071●名乗りの余波
「通行目的は?」
「旅だ。この街を出る。ガウ・ヘラクレスと、リンリン・ヒポクラテスだ。」
門番の手が止まる。パキッとペン先が鳴った。
「・・・もう一度、ゆっくり言ってくれるか。」
「ガウ・ヘラクレス。」
「リンリン・ヒポクラテス。」
門番は背後の上司を手招きした。
鎖帷子の肩当てがこすれ、金属が小さく鳴る。
「隊長、二名の族名が・・・その、大物でして。」
「どれどれ。」
証明書をひと目見て、隊長の眉がぴくりと上がる。
「ヘラクレスは格闘ギルドの高位称号だ。殴り込みか、挑戦に行くのか?」
「えっ、違う違う!ただの旅人だって!」
「‘ただの’は無理がある。名を持つ力持ちが‘ただの’と言うときは、たいがい何かに巻き込まれている。」
「巻き込まれるのは、まぁ、ちょくちょくあるけどな。」
「そうか、やはり自覚はあるのだな。」
隊長はリンリンに向き直る。
「そしてヒポクラテス。治癒師ギルドの誓詞を履修済みのトップクラス、という理解でよいか。」
「え? 誓詞? 似たようなものは聞いたことあるけど・・・現場で治すほうが得意で、条文はうろ覚えなの。」
「今ここで、誓約第七:『敵味方を問わず、急急如律令』を唱えられるか。誓約第九:『歓喜の歌』でも、よしとしよう。」
「誓約番号は覚えてないな。でも、負傷者がいれば治すよ。」
そのとき、門の反対側から怒鳴り声が聞こえてきた。
「どけどけ! 荷馬車の軸、折れた! 脚、下敷きだ!」
人垣の中で、青年の脛が不自然な角度に曲がっている。
汗の匂い、油と鉄の味。
「行っていい?!!」
「そうしてもらおう!」と隊長。
「ヘラクレス、荷を持ち上げろ。名にふさわしい力を見せてもらう。」
ガウは素早く荷台の梁に肩を差し入れ、息を吐いてゆっくりと持ち上げた。
まわりから驚きの声があがる。
「下から支え木差し込み!三つ数えたら預ける。いち、に、さん!」
梁が足場に移り、青年の脚が解放される。
リンリンが膝をつく。手袋を外し、掌をそっと肌に当てる。
「骨は横骨折、粉砕じゃない。痛みを落として、ずれを戻すね。」
短く息を整え、指先から澄んだ感触を流し込む。
青年の顔から歪みが消え、呼吸がゆっくり整っていく。
「緊縛布、あります?」
隊長が腰のポーチから白布を渡す。
リンリンは添え木を当て、均等の力で布を巻き、
最後に結び目を足の外側に回した。
「三日は走らないで。冷やして、脚は高くして横になってね。夜の痛みが強かったら、これ、飲んで。薬だよ。」
青年は涙目で何度も頭を下げた。
人垣から拍手がさざ波のように広がる。
隊長が、門のところに戻ってきた。
「・・・確認終了。 ヘラクレス、ヒポクラテスは通ってよし。・・・見事だ。」
リンリンが胸を撫で下ろす。
「ただし、誤解も生む。名乗り方を一つ教える。」
隊長は帳面を開き、さらさらと書く。
――〈族名:ヘラクレス(格闘称号と無関係)
/ヒポクラテス(治癒師ギルドの誓詞未所属・現場治癒)〉」
「但し書きも持って行け。余計な挑戦状を叩きつけられずに済む。」
「なるほど。名乗りにも、気遣いがいるのか。」
「名は力だ。扱いを誤ると、面倒が寄ってくる。」
ちょうどその時。
斜向かいの酒場から出てきた大柄な魔物が大声を上げる。
「おい!ヘラクレスだと?どこだあ?!力くらべだ、今ここで!」
「隊長、但し書き、効いてませんね。」
「書く前だったからかな。昼間から酔っぱらうとは、幸せなやつだ。」
ガウは軽く手を挙げた。
「はーい、オレでーす。賭けなし、武器なし、三秒だけなら。」
「なんだ、その条件は?!」
酒場の男は鼻を鳴らす。
「三秒だけで、いいですね?」
「終わったね!あっけない、というか、なんというか。」
「リンリン、なおしてやってくれ。ま、気絶しているだけだけど。」
「ひょいっと。これでOK。行こうよ、ガウ!」
「おう、リンリン!」
ふたりは城壁の門をくぐり、石畳の先へと軽やかに歩き出した。




