045⚫️二十分の火
「主機、全速状態を保持!回転数102%!据え切りです!」
ブリッジがわずかに鳴動した。
床下から微細な震えが上がり、艦体の骨に指先で触れたようなざらつきが伝わる。
「距離、減少率良好!ETA 19分43秒!」
「よし、まだまだ、そのままだ。」バーバラが笑う。
「あと二十分が限界です、臨時艦長!」機関長の声が耳奥で反響した。
〈機関よりブリッジへ。軸受温度上昇。中間軸後部、88から92℃へ。推進軸の横振れ0.42mm。許容限界に近い。〉
「まだイケる。」
「冷却水入口温度、46℃。酸霧熱交換器の差圧が上がっています。この速度だと二十分で潤滑油の酸価TANが規格を跨ぎます。」
操舵手の足元で甲板がわずかに沈み、すぐ戻る。
艦が波を切り裂く音に、高域の唸りが混じり始めた。
「機側から追加。軸受の鳴きに’砂利音’混入!キャビテーションの帯域が一段上にシフト!翼端渦が悪さしてます。」
海の様相が変わる。酸霧が晴れ、海の色が見たこともない紺碧となる。
「機関長!シャフト振動、さらに上昇! 0.47mm!潤滑油圧 3.5→3.1bar。警戒域に入ります!」
「主軸受#3、メタル温度96℃。無冷却のまま二分で100℃に触れる!材質が古い。余裕は読めない!」
「こらあ、バラすなあ!」バーバラは歯を見せて笑った。
「ここで下げるという選択肢は、ない。」
「冷却水系、バイパス開きます!熱交換器を酸霧側から淡水側へ寄せます!」
「ちょ、待て。差圧跳ね上がり・・4.8kPa!詰まりが酷い!」
「中和剤注入!祈る時間はない!」
ブリッジの計器に赤いスラッシュが一本走る。
排気ガス温度 EGT 620→645℃。
機関室から熱気と焦げの匂いが混じった風が、換気孔を抜けてくる。
「機関長、EGTレッドに接近!」
「燃料噴射を1%だけ絞れ。トルク維持!ピッチを+2%で合わせる!回転一定、プロペラの迎角で押す!」
「了解。回転保持、ピッチ+2!振動0.51mm!」
床が低く唸り、手すりが細かく震える。
遠くで金属の乾いた’チン’という音。軸受の微小剥離だ。
「残り十七分。」
トーマスは時計を見た。
「先輩!ここで壊れたら、漂流することになります!」
「漂流?ふん、わたしは経験済みだ。」バーバラが視線だけで笑う。
「油温 104℃。限界値に当たります!非常冷却に落とすなら今!」
「やれい!!」トーマスが先に言った。
「非常冷却、30秒だけ!その後ピッチ+3で再加速!」
「了解!非常冷却、投入!」
配管がギュッと鳴り、冷却水が走る音が艦内を駆けた。
油温 104→99℃、軸受#3 96→93℃、振動 0.51→0.46mm。
計器がひと呼吸だけ下がる。
「非常冷却解除。ピッチ+3!押し直し!」
プロペラが水を掴み直す重い音。艦が前へ出た。
ETA 15分58秒。
「軸受#3、再上昇。94・95・・97℃。EGT 651℃。油圧 3.0bar!下限間際!」
「補機#2を落として負荷を抜け!照明を一段落とせ!非必須系はすべて切る!」
「了解、非必須遮断!」
照明がわずかに暗くなり、ブリッジに影ができる。
艦は暗い獣のように海面を滑った。
「残り十四分。」
「間に合う。」バーバラの声は熱いが、揺れない。
「ピッチ+3のまま、回転一定。振動0.53mm!上がります!」
「吸入側、気泡混入! キャビ音増大!」
「深度を一メーター深く! 翼端渦を水中に沈める!」
艦底がぎゅっと重くなり、キャビ音が一段下がる。
「油圧 2.9bar!下限割れ警報!」
「スクイズ注油を短く二回!直後にピッチ+1で負荷逃がす!」
「了解!スクイズ、1・2! ピッチ+1!」
「ETA 13分22秒!」
「なんとか、持つか。」トーマスは短く言ったが、額に汗がにじんでいた。
「軸受#3、99℃。三桁にふれます!」
「ふれさせていい。十一分だけ耐えろ。十一分だ。」
バーバラが前を見たまま言った。
ブリッジの空気が、熱と油と金属の匂いで満ちる。
深く低い唸りが腹に入ってくる。
艦は噛み砕かれた波を連続で呑み込み、そのたびに骨が鳴る。
「機関長、軸受#3に冷却噴霧、五秒だけな。」
「了解!!」
シューという短い音。99から97℃。
「完了!ピッチ+2で戻す!」
「ETA 11分55秒!」
バーバラがわずかに目を細めた。
「見えてきた。黄色い悪魔に、爪を立ててやる!」
機関は、悲鳴を上げつつも、まだ回っている。
島が視野に入ってきた。
浅瀬ギリギリに停泊する、黄色い巨艦の姿も、である。




