6 眠らぬシャマオと幽明刀
「不思議なもの持ってるねぇ。というか気味が悪いよ……」
猫すら入れそうにない小さな引き出しに、人間が腰まで呑み込まれている光景は、まさに異様の一言に尽きる。
蛇が龍を呑んだようだった。
シャマオは目の前で振られる尻を苦笑しながら見守っていた。
「あ……。あったあった」
ほどなくして、尻の主が引き出しから頭を引っこ抜いた。
乱れた黒髪を軽くなでつけてカノンがふう、と息をつく。
「ずっと売れ残ってたものだからね、武器箱の奥でほこりかぶってたよ」
薬籠のような木箱である。
大小20ほどの引き出しがあり、どうやら見た目以上にものが詰め込まれているらしい。
「こんなところで仙人みたいな暮らしをしていると、おかしな力が身についちまうのかね」
「私の力じゃないよ。この箱、空間がちょっとね。魔道具みたいなものかな」
カノンは気怠そうな口調で、古馴染みが貸してくれたんだ、と付け加えた。
あまり掘り下げてほしくなさそうな雰囲気を察して、シャマオは喉まで出かかった好奇心を呑み下す。
それよりも気になるものがある。
「それかい? 幽霊を殺れる武器ってのは」
カノンが引っ張り出してきたのは小刀だった。
祭具といった華美な装飾で、値の張るものだというのはひと目でわかる。
しかし、実用の美がない。
お貴族様が喜びそうな品だねぇ、と本音が出かけたところでシャマオは言葉を失った。
すらり、と。
鞘から現れた刀身。
それは、まるで薄氷だった。
刃を透けた光の揺らめきが石や草の上を子ネズミみたいに駆けていく。
「なんて綺麗なんだい……」
こんなものは王宮でも見たことがない。
湖に注ぐ清流よりもずっと透き通った、そんな小刀。
「見てないで手に取ってみて」
「え、いいのかい? あたしなんかが……」
「観賞用じゃないからね。――ほら」
カノンは使い古しの絵筆みたいなぞんざいさで小刀を押しつけてきた。
指の紋様まで透けて見える清明な刃に魚鱗のような光の粒がときおり煌めく。
(本当に綺麗……)
自分が持っていると汚してしまいそうな気がしてシャマオは恐ろしくなった。
「こりゃ西方のお貴族様が持つ魔除けの小刀だねぇ」
「そ。武器というよりお守りだね。それこそ、呪いの品だ」
「……使い物になるんだろうね?」
「私は使えないものは売らないよ。霊体の魔物も、もちろん呪霊も斬れる」
「でも、売れ残りなんだろう?」
と、鞘に薄く積もったほこりを袖で拭うと、カノンはそっぽを向いて頬をぽりぽり。
「私がアホだったんだよ。霊害で困っている貴族向けにってそれを作ったんだけどさ、よく考えたら、こんな辺鄙なところに貴人が通りかかるわけないんだよ。作って商品棚に並べて、30年経っても売れないからさ、それで気づいたんだ。自分の間違いに」
思いのほか大きな数字が出てきて面食らったが、それ以上に、魔女や仙人の類に思えていたカノンが人並みに恥じらいを見せたのがおかしくて、シャマオは腹を抱えた。
「あっはっは! あんた、そいつぁとびっきりのアホだね! でも、貴人じゃないけどさ、あたしにゃピッタリの代物だよ!」
ひとしきり笑ってから、シャマオは頬を硬くさせた。
「でも、いいのかい? あたしみたいな人殺しのクソ野郎に大事な武器を売っちまってさ。あたしがこれで人をぶっ殺すとは思わないのかい」
「それ、幽明鉱っていうちょっと面白い鉱石で作ったんだ。なんと霊体しか斬れないの。試しに自分のお腹でも刺してみるといいよ」
「腹をかい?」
逡巡していると、手が伸びてきて刃をぎゅっと掴んだ。
手が白くなるほど強く掴んでいる。
しかし、広げた手のひらに赤いものは見られなかった。
「……ほんとだね。尖ってんのにチクリともしないね」
触れた感触はある。
だが、妙に空虚。
そこにあるはずなのに、それを感じにくい。
カノンは風になびいた髪を耳に掻き上げた。
「不思議だよね。幽明鉱はね、実体の半分がこの世界に存在していないんだ」
「どういうことだい?」
「この世とあの世の境にまたがって存在する物質、って感じかな。この世界に半分しか存在していないから影響を与えにくいんだ」
「もう半分はあの世にあるってのかい」
「うん。その刀の名は、幽明刀『境異』。名前の通り、この世とあの世の境界にあるものを斬る刀だ」
呪いによって生み出された呪霊。
触れることさえ叶わぬ彼岸の存在にも、この刃は届きうる。
シャマオは幽明刀を強く握りしめた。
そして、ふっ、と笑みを漏らす。
「しかし、あの世まで届いちまう刀と言う割には寸足らずだね」
「本当はね、このくらいの長刀を作ろうと思っていたんだけど」
とカノンは両手を広げてみせた。
「幽明鉱って叩けば叩くほど小さくなっていくんだよね。かといってギッシリ詰まっていく感じもしないし。きっと叩いた分はあの世に行っちゃうんだよ。叩けばあの世逝きって私のハンマーみたいだよね」
極々小さく口元に笑みが浮かんだ気がした。
これがカノンなりのユーモアなのだろう。
人となりを知ったからか、最初に感じた不気味さは、花園の陽気さも相まって風の彼方に消えてしまったようだった。
「あんたの武器だ、きっと名刀に違いないね。買わせてもらうよ。お代は?」
「あなたの命の分だけ」
「なら、有り金全部置いていかないとね。それでも吹けば飛ぶほどしかないのが、あたしの価値って感じで笑えるねぇ」
カノンは差し出された代金を受け取る前に、シャマオを真っ直ぐに見つめた。
「カノン武器の五箇条だよ。その刀、いらなくなっても売らないでね。私の武器は斬れすぎるからさ」
名刀と妖刀は紙一重だ。
よく斬れる刀は斬ってみたい欲求を持ち主に植え付ける。
その果てにあるのは血であり、死だ。
「わかったよ。肝に銘じておくよ」
カノンが幽明刀を託したのは信用の証なのだ。
存在感の希薄な小刀が急に重いもののように思えてきて、シャマオは胸の中に抱きしめた。
「さて、だいぶ長居しちまった。もう行くよ」
風のように歩き出したところで、
「……あ、そうそう」
とカノンが思い出したように言う。
どこかイタズラ娘じみた色が変化に乏しい顔に浮かんでいる。
「なんだい? あたしゃ、そろそろ逃げ出したいんだけどね」
「ひとつ私の苦労話も聞いていきなよ」
「あんたのかい?」
「そ。その小刀さ、刃が半分向こう側にあるからね、柄に固定しておくの大変だったんだよね。どんなに強く目釘を締めても、どうしてもゆるんじゃうからさ。それだけ」
「……」
用はすんだとばかりにカノンは、ワンピースを風になびかせて水辺に憩いに行った。
わざわざ呼び止めてまで伝えなければならないことだったのだろうか。
ひとつ首をかしげ、シャマオは遅れを取り戻すように力強く一歩を踏み出した。




