13 追放王子カエサスと約束の剣
ラ・ホーンロー聖嶺国の最高峰。
「天の岩」と称えられる山、アマナロチア。
その中腹、雲を見下ろす岩棚の上で、鉄と鉄が十字に交わり、火花と汗が激しく弾けていた。
「甘いですぞッ!」
「く……っ!」
閃光のごとき刺突を寝かせた剣で流したカエサスは、続く下段からの斬り上げをまともに受けて、万歳の姿勢になった。
がら空きの腹に足の裏がめり込む。
「げゥッ! ……うあああ!?」
体が宙に踊った。
足場を失い、遥か下方に乱杭歯のような岩々が並び立つ山肌が見える。
カエサスは落下寸前のところ、ギリギリで岩にしがみつき、甲虫じみたぎこちなさで這い上がった。
「お、おい……。じい、本当に蹴り落とす気で蹴ったな……」
「そうでなければ修行になりませぬゆえな」
ほほ、とジイサルは丸い腹を揺らした。
かつて、祖父ソナル王が研鑽を積んだ巨岩の上。
山頂の大岩に次ぐ2番目に大きな岩だったが、それでも二人で打ち合うには手狭だった。
逃げ場はなく、3歩下がれば真っ逆さま。
落とされまいとすれば、前へ前へ、ひたすら相手にぶつかっていくしかない。
「いい修行の場だよ、まったく……」
立ち上がろうと手をつき、そのとき、指先が鋭い感触に触れた。
岩の表面に無数の三日月模様が刻まれている。
「これはおじい様が残した剣の跡だろうか」
「あるいは、そうやもしれませぬな。風雪にさらされてなお、卓越した使い手の鮮やかな剣筋が読み取れまする」
ジイサルは陽光に白く輝く天の岩を見上げ、目を細めた。
「陛下が勇者となられた聖なる地。ほほ、カエサス殿下が修行を積まれるに、これほどよき場所はありませんな」
「――隙ありッ!」
疾風のごとき小手打ちは、しかし、ひらりとかわされ、その残像を斬ったのみ。
死角よりそっと差し出されたジイサルの足がカエサスの足を払っていた。
再び祖父の剣筋を間近に眺めることになる。
さきほどから、この繰り返しだった。
「殿下、このままでは、この老木にすら勝てませぬぞ」
「だな。じいが陛下になってしまう……」
「ややっ、その発想はありませんでしたな。では、わしもひとつ選定の儀に出て、玉座でも目指すとしますかな」
「……やめろ。僕が即位したらそれなりのポストを与えてやるから絶対にやめろ」
『剣龍』という称号がある。
剣の腕を磨き、ついには龍の域に達した者に与えられる、『剣聖』をも上回る称号だった。
ジイサルはまさにそれだ。
ホーンローにその人ありと言われる大剣豪で、ソナル王に敗れるまで、ただの一度の敗北もなかったという。
すでに、剣聖の域にあるとされるカエサスから見ても、ジイサルは巨大な壁だった。
(まるで太刀打ちできる気がしない)
大丈夫なのだろうか、と不安が頭をよぎる。
勇者選定の儀までひと月を切っていた。
こんなところで這いつくばっているようでは王位など夢のまた夢。
カン、――と。
出し抜けに、雲を晴らすほどの鮮烈な音が響いた。
ジイサルの耳がウサギのように動く。
「……はて、これは剣を打つ音ですな」
「剣? こんな山奥に鍛冶屋でもあるってのか」
二人とも剣には目がなかった。
餌の匂いを嗅ぎつけた子犬みたいな無邪気さで音のするほうに急行する。
帽子のつばのように張り出した岩。
その影の中にひっそりと少女はいた。
手にした金鎚が澄んだ弧を描き、直後、鮮血のような赤が弾ける。
岩のくぼみに手を加えただけの小さな炉。
風呂敷に並べられた武器。
このあたりでは珍しい黒髪が山風に揺れて光っている。
「…………」
妙なところに妙な者がいるな、とカエサスはキツネにつままれた気分だった。
「いらっしゃい。そんなとこに突っ立ってないで、そばで見ていきなよ」
少女は思いのほか深みのある声で二人を招いた。
容赦のない山の日射しから逃れて岩影に入ると、並べられた武器の、その狂気のような美しさが目を焼いた。
「……ッ」
寸刻見惚れていると、隣でジイサルが小さく息を呑んで足を止めた。
戸惑いつつ、カエサスも止まる。
ジイサルの視線を追い、遅ればせながら少女の顔を見て、ハッとした。
ひと目見ただけで、それはわかった。
彼女は自分よりもずっと高位な人間である、と。
王子という数えるほどしか上位者を持たない立場にいるからこそ、カエサスにはそれが鮮明に感じられた。
初めて竜を見た、鷹の衝撃。
天空の王者が自分ではなかったことを知る瞬間の、敗北にも似た悪寒。
それを少女から感じたのだ。
すぐ横では、ジイサルが額に汗を浮かべている。
目は見開かれ、唇はわなわなと震えている。
龍域に立つジイサルですら肝を冷やすほどの人物。
「……」
「…………」
無言の時間がしばらく続き、何度か鉄を打つ音が聞こえた後、ジイサルがしゃべり方を思い出したように口を開いた。
「もしや貴殿は、いえ、あなた様はカノン様であらせられるのでは?」
「そうだよ。様付けされる覚えはないけどね」
「ふおおおおぉ! おおおっふうううぅ!」
驚喜の声が反響した。
ジイサルは頬と腹の肉を弾ませて童子のように飛び跳ねている。
10年以上の仲だが、こんな姿は初めてだった。
「じい。カノンと言うと、あの吟遊詩人の歌にある伝説の武器屋か?」
「はい! ハイ! まさしくハイですぞ殿下! あいやぁ、なんとも素晴らしい! 棒振りならば誰もが恋焦がれるカノン武器の、その製作者ご本人様にお目通りが叶うとは!」
武の道を歩む者でカノンの名を知らぬ者はいない。
グレナリャ紅国が魔王クリムザンデを放逐するに至ったのも、カノン武器の使い手らの人間離れした活躍があったためだと言われている。
唐突に道が開けた気がして、カエサスは笑みをこぼした。
「なら、剣をひと振りお願いしたい。でも、僕は、既製品は買わない派なんだ。見ての通り、高貴な出でね、僕のために作られたものしか身に着けたくない性分なんだ」
「オーダーメイドね。私は武器屋だからね、お客の要望にはもちろん応えるよ」
カノンは膝をこちらに向け、強い目でカエサスを射た。
「人を斬らないと約束できるなら打ってあげるよ。あなただけの剣」
「誓おう。人は斬らないと」
ほんの口約束のつもりだった。
しかし、約束を交わした瞬間、何か見えないしがらみに縛られたような気がした。
それは信頼や友情といった絆のようでもあり、同時に、悪魔との契約のようでもあった。
カエサスはぶるりと背筋を震わせた。
「どんな剣にしようかな。……そういえば、あの剣を打ったのもここだったっけ」
カノンは月の裏側でも見つめているような、遠い目をしている。
その目がカエサスを映した。
「5日後にまたおいで」




