第1話 前途多難な学園生活
「僕の◎△$♪×はずいぶん尻が軽いんだな?」
目の前のイケメンから不機嫌にそう言われて、私は目をぱちぱちさせた。
貴族学園の正門前。
慣れない言葉と習慣に不安を抱えつつ門をくぐろうとしたところで、ある男子生徒に声をかけられた。
「◎△$♪×、リシュア、◎△$♪×」
うわー、聞き取れない。早口すぎる。
親し気に話しかけてくるので、以前の「リシュアちゃん」の知り合いなんだろうが、私にとっては全く知らない人だ。
いや、家庭教師は教えてくれたと思うのだが、言葉を覚えるのに精いっぱいで残念ながら頭の片隅にも入っていない男子生徒に対して、私はニコニコして挨拶を返すしか術がなかった。
そこへやってきたもう一人の人物。
スラリとした長身に艶やかな黒髪から見える紫の瞳は、心臓を射抜いてきそうなほど鋭い。頭からは鹿のような角が控えめに生えており、頬も魚の鱗のようにひび割れている、いわゆるこれが人外さんかというような風貌をした美丈夫だった。
その黒髪イケメンさんからもらったお言葉は、明らかに侮辱の言葉に聞こえたのだが、すんなり聞き取れたことに私は感動してしまった。
聞き取れた……だと?! お尻が軽いって言われた? 日本ではだいぶ暴言の部類だけど、でもここ異世界だしな。誉め言葉の可能性もなくはないか? いや、でも言い方が嫌味っぽかったからやっぱり違うか? それにしてもいい声だったな。なんという低音色気ボイスなのか。私がM体質だったら危なかったわ。一部わからない言葉があったけど。
そう思いつつ振り返り、護衛の兵士さんと専属の侍女さんを見るが、二人とも顔が引きつっている。あ、やっぱり侮辱されたんだな。思わず遠い目をしてしまう。
「何とか言ったらどうだ? リシュア・ロンメル伯爵令嬢」
その言葉にハッと我に返り、向き直る。
まじまじとイケメンの顔を見つめる。うん、とてもかっこいい。コスプレしたイケメンアイドルと言われても疑わない。もしくは乙女ゲームの男性主人公とか。すごく私の好みの顔だが、イケメンの表情は険しく嫌われているんだとわかる。
「……き、聞いているのか、ロンメル嬢」
あまりのイケメンぶりに長く見つめすぎてしまった。笑顔でごまかして乗り切るつもりだったのに。今、絶対見惚れてたよね。変態とか思われてたらどうしよう。リシュアちゃんに申し訳ないし私も辛い。黒髪イケメンさんは機嫌が悪そうだし早く謝らなければ。……えっと、この国の「ごめんなさい」ってどんな発音だったっけ?
「あーっと、うー、ご、ご……ご」
「……?」
家庭教師から教わった数々の言葉を思い出すが、なぜか謝罪の言葉をド忘れしてしまったらしく、なかなか口から出てこない。眼光の鋭かった黒髪イケメンさんは、私の様子のおかしさに困惑し始めた。ちなみに最初に声をかけてきた男子生徒は、黒髪イケメンさんが声をかけてきたときに脱兎のごとく走り去っており、何事かをうなる女と困惑するイケメンしかいない状態だ。
「ま、まだ本調子じゃないのか? 大丈夫なのか?」
なぜだかよくわからないが、イケメンさんは私を心配してくれるし、私の言葉を根気よく待ち続けている。
もしかしたらリシュアちゃんに連絡事項があったのかもしれないな。ああ、申し訳ない。連絡をくれたところで私には対応できないのよ。なにせ、前任者のリシュアちゃんのことを何も知らないのだから。
そう思いながらも絞り出した言葉がこれだった。
「ゴキゲンシワッシャーメンス」
「……何の呪文だ……?」
私はどうやら何かを間違えたらしい。




