その4 衣装合わせ
ミモザは、心を踊らされていた。
――こんな気持ちになったのって何年ぶりかしら。こんなに胸がどきどきしてる。ふふっ、恋文をもらったらこんな感じなのかしら。あり得ない事を。私ったら、馬鹿みたいね。
ミモザは、家令から一通の手紙を受け取った。『ミモザ・トルネン伯爵令嬢様』と書かれた宛名は美しく整った文字だった。ミモザは、浮かれた様子を見せたら取り上げられるかもしれないと平然を装った。レイから届いた手紙を胸に部屋に戻った。
部屋で一人になると封筒を眺めた。裏に書かれている差出人は『カールトン子爵内レイ』とあった。封蝋には薔薇の印章が押されていた。家門にこのような印章はない。ミモザは、出自を言えない彼女独自の物なのだろうと思った。
ミモザは封を開ける事を一瞬躊躇った。もし、自分を否定する内容だったらどうしようかと。レイは約束通り手紙をくれたのだからそんな事はないと分かっている。でも、怖かった。
期待と不安を胸にそっと封を開けた。優しい香りがした。上質な紙に几帳面そうな美しい文字が並んでいた。『貴女に会いたい』と言う言葉が目に入った。嬉しかった。只、嬉しかった。内容も読んでもいないのにこんな気持ちになる自分に笑えてきた。内容は、レイの周りの人達の失敗談とか街中で流行っているカフェの事など豊富な話題が綴られていた。そして、最後に『貴女に会いたい』と書かれていたのだ。
ミモザは微笑んでいるのにその瞳からは涙がこぽれていた。
「お返事書いてみようかな。何を書けば良いのかしら。あ、便箋もなかったんだった。買いに行ってみようかしら」
結局、ミモザが返事を書くことは出来なかった。フリットとの婚姻が迫っている中で外出が許されなかったからだ。侯爵家から支度金が出ている以上、何も用意をしない訳にはいかず、伯爵家にはウェディングドレスの試着の為に仕立屋が呼ばれた。
「本日、お嬢様のお衣装を担当させて頂くことになりましたランドル衣料店のマリエッタと助手のレスリーでございます。どうぞ宜しくお願いいたします」
「こちらこそ……」
「早速ではございますが、ご婚礼までのお日にちがございませんので、今日はお時間を長めに頂戴したいと存じます」
「か、構いません」
ミモザの目の前にいたのは、マリエッタと名乗った女性とレイだった。レイは、口許に指を添えてにっこりと笑った。周りに気付かれないようにという仕草なのだろう。ミモザも端から誰にも知らせる気はなかったが、何故、彼女がここにいるのか気になって仕方がなかった。
採寸は、ほとんどマリエッタが行い、レイは彼女に言われる道具を運んだり、片付けたりしていて、直接ミモザに触れることはなかった。時間がないということで既製のドレスを仕立て直す事になっていた。シンプルなドレスは、華やかな顔立ちのミモザには、少し寂しいように思われた。
「お時間が掛かっておりますので、お嬢様もお疲れでございましょう。恐れ入りますが何かお飲み物でも差し上げたいのですが、ご用意願えますか」
「え、は、はい」
何をする事もなく突っ立っていた侍女が、レイに美しい微笑みと共に声を掛けられた。侍女は、頬をほんのりと赤くしながら部屋を出ていった。扉がきっちりと閉まるのを確認してから、レイがミモザに振り向いた。
「久しぶり。元気だった?」
「どうして、貴女がいるの?」
「マリエッタとは昔からのお友達なの。だから、我が儘を言ってついてきちゃったのよ」
「そうなの……」
「私に会いたかった?」
「えっ? ……」
ミモザは、どう答えれば良いのか分からず俯いてしまった。
「私は、会いたかったわよ。貴女ったら、お返事もくれないし」
「あ、お手紙ありがとう。便箋が無くて……ごめんなさい。嬉しかったわ」
レイは、思わずミモザを抱き締めてしまった。年頃の令嬢が便箋一枚も持っていないなんて、彼女はこの屋敷でどんな暮らしをしていたのだろう。
「えっ?!」
「いてっ!」
「レイ様、何をなさってらっしゃるのですか! まだ、まち針が付いておりますのよ」
「ごめん。あっ、ごめんなさいませ」
「ふふふ」
ミモザは、レイの慌てる様子を見て笑った。
「笑ったな。まあ、良いけど。侍女が戻るまでに話さなくちゃね」
「……?」
「貴女、身籠ってなんていないでしょ。身籠ったのは妹さん。違う?」
「どうして知ってるの?」
「貴女、ついこの間、話したこともないって言ってたじゃない。それが急に身籠ったって聞いても日にちからしてあり得ないわよ」
「そうね。あり得ないわね」
「このままでいいの?」
「いいのと言われても。どうしようもないわ」
「子供はどうなるの?」
ミモザは一瞬躊躇ったが、レイの顔を真っ直ぐに見つめた。
「……私の子供って事になるの」
「虚偽の申請をするって言うの! あり得ないよ!」
「あり得ないわよね。でも、そうなるみたい」
「あと少し待ってて。式までにはどうにかするから」
「どうにかするって、何をしようと思ってるの? そこまで貴女を巻き込みたくないわ」
「もう、巻き込まれてる。友達でしょ」
「二度会わない、見知らぬ人ではないの」
「また、君に会ったし、もう知り合いだよね。連絡はマリエッタに頼むことになると思うけど、きっと助けるから待ってて」
ミモザは、レイに言われると本当に助けてもらえるのではないかという期待が沸いてきた。しかし、逆に不安な気持ちも持ち上がってきた。
「期待してしまって、叶わなかった時が怖いわ」
「期待外れだったなんて思わせない。そう、ミモザが信じているものって何?」
「えっ? 私の信じているもの?」
「うん。私を信じてと言ってもまだ難しいでしょ。なら、ミモザの信じているものに誓うから」
「……何もない」
「……」
「だから、貴女を信じる。貴女を信じてみる」
レイは、またミモザを抱き締めようとした。
「「まち針!」」
ミモザとマリエッタ二人の声が揃った。レイは、『そうだった』と言って笑った。彼女たちも笑った。
侍女が、人数分の茶を用意して戻ってきた。小さな焼き菓子まで添えてあった。マリエッタがミモザに大きな布を巻き付けて、『休憩にいたしましょ』と言った。侍女は、レイに椅子を勧めた。
「あら、私達まで。宜しいのかしら」
「は、はい。お疲れでしょう。召し上がってください」
とにこやかに言って、レイに紅茶を差し出した。
――自分の仕えている令嬢よりも先に椅子を勧め、茶を出すのか仕立屋の助手のこの俺に。大したものだな。一事が万事こういう事なんだろうな。自分は空気だと言っていた意味がわかったよ。
「あら、助手の癖に先にお茶を頂こうとしている訳ではないわよね。お客様のお宅で何んて事! 帰ってからしっかり躾ますのでお嬢様、どうぞお許しくださいませね」
マリエッタの言葉で侍女も自分が順番を間違えた事に気がついた。
「も、申し訳ございません。私が仮縫いのドレスを汚してはいけないと思って、こちらの方から召し上がって頂こうと思ってしまって。助手の方をお叱りになりませんよう。お嬢様、今、お茶をお持ちしますのでお待ちください」
「大丈夫よ。お二人に先に召し上がって頂いて。私は、このお部屋でお茶を頂いた事もないし、冷めた物の方が飲み慣れているもの」
侍女は、目を見開いて驚いた。普段なら何も言わないミモザがこんなことを言うなんて思ってもみない事だった。仕立屋二人の冷たい視線にも居たたまれないようで顔を伏せている。
ミモザはレイを見て小さく笑った。レイもそれに答えるように口角を上げた。




