その6 公爵家の嫡男
レイモンドは、一人ソファに腰を下ろし書類に目を通していた。トルネン伯爵が公爵邸に着いたと知らせを受けたが、そのままソファに座ったまま玄関に迎えに出ることはなかった。彼の待つ応接室に伯爵が入って来ても立つこともなく、片手で彼を制し書類を読んでいた。暫くして読み終わったのか漸く顔を上げ、ソファに座るように指示をするという普段見せない尊大な態度でトルネン伯爵を迎えた。
「お初にお目に掛かります。ゼイラル・トルネン……」
「伯爵、挨拶は必要ない。レイモンド・キレルドだ。わざわざ、足を運んでもらってすまない。ああ、茶はいい」
茶を用意し始めた侍従に対してレイモンドが断りを入れた。侍従は、会釈をして下がった。
「僕は忙しい身なのでね。君と茶を飲む時間も惜しいんだ。勘弁してもらえるかな。さて、時間もないので話を進めようか」
「いやあ、レイモンド様は、お若いのにこれだけの事業を任されるとは優秀なんですな」
「伯爵、僕の事は、レイモンド小公爵様と呼んでくれ。君と違い僕は公爵位を継ぐ者だからね。それと僕に媚を売っても君を贔屓しようとは思わないよ。僕は、必要な時に必要な者と取引するだけだからね。能力に応じて公平に判断するだけだ」
「流石ですな、レイモンド様」
「レイモンド小公爵だ」
「失礼いたしました。レイモンド小公爵様」
トルネン伯爵は、にこやかに微笑みながらも、この小生意気な若造を腹の底から憎々しく思った。
――何なんだ。この態度は。人の挨拶まで遮りおって。時間が惜しいだと? 忙しいのはこの私だ。私がどれだけの事業をかかえてると思っているのだ。えっ、このトルネン伯爵様にこのガキは茶の一杯も出さないというのか。別に飲みたくはないが、人を呼びつけておいて、茶を出すのはもてなす側の常識だろう。そんな事も知らんのか。絶対に一泡蒸かせてやる。泣き喚いて跪かせてやるから待っていろよ。
「おい、マルコフこちらに来て事業内容の説明をしてくれ」
――おいおい、何なんだ? 偉そうに御託を並べておいて自分で事業説明も出来んのか。ははあ、公爵家に生まれただけの中身の無いガキか。一泡どころではなかったな。こうなったら、公爵家の金を根刮ぎもらい受けるか。
「カールトン子爵家のマルコフと申します。こちらが先日お渡しした事業計画の改訂版となります。お目を通されて納得頂けましたら契約書にサインをお願いいたします」
「随分急がれているご様子ですな」
「いえ、この後にも他の契約でお越しになる方がいらっしゃるものですから」
「こんな少額の取引などさっさと終わらせたいのだ。次のナッシュ伯爵家との大きな契約があるのでな。ナッシュ伯爵家とは長年の付き合いがあるからな。あちらは大事な客人なのだよ」
レイモンドの言葉は、あからさまに同じ伯爵家であってもナッシュ家は大事でトルネン家は、取るに足らない客だと言っているのだ。トルネン伯爵は頭に地が上ったようで、蟀谷の青筋がぴくぴくと反応している。このままでは、何か暴言を吐いてしまいそうだった。伯爵は、事業計画書に目を通して落ち着こうとした。レイモンドは、足を組み次の書類に目を通し始めた。
「マルコフ、これはなかなかいいな。これだけの儲けが出るならナッシュ殿も首肯してくださるだろう。おい、ナッシュ殿に時間があれば昼飯を共にしたい。直ぐに出せるように用意だけはしておいてくれ」
レイモンドは、その場に控えていた侍従に昼飯の用意を命じているのを我関せずの体で聞きながら、伯爵は契約書に目をやった。契約書の後半部分かやけに小さな字で書かれている。
――小賢しい奴め。こちらに不利益なるような内容を細かな字で書いてあるんだろうが、そんなものに騙されん。それはな、いつも私が取る手なのだよ。
目を細め細かな文字を詳細に読んでみるが、只、細かな文字でだらだらと注意事項のような事が書かれているだけで極々普通の内容であった。怪しい箇所は何処にもない。肩透かしを食らったようだったが、ならば構わないと他に目を通すこともなく署名する事に同意した。
「では、さっさと終わらせましょう」
トルネン伯爵はペンを取り契約書に署名した。
「ご苦労だった。下がっていいぞ。お、そうだ。近くご令嬢の婚姻式があるそうだな。何かの縁だ。私も出席してやろう」
「小公爵様はお忙しいのでは?」
「婿取りと聞いた。たかが伯爵家の式に公爵家の私が出席したなら、式にも箔が付くだろう。今日、足を運んでもらった礼だと思ってくれ」
「ありがとうございます。早速、手配をさせて頂きます」
最後まで偉そうな態度を貫いたレイモンドに怒りが溜まりに溜まった伯爵はそそくさと席を立ち、挨拶もそこそこに公爵邸を辞したのだった。
侍従が、大きく息を付くとソファにドカリと腰を下ろした。
「お疲れ様ー!」
と声を掛け、マルコフも彼の隣にひょいと座った。
「本当に疲れた。高圧的にしゃべるのって結構疲れるな」
「いや、なかなか堂に入っていたぞ」
「ドラルも侍従役、なかなか上手かったじゃないか」
「ねえ、これって詐偽にはならないよね」
「大丈夫さ。内容は至極まともな物だからね」
「そうだな。只、一文『不利益、不名誉な行為が認められた場合、賠償を課す』とあるだけだからな」
「『不利益』はあっても『不名誉』っていうのは珍しいって良く気付かなかったよね」
「相当、頭に来ていたからね」
「頭に来させたが正解だろうが」
これで婚姻式の招待状も手に入る。そう、これからトルネン伯爵は『不名誉』な事態を引き起こす予定だ。そうなれば、この契約書が活きて来ると言うものだと三人は確信していた。
「さあ、ナッシュ伯爵令息を歓迎して、昼食にしようか」
「僕、緊張してお腹ぺこぺこだよ」
「普通は、緊張したら喉を通らないものだろうが」
「言えてるな」
「「「ハハハ……」」」
三人は、一気に緊張が解れたように笑い合った。




