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5 眠らぬシャマオと幽明刀


「あたしはね、とある王に飼われてた――言うなれば、近衛暗殺者なのさ」


 湖に注ぐ清流に指のくしを通しながら、シャマオは陽気な口調で語り出した。


「国を蝕む逆賊をぶっ殺して回るのがあたしの仕事。……ま、政敵がみんな悪人じゃないのは知ってるさね。そのへんは目くじら立てないでくれよ。根っからの善人ならそもそも暗殺者なんざしちゃいないんだからさ」


 振り返ったとき、カノンは水辺の岩に腰をかけて色のない目をこちらに向けていた。


「あの日もいつも通りの簡単な仕事だったよ。標的は呪術師のじいさん。王族を呪い殺そうとした罪ね。ちょろい仕事だった。本当にあっという間さ。後ろからササッと詰め寄って、グサッ! こんだけ」


 シャマオは笑顔のまま目を伏せた。


「でもね、あたしはわかってなかったんだよ。呪術師ってやつを。あいつら、根暗で陰険で気持ち悪いだろ? そもそもあたしゃ呪い自体信じてなかったんだよ。だから、王に始末を命じられたときも心の中じゃ笑ってた。んな呪いぐらいで騒ぐなんてまぁ肝っ玉のちっさい王様だねぇ、ってさ。そうして舐めてかかったのが運の尽きさ」


「……」


「じいさんは死ぬ寸前笑ったのさ。笑ってあたしを指さしたんだ。それだけだったよ。でも、その瞬間あたしはわかっちまったんだ。あっ、あたし死んだ、ってね。殺されちまったってね。それまで人の死をたくさん見てきたからわかったよ。その指が奴らにとってのナイフなんだってね」


 シャマオは刺された胸を押さえた。

 そこに痛みはない。

 だが、たしかに冷たい何かが刺さっているのを感じる。

 カノンも見ていた。

 黒い瞳には何かこの世ならざるものが見えている気がして、空恐ろしくなった。


「以来、あたしの目には影が見えるようになったんだ。黒いモヤモヤがね。そいつ、最初はね、ずっと遠くのほうにいたのさ。遠くのほうからじっと見ているだけ。何もしやしなかった。でも、あの影は毎日少しずつ近づいてきたんだ。少しずつ少しずつ……。でね、ついには追いかけてくるようになった。あたしの後ろをずっと」


 シャマオはハッとして来た道を振り返った。

 だが、そこには煌びやかな花々が広がるだけで、影と言えるものは見当たらなかった。


「……死の影を放つ呪い、か。触れられると死ぬやつだ」


 カノンは素足を持ち上げて水面に影を落とした。

 虹の鱗を持つ小魚たちが影に入り、ぱしゃり、と。

 水面を割った足に驚いて散り散りになって逃げていく。


「そ。奴にゃ剣も魔法も効かないのさ。こちらからは触れることさえできゃしない。できることは逃げることだけ」


 シャマオは小川に小石を投げ込んだ。

 水泡の吹雪の中を虹の魚が乱舞している。


「あたしは逃げて逃げて逃げ回ったよ。でも、どこまで逃げても振り切れやしない。あいつはね、あたしより足が遅いんだ。でも、水の上も歩けるし、谷だって越えちまう。見えない地面の上を歩くみたいにしてさ。海を渡ったって無駄さ。真っ黒な夜の海をひたひた、ひたひた歩いて船に手を伸ばしてくっからね。その追いかけっこが永遠に続くのさ」


 同じことを国王にも直訴したことを思い出して、シャマオは一段と笑みを強めた。


「陛下はそりゃあもう素っ気なかったよ。こちとら物心ついた頃から尽くしてやってんのにさ。あっさり突き放されちまった。薄情な連中だ。あいつらにとっちゃ、あたしゃよく斬れるだけの便利なナイフでしかなかったのさ。使えなくなればそれで用済みってわけ」


 以来、ずっと逃亡生活を続けている。

 もう4か月にもなるだろうか。

 幼少より厳しい鍛練を受けたシャマオのような頑強な人物でなければ、これほど長い間逃げ続けることはできなかっただろう。


「あたしにとって唯一の安全地帯は教会でね、あの影も中までは入っちゃ来れないんだ」


 シャマオは水面に手のひらを触れて、押すような仕草をしてみせた。


「でも、ずっと見てるんだよ。窓の外からずっと。あたしが出てくるのをずっとずっと待ってるんだ。それがおっかなくてね。……今あんた、窓のない部屋に隠れればいいって思っただろ?」


「……」


「それが駄目なのさ。目が離せないんだ。奴から目が離せない。だって、そうだろ? 目を離した隙にあいつが何かの拍子に入ってきて追いつかれたらさ、あたしゃ逃げ場がなくなって死んじまうんだからさ。だから、こうして逃げ続けているのが一番安心なんだ」


 鏡のごとき水面に土気色の顔の女が笑っていた。

 目の下にひどいくまがあった。


「あたし、もう半年は満足に眠れちゃいないんだ」


 涙声にも似た声でそう言い募り、シャマオはふと我に返った。

 誰かに弱みを吐き出したのは、生まれてこの方これが初めてのことだった。

 殺しの世界に生きる者にとって、弱さとは鎧の隙間にほかならない。

 ついさっき出会ったばかりの武器屋にこれほど無防備をさらしてしまったのは、黙って受け止めてくれるカノンの静かな目と、花園の陽気さが心の栓をゆるめたからかもしれなかった。

 急に恥に感じた。

 シャマオはとびっきりの笑顔でカノンを見つめ返す。


「いんやぁ、生きてる人間が一番怖いなんて言うけどさ、ありゃ嘘だね。生きてる奴は簡単にぶっ殺せるんだ。何も怖いこたぁないのさ」


 膝をパンと打って立ち上がる。


「悪かったね、あんた。酔ってもないのに、くだ巻いちまう面倒な糞女に付き合わせちゃってさ。礼を言うよ。おかげでスッキリした。武器は売ってくれなくていいよ。自分でなんとかすっからさ」


 立ち去ろうとすると、待って、と静かな声に呼び止められる。


「あなたを追い回している影はそこいらの幽霊アストラル系魔物とは違うよ。『呪霊』といって聖水をかけてもマグマに突き落としても祓えない代物だ。基本的にね、一度発動した呪いを祓う手段はないんだよ」


 カノンの、ほこりをかぶった古い人形のような面差しがひどく不気味に感じた。


「あんたほどの御仁だ。他人様を不安にさせるためだけに忠告したわけじゃないんだろ? あるんだね、なんとかする方法がさ」


 祈るような気持ちでそう問うと、カノンは小さく頷いた。


「いいよ。売ってあげる。あなたにちょうどいい武器があるんだ」


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