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8 砕けた拳のシュラーゲン


 フローゼンベルク山脈の白い尾根を見たとき、シュラーゲンが手袋を買おうと思ったのは、決して寒かったからではなかった。

 世界で最も醜い、おのれの手を見ずにすむと思ったからだった。


「毎度あり」


 粉雪舞う市場で雪角ウサギの皮で作った手袋を買った。

 節くれだった大きな手を無理に突っ込む。

 頬で触れると、滑らかな肌触りに思わずこわばった顔がゆるんだ。

 しかし、その白手袋の中に醜いものを内包しているのかと思うと、途端に両の手を斬り落としてしまいたい衝動に駆られる。

 ここのところ、ずっと最悪な気分を引きずっている。

 拳が砕けたあの日から、ずっと。


「カノンという武器屋を知らないか? 女人の武器屋だそうだが」


 行商人に問う。

 シュラーゲンはまだ若いながら、熊のような大男だ。

 たいていの者は勝手に肝を潰して媚びるように笑うものである。


「さてね。でも、へへ、そういやぁ薬籠背負った女の子と山道ですれ違ったかね。異国風の子でさ、一人で山越えしたってんだから大したもんだよ」


 武器屋には見えなかったけどね、へへ、と言って行商人は雪深い大山脈を仰いだ。


「礼を言う」


 シュラーゲンは大きな足で氷結の山道を踏みしめる。

 あてにはしていなかった。

 しかし、なかなかどうして行商人の情報というものは馬鹿にならないらしい。


 山の6合目。

 白銀の下界を見晴らす氷の大瀑布のたもとに、その少女は炉を構えていた。


 黒い髪に黒い目。

 そして、白い肌。

 この地にありがちな紅毛碧眼の特徴を何ひとつ備えていないが、整った横顔をしていた。

 ずっと昔に天界より現れたという勇者が同じ黒髪黒眼だと聞く。

 いずれにしても、長らく探していた人物に間違いはないようだった。


「お客さんかな?」


 鈴を転がしたような声が耳に心地よい。

 そうだ、と答えようとしたところでシュラーゲンは声に詰まった。

 いまさらだが、歳の近い異性と話すのは、これが生まれて初めてのことだった。

 拳闘道場を営む父の下、拳を振るばかりの少年時代。

 ついぞなかった異性の縁がこんな雪山の中腹で結ばれたのだから、奇妙な巡り合わせだ。


 シュラーゲンは意味もない咳払いで威儀を正し、厚い胸板で虚勢を張った。


「あなたが武器屋カノンのご店主か?」


「そうだよ。店主のカノンね」


「む。俺は冒険者をしているシュラーゲンというものだ。よろしく頼む」


 そう言い終えて、「む」とはなんだろうと首をかしげたくなった。

 自分の口から出た「む」が耳の中で反響している。

 そして、まだ用件すら伝えてないのに何をよろしく頼むというのだろう。

 おのれの口下手が呪わしかった。


「拳闘士の人?」


 白い息とともにカノンはそう問うた。


「わかるのか」


「筋肉のつき方と間合いでね」


「む、すまぬ」


 つい相手を拳の間合いに入れてしまうのは、口下手と並ぶシュラーゲンの悪癖だった。

 恥の念で額に汗しつつ、一歩引く。


「悪いけど、拳闘士向けの武器は取り扱いがないよ? あなたたちは腕の先に武器が生えている人種だからね」


「いや、拳闘術用の武具が欲しいわけではない。俺は拳闘士を辞めたのだ」


 シュラーゲンは『愚岩砕ぐがんさい級』の拳闘士だった。

 愚直な鍛練の結果、岩を砕くほどの拳を得るに至った稀なる才能の持ち主。

 拳闘士としては一流の域にあり、厳しい父の下で免許皆伝をも成し遂げていた。

 そのすべてが今は汚点だった。


「どうして?」


 カノンのその小さな問いかけに、シュラーゲンは胸をずたずたに引き裂かれる想いがした。

 他意はない。

 それはわかっていても、どうしても責められている気になる。

 自責の念に苛まれる。


 しばらく黙然とし、シュラーゲンは握り拳を震わせていた。

 カノンはそれを静かに待っている。


「俺は負け犬だ」


 ようやくそれだけ絞り出し、少し視線を上げる。


「ご店主、ティグンナーデルをご存じか?」


「虎針竜のことだね。知ってるよ。針みたいな毛で全身を覆った虎っぽい竜でしょ。あの毛皮、金属製だから、溶かすと上質な材料になるんだよね」


 防寒帽とマフラーから覗く白い顔に物欲しそうな色が少しちらついた。


「俺は負けた。討伐依頼を受けて。俺たちならいけると思ったんだ。でも、間違いだった。それがわかった」


 口疾に、そして、口下手にシュラーゲンは半年前の恥辱を振り返った。

 冒険者パーティー『粉砕骨接ストロンガザン』。

 拳闘士、魔術師、治癒術師、弓術士の4名からなる均整の取れたいいパーティーだった。

 順当に実績を重ね、一流冒険者の証『銀等級』を拝するまでになった。

 そうして、回ってきたのが虎針竜ティグンナーデルの討伐依頼だ。


「散々だった。魔法はかわされ、矢は弾かれ、俺の拳は血まみれだった。打つたびに傷が増えた。治癒も間に合わないほどに」


 土つかずのまま高位冒険者の仲間入りを果たしたことが、増長を生んでいた。

 その伸びきった鼻をかの竜は叩き折ったのだった。


 パーティーは壊滅的敗走を喫した。

 その先頭に立って誰よりも早く逃げ出したのが誰あろう、おのれである。

 シュラーゲンにはわかったのだ。

 最も間近に相対したからこそティグンナーデルには決して勝てないということが。

 立ち向かうべき拳を振って走り、仲間を守るべき拳で涙を拭って、誰よりも大きな体で馬鹿みたいに絶叫した。

 拳闘士の、みっともない泣き声。


 奇跡的に4人とも生還を果たした。

 そして、パーティーはほどなく崩壊した。

 シュラーゲンがおのれを責めたことは言うまでもなく、大きな手に顔を突っ伏して塞ぎ込み、そして、目の前にある手を恨んだ。

 何も守れぬ弱者の拳を。

 鍛え上げた両の拳は、圧倒的強者の前にもろくも砕け散ったのだった。


「あれは拳闘士には分が悪いよ。トゲトゲで触れられないからね。並の剣じゃ刃も通らない。ま、だからこそ、いい素材になるんだけど」


 カノンは興味なさげに大男の泣き言を聞いていた。

 その北風のような気質に少し救われる想いがした。

 同情されたのでは、かえっていたたまれない。

 この武器屋はそれを見越して無関心を装っているのかもしれなかった。


「だから、俺は武器が欲しい。俺のような半端ものでも仲間を守れる強い武器が」


 シュラーゲンは思いの丈を吐き出した。

 創作武器屋カノンの噂を耳にしたのは、まさに僥倖だった。

 こうして巡り合えたことも何かの導きのように感じられてならない。


「ふーん。そう」


 カノンはからっ風のように応じ、怜悧な瞳を真っ直ぐにぶつけてきた。


「じゃ、手を見せて」


「……手を、か」


 迷った末、手袋を脱いだ。

 汗ばんだ手を凍てつく風が無慈悲に殴りつけていく。

 うっ、とうめいたところで温かいものに包まれた。

 カノンの手だった。

 シュラーゲンの岩のごとき手を取り、鑑定人のように矯めつ眇めつしている。

 手のしわを指でなぞり、亀の甲羅と化した拳ダコに振れる。

 柔らかな吐息を間近に感じる。

 あるはずのない花の香りが鼻腔をくすぐった。

 顔を見つめられるよりも、これはよほど羞恥をそそる。


「……」


 そのとき、ふと気がついた。

 カノンの手が柔らかいだけではないことに。

 それは若い女の手のようで、職人の手でもあった。

 ああ、この人もまた求道者なのだ。

 そう思うと、途端に親近感が湧く。

 進む道は違えど、この人もまた信じる道を進む人なのだ、と。


「……」


 そして、またひとつ自分が嫌になった。


(俺は道を諦めた、惨めな男だ……)


 この手は負け犬の手なのだ。


「とてもいい戦士の手だね」


「……む?」


 媚びるでもない信念の目がシュラーゲンを見上げていた。

 カノンは言った。


「わかった。あなたにぴったりな武器、見繕ってあげるよ」


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