その2 正体
キレルド公爵邸の一室に三人の若者が集っている。
「おい、レイ。この間の夜会、途中でいなくなったろ」
「終わりがけだけだろ」
「お前、それにしても凄い美女に化けたよな。ハハハ」
「ああ、確かに。ドラルじゃああはならなかったよ。負けたのがレイで良かったね。ハハハ」
「なんだよ。俺だって……やっぱり無理だな」
ドラル・ナッシュ伯爵令息、マルコフ・カールトン子爵令息、そして、レイモンド・キレルド公爵令息の三人がグラスを片手に語らっている。三人は、自他共に認める親友である。キレルド公爵家とナッシュ伯爵家は、古くから共に事業を展開している間柄であり、また、カールトン子爵家は公爵家の封臣にあたった。したがって、同い年の彼等は子供の頃からの付き合いであった。
さて、先日の夜会での美女レイは、レイモンドが賭けに負けて女装した姿であった。
レイモンドの姉キャスリンは、非常に気が強い。婚約が決まりそうになっても相手が怖じ気づいて断られることが三度も続いた。今度もどうせ断られるだろうとレイモンドは思っていた。四度目の相手キングス辺境伯令息が、以前から姉に想いを寄せていたなどという奇異な事を全く以て想像していなかった。
ドラルとマルコフは、何処からかその情報を入手していて、レイモンドに学園卒業前の遊びだと言って賭けを申し出た。勿論、レイモンドは断られる方に賭けたのだか、意外な事に話はトントン拍子に進んでしまい、あっという間に婚約まで結んでしまったのだ。と言う訳で賭けに負けた代償として夜会に女装をして臨んだのである。
それが想像以上の美女に仕上がった。元が良いといってしまえばそれまでなのだが、背の高さはフラットな靴でも少し無理があったのだが、それは美しい面立ちがカバーしていた。冷たいくらいの青磁の瞳が夜会に来ていた男性陣を虜にした。そういった輩に声を掛けられる事は、レイモンドにとって全くの傍迷惑に他ならなかった。それを影から見ているドラルとマルコフという悪友二人は、お互いを叩きながら、笑い声を抑えるのを涙を流しながら必死に堪えていた。
「なあ、ワグナー侯爵の次男てどんな奴だ?」
「フリット・ワグナーか? うーん、顔はまあ整っている方だな。俺達の足元にも及ばないがな」
「僕、苦手だったな。選択授業が同じでさ。僕みたいな下位貴族には上から目線でさ。『おい、子爵家』って呼ぶんだ。学園での成績ならお前の遥か上だったんだぞって言ってやりたかったよ」
「ふーん。マルコフが言うなら相当なんだな」
「で、どうしたんだ。あんな奴の事なんて聞いて」
「いや、実は……」
レイモンドは、夜会で出会ったミモザの話を彼等に聞かせた。
「ミモザ嬢の朝帰りってそうことだったの?」
「噂を流してたのは、家族とフリットだぞ。妹のアリアなんて泣いて姉の素行を嘆いていて、婚約者のフリットに申し訳ないと言ってたな。フリットはフリットで政略だから仕方がないけど、優しい妹のアリアが居てくれて心が穏やかになるとか何とか言ってたなあ」
「何で姉や婚約者を貶めるような事を言うのかな」
「二人は恋仲らしい。あの晩もミモザを置いて二人で先に帰ったそうだ」
「彼女が嘘を付いてるってことはないのかい」
「靴だ」
「「靴?」」
「身に付けているドレスもアクセサリーも其れなりの物だった。だけど、足元を見たらヒールの低い靴でかなり痛んでたんだ」
「歩いて帰っているからか……」
レイモンドは、突然マルコフに向かって頭を下げた。
「な、なんだよ、レイ」
「お前の家の名を使った。子爵家に間借りしている令嬢のレイだと名乗ったんだ」
「男性だってバラさなかったのかい」
「うん。言い損なった」
「別にいいよ。彼女と僕、接点ないし」
「いや、それが……会えないなら手紙を書いてくれって言ったんだ」
「ええ、どうして。まさか彼女と文通でもする気なのかい」
「なんか放って置けない気がして、手紙を書くって言ったんだ」
マルコフは呆れた顔をしてレイモンドを見た。その横でドラルが腹を抱えて笑い出した。
「レイ、お前、ミモザ嬢に惚れたんじゃないのか。ハハハ」
レイモンドが顔を赤くして、目を逸らした。
「マジか!」
「えっ? 本当なの。へぇ、良かったね。女性に冷徹なレイモンドが女の子を好きになるなんて」
「駄目だろ。相手がろくでもない奴だとしても彼女、婚約してるんだろうが」
「あ、そうか。残念だったねって言わなくちゃいけなかった」
「彼女を助けられないかな」
「へっ?!」
「無理だろ!」
しょぼくれるレイモンドを見て、ドラルとマルコフも肩を落とした。
その頃、伯爵家では、ある問題が起きていた。応接室には、トルネン伯爵と妻のターラがソファに腰かけていた。ミモザは少しは離れた一人掛けのソファに座った。夫妻の向かいには、フリットとアリアが手を繋ぎながら座っていた。
「ワグナー侯爵がお許しになるとは思えません。フリット殿、今、ワグナー家との取り引きがなくなれば、我が家が損害を被ることになる事は把握されておりますな」
「は、はい」
「じゃあ、お父様。どうすればいいって言うの?」
「どうすればいいだと、お前達のせいで計画が壊れたのだぞ。少しは頭を使え」
「フリット様が侯爵様を説得してくだされば丸く収まるのではございませんの? ね、旦那様。そう思われませんこと」
「ああ、確かに責任を取ってもらわねばな」
「む、無理です。父は厳格な人ですから、アリアでは……」
先ほどから堂々巡りをしている話をミモザは、ぼんやりと聞いていた。この場に自分が居ても仕方がないのではないかと思いながら俯いていた。不意に自分の名が呼ばれ、顔を上げた。
「やむを得ん。その子は、ミモザとの子として届け出ればいい」
――父は何を言っているのだろうか。何故、アリアの子が私の子なのだろうか。
「嫌よ! それじゃ、私は一生日陰者じゃない! フリット様、そんな理不尽な事、なさらないわよね」
「えっ? でも、いい案だと思うよ。本当の妻も母親も君だ。対外的にだけミモザの子とすれば対面が保たれるし、父も騙せるよ。そして、僕達の子が将来、この伯爵家を継ぐんだ。ああ、とてもいい案ですよ、お義父上」
「アリア、我が家への賠償を考えれば容易いものだろう」
「丸く収まるのならば、アリア、お父様の言う通りにしなさい。今はそれで上手くいくわ」
納得がいかないアリアは、泣きながらフリットの腕にしがみついている。
――理不尽な事? 姉の婚約者の子を身籠って、挙げ句にその子を私の子として届けると言うの? 理不尽なまねをされてるのは私よね。誰も私の事なんて気にしてないのでしょうけれど。私の意見なんて聞いても来ない。ああ、いつもの事だったわね。
結局、誰一人ミモザに声を掛けることもなく退室していった。
その日の内にワグナー侯爵には、ミモザがフリットの子を身籠ったと伝えられた。侯爵は、『婚姻前に何たる事だ』と怒ったが、こればかりは、ミモザだけを責められない。フリットにも十分な栂があるとどうにか溜飲を下げた。腹が目立たぬ内に式を早めて挙げるようフリットに申し付けた。
翌日に喜び勇んで、伯爵家に駆けつけたフリットは、式を早めるように父から言われたが、子が出来た事はそれほど怒られなかったと伯爵夫妻に伝えた。
それを聞いたアリアは、ミモザに当たり散らした。
「あんたのせいよ。本当なら、フリット様の隣でウェディングドレスを着て愛を誓うのは私なのに!」
ミモザは、黙って聞いていた。反論なんて許された事がないのだから仕方がない。
――そうね。貴女が隣に立つべきよね。何故、私がフリット様の隣に立って貴女の子を抱くのかしら。私、貴女の居場所に立ったとしてもどうしたらいいのかしら。どうしたいのかも、わからないわ。




