いやいや、告白する前で良かったんだよ。告白していたら話のネタにされて笑われていたことだろう。傷は浅くて済んだのだ。
森川君の普通を私が勘違いしてしまっただけなのだ。だが、その「森川君の普通」が、今の私には辛いものだった。彼は今まで通りに接してくるのに、私は今まで通りに返せない。これでは仕事にも支障が出そうだ。そんなことはあってはならない。
「転職……、失恋しただけで転職? それってどうなの……」
転職はすぐにできないし、森川君以外は問題ないのだ。それに有給休暇だって溜まっている。
「旅行でも行こうかな~。非現実を味わって全部忘れるとかいいかもしれない」
そう言いつつも写真は消せず、私はそのままスマホを鞄にしまった。
駅に着き、今後について思案しながらホームへの階段を上り切った時だった。
「時永先輩」
正面から私を呼ぶ声が聞こえたので、足元を見ていた目線を上にあげると、そこに居たのは森川君だった。
「良かった! まだ電車に乗ってなかったんっすね! あ、お疲れ様です!」
「……お疲れ様」
「さっき事務所まで行ったんですけど帰られたって聞いて! 先輩、良かったら今から晩飯食べに行きませんか?」
「え、なんで?」
「なんでって。言い方ひどいな~。最近先輩と話せてないからですよ。おいしい店見つけたんス。先輩絶対気に入ると思いますよ!」
絶対無理である。お腹は確かに減っているし、おいしいお店も気にはなるが、森川君と行っても味がわからないと思う。
「今日はまっすぐ帰りたいんだ~。また今度ね?」
「そっすか……。あ、じゃあ日を決めましょ! 先輩いつなら空いてます?」
しくじった。また今度とか言うんじゃなかった。
困っていると森川君が表情を曇らせた。
「……先輩、その、勘違いだったらすみません。もしかして俺のこと避けてます?」
「え?! いや?! そんなことはないけども?!」
焦りすぎて声が裏返りそうになる。必死になって否定していると、森川君の表情が一気に笑顔になった。
「ですよねぇ~! なんか先輩の態度が今までと違う気がして、俺なんかしちゃったかと思ったんですが、勘違いでした~! すみません! もしかして、他に何か悩み事があるんですか? 俺で良かったら相談のりますよ!」
それこそ絶対無理である。
いつも以上にグイグイ来る森川君。圧倒された私は思わず一歩後ろに下がってしまった。と、同時に肩にかけていた鞄が平行に引っ張られる感覚がした。
「?!」
私は驚いて身を強張らせる。しかし、振り向く余裕まではない。
私の背後には、先ほど上り切った階段があるはずだ。
頭ではわかっているものの、身体が傾き沈んでいく感覚は止められない。目の前に居た森川君の表情が一瞬ぽかんとしたのち、頬が強張り眉間にしわが寄る。そして、私に対して必死に手を伸ばしてきたのがわかった。
「時永先輩!!!」
森川君の悲痛な叫び声が聞こえたが、視界の先にはすでに彼の姿は見えず。
それから後の記憶はなく、私が目を覚ました時には「リシュア・ロンメル伯爵令嬢」という女の子の身体になっていたのだった。




